▲ 2-5 ロシアの飛び地「カリニングラード」
ウィーン・フィルの始まりは、1842年ウィーン宮廷歌劇場(現・ウィーン国立歌劇場)の楽長で作曲家でもあったオットー・ニコライが指揮した「フィルハーモニー・アカデミー」というコンサートであったとされている。ニコライは現在ロシアの飛び地になっているカリニングラードという町で生まれた。生誕200年にあたる2010年にこの地にウィーン・フィルを連れて行き、凱旋コンサートを行うという企画でツアーを実施した。この町は、かつて「ケーニヒスベルク」と呼ばれ、プロイセン公国とプロイセン王国の首都だった場所だ。現在はバルト海に面して、ポーランド共和国とリトアニア共和国に囲まれたロシア連邦の飛び地になっている。ここは軍事基地としての要衝で、バルチック艦体の拠点になった港である。したがって一般の船はこの港に入港することはできず、リトアニアのクライペダという港からバス60台で国境を越えて走ることになった。陸路の国境検査もかなり厳しく越境に2時間も待たされることになりました。
コンサート会場につくと、すでに18時を過ぎていて、16時からのカクテルパーティー会場は、地元住民の宴会の場と化しておりビュッフェの料理は何も残っていない状態。肝心のオーケストラの到着も開演時間ぎりぎりになり(楽器の国境検査でかなり難儀をした)音楽家は着替える時間もなく、指揮者のクリスティアン・ティーレマンを始め、全員Tシャツで演奏するという面白い記念コンサートとなった。世界各国から集まったクラシックファンの方々にとっては、かえって思い出深い体験になっただろう。演奏後にまたバスに乗り込み数時間のドライブ。船に着いたときは日付が変わっていた。到着後の深夜のデッキには船側の配慮で夜食とカクテルが用意されていて、ティーレマンから「一生の一度の体験となる今夜の演奏会に立ち会ってくださりありがとう!」という挨拶で真夜中のデッキで乾杯した。