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「車でお遍路」第42番札所 佛木寺(家畜守護のお大日さん)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、42番目のお寺は、

一ヵ山※いっかざん 毘盧舎那院びるしゃないん 佛木寺ぶつもくじ

※一ヵ山の「ヵ」は、王へんに果。


第41番札所の龍光寺から約3.5㎞、車で約7分の場所、

ここ42番札所佛木寺は、これまでの土佐高知「修行の道場」から続いた長距離ドライブとは打って変わって10分以内の距離で久々にほっとする。

宇和島市はかつて農耕産業が盛んで、農耕で牛馬に頼り強い牛を育てるための闘牛場もある地域。

そのような地域でなんだかのんびりした田園風景の中、立派な山門が現れる。
そこには、四国霊場でも珍しい茅葺の鐘楼堂とかつて農耕で人々と共に生活した牛馬(今ではペット)を守護・供養する家畜堂南予七福神霊場4番札所、として地元民から親しまれている通称「お大日さん」が佇んでいます。

では、家畜守護のお大日さん「佛木寺」へ参りましょう。

境内はゆったり、正面本堂の宝珠が輝いている


ご詠歌

草も木も 仏になれる 仏木寺 なおたのもしき 鬼畜人天きちくにんてん

お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大同2年(807年)、この地を巡錫中の弘法大師は、牛を引く老人に出会い、老人に誘われるまま牛の背に乗り進んでいくと、楠の大樹の枝に光を放つ宝珠を見つけた
    かつて大師が有縁の地を求めて唐から投げた宝珠であり、この地が霊地だと感得した大師は、平城天皇の勅願により堂宇を建立、この大木で大日如来像を彫り眉間に宝珠を納めてご本尊として開基

  • 鎌倉時代(12世紀後半-1333年)、宇和島領主西園寺家の菩提寺として栄える

  • 戦国時代(15世紀末-16世紀末)、戦乱で苦しむ

  • 江戸時代(1603-1868年)、宇和島藩主伊達家の庇護で再建、現在に至る


大師伝説

上述、「歴史」に記した通り


寺号について

  • 山号について
    ・・・大師は、自ら一ヵ(王辺に果)の宝珠をみつけたことから「一ヵ山」と命名

  • 寺号と院号について
    ・・・大師は、楠の大樹に仏さまを彫り、そして草書体で「草字心経」と「華厳経」を奉納して寺号・院号を命名
    因みに院号である毘盧舎那仏びるしゃなぶつとは「華厳経」における中心的な存在の位置づけの仏さま


ご利益

  • 御本尊の大日如来
    ・・・大宇宙を身体としてあらゆる如来、菩薩、明王、神々を生み出す根本仏と考えられており、諸願成就の仏さま

  • 家畜堂・・・牛馬等家畜の安全、ペットの無病息災

  • 大黒天・・・五穀豊穣、財運福徳、出世開運、縁結び


御本尊・ご真言

御本尊:大日如来
ご真言:おん あびらうんけん ばざら だとばん


見どころ

  • 鐘楼堂
    ・・・四国霊場唯一の茅葺屋根

  • 本堂
    ・・・御本尊に眉間に宝珠を納めた大日如来を祀る  享保13年(1728年)に宇和島藩主伊達公が建立 長い向拝と本堂頂の大きな「宝珠」は特徴的 

  • 家畜堂
    ・・・
    農耕産業が盛んだったこの地では家畜の安全を祈願 現在ではペットの供養や無病息災を祈願

茅葺屋根の鐘楼堂、背景にはのどかな山と田園風景


その他

  • 「お大日さん」の愛称で地元の人々から親しまれている

  • 南予七福神霊場4番札所、御本尊は「大黒天」でもある


写真


次は、第43番札所明石寺めいせきじへ参ります。

2022年4月27日投稿
2022年9月29日改訂

合掌

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