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□ 3-5 ウクライナの少年(済)
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ウクライナ ドニエプル川クルーズ
サックス奏者の三四朗さんとウクライナに行くことになった。ウクライナには苦難の歴史がある。東ヨーロッパに位置していたキエフ大公国が13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされた後は独自の国家を持たず、ロシア帝国の支配下に入りソビエト連邦内の構成国となった。1991年のソビエト連邦の崩壊に伴い現在のウクライナ国家が成立したが、現在、残念ながらまたロシアとの戦争状態になってしまった。
当時の在日ロシア大使館の文化担当官の勧めで、ウクライナへの旅を企画した。まだ両国が親しかった時期である。首都キーウにある「聖アンドリーイ教会」で演奏会を催し、ドニエプル川をクルーズして黒海を航海する。クリミア半島にある歴史的な舞台リヴァディア宮殿で民族音楽団との共演をするという内容である。
クルーズ船は「シェフチェンコ号」をチャーターした。
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首都キーウに到着し、三四朗さんとは聖アンドリーイ教会で合流した。ウクライナ人のピアニストとのサックスの演奏は音が響き合い素晴らしかった。
フィッシャーマンズ島の少年
キーフの港で乗船し、ドニエプル川を黒海に向けて南下するまでの風景は荒原が続き、途中にある小さな町には戦争の爪痕がまだ残っていた。観光プランで小舟に乗り換え小さな村を訪問した。そこは「フィッシャーマンズ島」という名前の小さな島で質素に少人数が暮らしている村だった。クルーズの乗客たちが訪れることを村人が心待ちにしていた様子で、農家のテラスにご馳走が山のように盛りつけられていたのが印象的だった。昼食のあと、船にもどる途中で小さな子どもが三四朗さんの後についてきた。少年は思い立ったように野の花を摘みに行き、小さなブーケを三四朗さんに手渡した。お土産渡せるようなものがないので、自分たちでできるプレゼントを考えたようだった。それを受け取った三四朗さんは<自分がこの貧しい村の幼い少年に何をしてあげられるのだろうか>という思いがこみあげできたと帰途の船内で涙を流していた。
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船が岸を離れると、少年が走り始めた。数人の子どもたちが一緒に手を振りながら見送りをしてくれた。船のスピードがあがり、手を振る少年たちが小さくなった。僕はその光景をただ彼の背後で眺めるだけだった。帰途の船の中で三四朗さんは自分の思いを詩に書き、作曲をした。このメロディーが後日「フィッシャーマン島の少年」というタイトルで曲になっている。現在戦果の中となってしまったウクライナ。三四朗さんはウクライナへの思いをこの曲に乗せて演奏活動を行っている。
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