
「車でお遍路」第43番札所 明石寺(「めいせきじ」だけど「あげいしさん」)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、43番目のお寺は、
源光山 円手院 明石寺
42番札所の佛木寺から約14.7㎞、車で約25分の場所、
ここ43番札所明石寺は、42番札所の佛木寺から標高394mの歯長峠を越えていく。峠道の途中で狭い道幅の道路もあるが、これまでの厳しい道程と比べると不安はない(歩きお遍路は大変だと思いますが、、、)。
峠を越えると、またもやのんびりした道路をはしると明石寺に着きます。
このお寺の寺号の読み方は、「あかしじ」ではなく「めいせきじ」。
だけど、本来の名は「あげいしじ」なので、土地の古老は親しみを込めて「あげいしさん」「あげしさん」と呼ぶという。
では、「明石寺」へ参りましょう。


ご詠歌
聞くならく 千手のちかい ふしぎには 大盤石も 軽くあげ石
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
6世紀前半、欽明天皇(在位:539-571年)の勅願により、行者である円手院正澄が堂宇を建立、唐からの渡来佛である千手観世音菩薩をご本尊として祀り開基
天平6年(734年)、行者である寿元は、紀州熊野から十二権現を迎えて十二坊を建立、修験の中心道場とする
弘仁13年(822年)、この地を巡錫中の弘法大師は、荒廃した寺院を見て嵯峨天皇に奏聞のうえ、勅願を受けて再興
建久5年(1194年)、再度荒廃した寺院を、源頼朝が命の恩人である池禅尼の菩提を弔うために阿弥陀如来を安置して再興、山号を「源光山」に改称
室町時代(1338-1573年)、領主西園寺家の祈願所となる
江戸時代(1603-1868年)、宇和島藩主伊達家の祈願所として、武士や領主や藩主からの厚い帰依により栄えた
明治時代初期、神仏分離令により紀州熊野十二権現と分離、現在に至る
大師伝説
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寺号について
寺号について
・・・昔、若くて美しい女神が願をかけ深夜に大石を山に運ぶうち、夜明けに驚き消え去った話を謳ったご詠歌の「軽くあげ石」から「明石」と付けたと伝えられる山号について
・・・かつては「現光山」であったが、源頼朝が「源光山」に改称院号について
・・・明石寺を開基した円手院正澄から命名
ご利益
御本尊の千手観世音菩薩
・・・災難除け、病気平癒、長寿、夫婦円満、恋愛成就などの現世利益と後世利益
御本尊・ご真言
御本尊:千手観世音菩薩
ご真言:おん ばざら たらま きりく
見どころ
山門(仁王門)
・・・明治34年(1901年)頃建立、国の登録有形文化財 耐寒性のある赤い瓦が特徴本堂
・・・御本尊に千手観世音菩薩を祀る 明治23年(1890年)頃建立、国の登録有形文化財 耐寒性のある赤い瓦が特徴 毎年8月9日に御開帳大師堂
・・・明治13年(1880年)頃建立、国の登録有形文化財 正徳2年(1712年)作の大師像を祀るしあわせ観音像と供養塔
・・・境内裏手にある供養塔は源頼朝が命の恩人である池禅尼の菩提を弔うため建立
その他
次の第44番札所「大宝寺」へは80㎞以上と山岳道の遠距離を走ることとなるが最初は美しい風景を見ることが出来るので楽しみたい。

写真
次は、第44番札所大寶寺へ参ります。
2022年4月29日投稿
2022年9月29日改訂
合掌