「車でお遍路」第51番札所 石手寺(ミシュラン一つ星カオスの札所)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、51番目のお寺は、
熊野山 虚空蔵院 石手寺
50番札所の繁多寺から約2.8㎞、車で約10分の場所、
繁多寺から県道40号線に入り、さらに松山市中心部そして日本最古の名湯で名高い道後温泉に向かい約2㎞強の突き当りに石手寺に到着する。
石手寺から道後温泉まで約1㎞弱、松山城や愛媛県庁まで約4㎞弱、と松山市中心部に最も近い札所。
そして、1318年建立の山門が国宝に指定され、本堂や三重塔ほか6つの日本国政府指定の重要文化財があり、ミシュランガイド日本編で1つ星にも選ばれている。
また、お遍路の元祖と言われる衛門三郎ゆかりの地(第12番札所焼山寺の杖杉庵が21回目のお遍路終焉地)でもある。
その為、石手寺は観光地に近く魅力に溢れているため、お遍路さんのみならず地元の方や全国からの観光客と多くの参拝者で賑わっている。
では、松山市内六番目の札所「石手寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
神亀5年(728年)、伊予の国司越智玉純が霊夢によりこの地に熊野十二社権現を建立
翌年の天平元年(729年)、聖武天皇の勅願により、この地に巡錫した行基菩薩は自身で彫った薬師如来をご本尊として祀り、法相宗のお寺として安養寺の寺号で開基
弘仁4年(813年)、この地を巡錫中の弘法大師は、真言宗に改めて四国霊場第51番札所に定めた
寛平4年(892年)、衛門三郎の伝説により寺号を安養寺から石手寺に改名
平安時代から室町時代(794-1573年)にかけての最盛期には、伊予の豪族である河野家の庇護のもとで大いに栄え寺域は約66,000㎡と広く七堂伽藍六十六坊を数える大寺院となる
天正年間(1573年~1592年)、天正の兵火により堂宇の大半を焼失
大師伝説
寺号について
寺号について
・・・四国お遍路の元祖衛門三郎伝説によるもの(上記大師伝説参照)山号について
・・・伊予の国司越智玉純が熊野十二社権現を祀ったことが由来
ご利益
御本尊の薬師如来
・・・大医王仏、医王如来とも呼ばれ、十二誓願の現世利益の仏さま(病気平癒、他)
御本尊・ご真言
見どころ
【国宝】山門(仁王門)
・・・文保2年(1318年)建立 鎌倉期様式の建築を今に残す【国指定の重要文化財】本堂、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂、愛媛県最古の鐘楼、木造の金剛力士像
・・・鎌倉時代の建築、護摩堂のみ室町時代に建立大師堂(落書堂)
・・・かつては正岡子規や夏目漱石など文化人の落書きがあったことから「落書堂」とも呼ばれている訶梨帝母天堂
・・・訶梨帝母尊を祀る祠。安産を祈願する人が丸い小石を備える信仰があるマントラ洞窟(曼途羅洞窟)
・・・洞窟内に金剛界・胎蔵界のマントラを表現石手寺七不思議
・・・渡ると足が腐るという「渡らずの橋」を含め七不思議、さらに石にまつわる伝説も多い
その他
石手寺は衛門三郎ゆかりの地。
因みに、第47番札所八坂寺は衛門三郎の生誕地、第12番札所焼山寺は弘法大師と出会った札所。
写真
次は、第52番札所太山寺へ参ります。
2022年6月13日投稿
2022年10月6日改訂
合掌