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忘れられない旅の(最悪な)思い出3|インドの歓楽街で半分監禁みたいなことになった話

こんにちは、旅犬です!

旅の最悪な思い出、3つ目です。前回までは単なる金銭的なダメージを負っただけでしたが、ここからは若干命の危機を感じたエピソードになります。


ニューデリーにて

ニューデリー茶色すぎ

前回お話した旧ユーゴ圏バスの旅を始める直前、ぼくはニューデリーに居ました。予定ではインドを3ヶ月放浪しているはずだったのです。イギリス生まれインド育ちのバイクであるロイヤルエンフィールドでも買って、ニューデリーからインド北部のラダック地方を巡る旅をするという想定でした。

しかし、実際にはニューデリーで4日間過ごしただけですべてが無理になり出国。そのままギリシャに逃げました。というのも、ニューデリーに着いてからずっとろくな目に合わなかったのです。

インドに入国して空港から市街部に移動したあと、まず最初にやるのがホテルを探すこと。ぼくはいつも宿泊の前日か当日に適当にネットでホテルを予約するんですが、流石に1泊目のホテルは日本で予約していました。ところが、この予約していたホテルが全然見つからない。

そもそものホテルの場所が入り組んでて分かりづらいし、今ほどの旅スキルを持ち合わせていなかったので当たりをつけるのも難しい状況。さらに、SIMカードを事前に買っていなかったので、ネットも使えないというなかなかにハードモードの中、必死に探したのですが結局見つからず。

最後の手段としてそれっぽい場所を歩いていたおじさんにホテルの名前を伝え、知らないか聞いてみました。結果、案の定面倒くさいことになりました。

「こっちだよ」というおじさんについていくと、到着したのがツアーデスク。ホテルじゃない。もう面倒くさい。有無を言わさず中に通され、なんやかんやあって新しいホテルを取る羽目に。で、取ってもらったホテルに行くと民家でした。ホテルじゃないやん!

その後も中古バイクを紹介されるも相場より高かったり、今度こそちゃんと取ったホテルが停電しまくりで困ったり、1日に2回車が事故ってるの見たり、SIMカード1枚買うのに滅茶苦茶時間がかかったり、トラブル続き。もうさっさと飛行機でラダック地方のレーという街に逃げることにしました。

Ctripの罠

色々あってその後日本で愛車になったロイヤルエンフィールドちゃん

レーに出発する日、さらなる不幸に見舞われました。なんとCtrip(現在のTrip.com)で押さえた航空券のEチケットに間違いが。出発ターミナルに嘘の番号が書かれていたのです。頑張ってタクシーを使ってターミナル間を移動するも、タイムオーバーで飛行機に乗れず。タクシー代は金ドブ。

この段階ですべてが嫌になったのでギリシャに逃げることを決定しました。すぐに航空券を(当然Ctripではないところで!)押さえたのですが、出発は2日後。つまり、丸一日暇になったのです。

ところで、ぼくはクレイジージャーニーという番組が好きです。ちょっとぶっ飛んだ旅人や冒険家、変わった職業の人に焦点を当てたドキュメンタリー番組なんですが、中でもほぼ準レギュラーみたいな扱いの2人――写真家の佐藤健寿さんとジャーナリスト(ジャーナリストでいいのか?)の丸山ゴンザレスさんのファンです。

特に奇界遺産で有名な佐藤健寿さんはかなり昔から好きで、X51.ORGがまだ黒かった時代から存じ上げてました。(古参アピール)

佐藤健寿さんは世界各国の珍スポットの写真を撮っている方なのですが、必然ぼくも影響を受けて珍スポめぐりが旅の目的の一つになっていたのです。

しかしながら、急に空いた1日で行けるような場所に珍スポットはなさそうでした。(あとから気づいたんですが、デリーの錆ない鉄柱がありました)

そこで、たまには丸山ゴンザレスさん的な旅もしてみようと思いたったのです。

丸山ゴンザレスさんは世界中の危険地帯に赴いて取材をされているジャーナリスト、ルポライターです。そして、ニューデリーなんかきったねえし危ない場所だらけ。うってつけですね。

治安終わってそうな場所に行く決めたら、まずは情報収集です。ネットでニューデリーのやばそうな場所について調べると、すぐにいくつか情報が出てきました。その中でもGBロードという場所に行ってみることにしました。

GBロードについて簡潔にまとめると、

  • ニューデリー駅から歩いていける好立地

  • インド最大級の歓楽街(売春窟)

  • 超劣悪な環境

  • 脅威の性病罹患率

  • 人権無視

地獄ですね。とりあえず行ってみることにしました。

GBロードへ

一般通過牛

すえたニオイとゴミの山、喧騒と人だかり、一般通過牛を横目にGBロードに到着です。

ダイナミック野焼き

昼間でしたが、流石に一眼レフを取り出して写真を撮るような雰囲気ではなく、携帯でこそこそ写真を撮ってました。すると、一人のヒョロヒョロのおじさんが近づいてきました。客引きです。

