「車でお遍路」第38番札所 金剛福寺(四国最南端足摺岬に建つ札所)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、38番目のお寺は、
蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺
37番札所の岩本寺から約95.0㎞、車で約120分の場所、
ここから、また車で約2時間のドライブが始まる。
今度は最後の清流と呼ばれる四万十川河口の渡川大橋を越えて、風光明媚な足摺岬の突端まで走ることとなる。
そして、足摺岬を見下ろす丘に亜熱帯植物による南国ムードの漂う岬一帯120,000㎡超という広大なスケールの札所に到着する。
「修行の道場」の名がつく高知県のお遍路、車だとその大変さを知ることが出来ない。
せめて、時間に余裕をもってこの札所を参拝する道程に、可能な限り四万十川や足摺岬の観光もセットにして、空気感だけでも弘法大師の気持ちに寄り添いたい。
では、四国最南端足摺岬に建つ札所「金剛福寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
弘仁13年(822年)、この地を巡錫中の弘法大師は、足摺岬の樹海や断崖絶壁、大海原の大自然を目の当たりにして観世音菩薩の理想の聖地であるインドの南海岸「補陀洛」の世界観を感得
この事実を嵯峨天皇に奏聞したところ、勅願により伽藍を建立し三面千手観世音菩薩を彫り御本尊として安置、「補陀洛東門」の勅額を受け、「金剛福寺」と名付けて開基
平安時代(794-1185年)後期、観音霊場として幅広い信仰を集め、歴代天皇や源氏一門などの武将から厚く帰依され隆盛を極めた
鎌倉時代(12世紀後半-1333年)後期、南仏上人が院主となり再興
戦国時代(15世紀末-16世紀末)、一時荒廃
17世紀後半、土佐藩主山内公により再興、現在に至る
足摺山七不思議伝説
寺号について
山号について
・・・山門には「蹉跎山」とともに石柱には「足摺山」と記してある。
「蹉跎」とは、「足摺」のことで、「つまづいて進むことが出来ない」(日本国語大辞典より)という意味。
住職であった金峰上人が、暴れて修行を邪魔する魔界の者たちを呪い伏せると彼らが蹉跎して退いた後に蹉跎山と命名したという由来院号について
・・・上述の通り「補陀洛」の世界観寺号について
・・・金剛福寺の「金剛」は、大師が唐で投げた金剛杵(第36番札所青龍寺参照)の一つである五鈷杵がこの地に着いたこと、「福」は「観音経」の「福聚海無量」の福に由来している
ご利益
御本尊の三面千手観世音菩薩
・・・災難除け、病気平癒、長寿、夫婦円満、恋愛成就などの現世利益と後世利益
御本尊・ご真言
見どころ
山門(仁王門)
・・・嵯峨天皇直筆の「補陀洛東門」の勅額(嵯峨天皇は大師、橘逸勢と平安初期の三筆のひとり)本堂
・・・御本尊に三面千手観世音菩薩を祀る土佐五色石の庭園
・・・高知県特有の数々の美しい色の石や奇岩により見ごたえのある庭園境内
・・・境内は広く見どころも多いため、時間をかけてゆっくり参拝したい足摺岬
・・・周辺には足摺山七不思議伝説が点在、また中浜万次郎(ジョン万次郎)像などもあり、観光地でもありゆっくり散策したい
おまけ情報
一般的に千手観世音菩薩は十一面が多いように思いますが、三面千手観世音菩薩は珍しいが、一面や二十七面の作例もあるとのこと(Wikipediaより)
第36番札所青龍寺から第37番札所岩本寺まで約55㎞、岩本寺から第38番札所金剛福寺までは約95㎞、と二ヶ寺で合計150㎞、車でさえ合計約200分(3時間20分)かかる
歩き遍路だと気の遠くなるような四国霊場の中で非常に長い旅路、まさに高知県が「修行の道場」と言われる所以です
写真
次は、第39番札所延光寺へ参ります。
2022年4月19日投稿
2022年9月23日改訂
合掌