インド訛りの早口英語でよく聞き取れず、それでも頑張って「部屋の中の写真撮らせて」と交渉してみました。なんかよくわからないけどオッケーっぽい雰囲気になったので、そのままおじさんに着いていきます。

GBロードには数階建てのアパートのような建物がズラッと並んでいるんですが、その2階から上が全部置屋になっています。おじさんが入っていったのもそんな建物の一つ。電灯もない薄暗くて細い階段を登っていきました。で、1畳半くらいのめちゃくちゃ狭い部屋に通されました。ぼくとおじさんの2人が入るともう身動きも難しいくらいの広さです。

対決

部屋に入ると、おもむろにおじさんが「女の子来るからちょっと待ってて」と言いました。「いやいや、部屋の写真撮るだけでいいんだけど!」と食い下がると、なんか怒り出すおじさん。面倒なことになったなぁ。(自業自得)

女連れて来る連れてくんなの口論がだんだんヒートアップしていき、ついに激昂したおじさんが殴るふりをしてきました。でも幸いなことに客引きおじさんはガリガリヒョロヒョロなので、そこまで怖くない。最悪殴り倒せるのでまだ心に余裕があります。でも、まあ怖い。

もう良いから外に出せと、無理やりおじさんを押しのけて部屋を出ようとするんですが、ドアを閉めてめちゃめちゃ通せんぼしてきます。ほぼ軟禁状態。部屋の中にはおじさんとぼく、そして鉄格子付きの窓からギリギリ外が覗ける小さな窓があるのみ。

更に最悪なことにここでぼくのウエストポーチに現金20万が入っていることがバレてしまいました。はい、カメラから何から完全フル装備できてたんですね。馬鹿かな? そいつをよこせと普通に現金を強奪しにかかるおじさんvs絶対に渡さないぼくの最悪なほこたてが勃発。めちゃくちゃ怒鳴ってくるので更に上を声量で怒鳴って対抗。ここでナメられたら死あるのみ。でもそのせいでどんどんヒートアップするおじさん。

ちょっと流石にやばそうだったので、もう恥も外聞も何もなく、鉄格子越しに外に向かって「Help Me!」と大絶叫しまくりました。あんなにHelpって叫んだの人生で初です。ビートルズよりHelpって言った気がする。

すると、救世主が現れました。強そうなおばちゃんです。

突如現れたおばちゃんとおじさんが現地語でなにか喋ると、徐々に萎縮するおじさん。逆におばちゃんが怒り出す。何だこれ。

言語もわからないのでその場の雰囲気から察しただけですが、おそらくこのおばちゃん、この置屋のオーナーか、それに準ずるまとめ役的な人です。一方、客引きのおじさんはおそらくこの置屋の人間ではなく、客を適当な置屋に連れて行ってマージンをもらっている外部の人間です。

考えるに、もしこの場で大事になって警察とかが介入した場合、困るのはこの店の人間であるおばちゃんなんですよね。だからだと思うんですが、ガチギレのおばちゃん。客引きヒョロガリおじさんはさっきの威勢はどこへやら、部屋の隅で小さくなってます。

ぼくはその隙を見逃さず、薄暗い部屋の中、影に紛れるようにこそこそと喧嘩するおじおばの横をすり抜け、階段を駆け下り、無事外に出ることに成功! GBロードの薄汚い空気もこのときばかりは新鮮に感じました。

教訓

食べ物はまあまあ美味しかった

そんなこんなでなんとか無事に脱出できたぼくですが、色々と学びました。

まず、貴重品を持って危険な場所にいかないこと。というかそもそも危険な場所にいかないこと。向こうから話しかけてくるやつの言葉は基本的に信じないこと。おばちゃんは強いこと。丸山ゴンザレスさんはすげーなぁということ。などなど。

苦い経験でしたが、この経験によって危機管理能力がちょっと上がった気がします。やばい場所ややばい人間はなんとなく直感でわかるようになりました。が、全くおすすめしないのでみなさんは真似しないでください。

それからしばらくインドが嫌いだったんですが、数年後にまたインドを訪れる機会がありました。そのときは仕事だったこともあって、かなりいい場所に泊まったり、良いものを食べたり(でも路地裏で売ってた冷めたビリアニを食べたら1週間腹を壊した)、結構楽しめました。今ではインドの事、そんなに嫌いじゃないです。ラダック地方の旅もいつかリベンジしたいな。

というわけで忘れられない最悪な旅のエピソードインド編でした! 次回はトルコで死にかけた話を書きたいと思うのでよろしくお願いします! ナマステ~

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