「車でお遍路」第64番札所 前神寺(はじまりは鎮護国家と仏道修行の道場)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、64番目のお寺は、
石鈇山 金色院 前神寺
63番札所の吉祥寺から約3.1㎞、車で約10分の場所、
前神寺も宝寿寺と同じく国道11号線をほぼまっすぐ走るだけ。前神寺へ右折する標識だけ見落とさなければ大丈夫。
西条市には5つの札所があるが、前神寺は、60番札所の同じ石鎚山の中腹にある石鈇山横峰寺からはじまった西条市最後の札所となる。
その横峰寺は、険しい遍路ころがし最難所や伊予の関所寺ともいわれる西日本最高峰(1982m)の石鈇山の山岳霊場だったが、ここ前神寺はその麓にある修験道の根本道場。
前神寺は、横峰寺と同様に役行者小角が開基したと伝えられるが、石鈇修験道の根本道場として信仰を集め、皇室との縁が深く、歴代天皇が厚く帰依して保護したお寺である。
では、石鈇山修験道の根本道場「前神寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
天武天皇5年(676年)、修験道の祖・役行者小角は石鈇山で修行中に釈迦如来と阿弥陀如来が石鈇蔵王権現として現れたことから、その尊像を彫り安置して、石鈇山中に鎮護国家、仏道修行の道場として開基
延暦年間(782-806年)、桓武天皇は、病気平癒の祈願をしたところ成就しかことから、国司に命じて現在の石鎚神社の場所に七堂伽藍を建立、勅願寺と定めて「金色院前神寺」の称号を下賜
平安時代(794-1185年)初期、弘法大師はこの地に2度入り、虚空蔵求聞持法や断食修行などを行い護摩供の秘法を修して四国霊場に定める
文徳天皇(在位:850-858年)・高倉天皇(在位:1168-1180年)は仏像経典を奉納し、堂塔を建立している。以来、後鳥羽天皇(在位:1183-1198年)、順徳天皇(在位:1210-1221年)など多くの天皇の信仰が厚い
伊予西条藩も祈願寺として境内に東照宮を祀る等帰依厚く、紀州徳川家の分家である西条藩主松平家の家紋「三つ葉葵」の寺紋への使用を許可したもの
明治時代(1868-1912年)初期には、神仏分離令により「廃仏毀釈」と境内地、建物、参道、寺領等すべて没収され寺院は廃寺 その地に石鎚神社を建立
明治11年(1878年)、檀家から強い復興願いが出されたことから現在地で神の文字を使わず「前上寺」の寺号での再興が許可された
明治22年(1889年)、「前神寺」の呼称が許されたことから元の寺号に戻して復興 真言宗石鈇派の総本山として、また修験道の根本道場として法灯を伝えて全国に30万人を超す信徒にを抱え現在に至る
大師伝説
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寺号について
山号について
・・・前神寺が位置する山岳信仰の霊地石鈇山は、石鎚山の表記の一つであり、前神寺と横峰寺では「しゃくまざん」とも呼ぶ院号と寺号について
・・・桓武天皇が、勅願寺と定めて「金色院前神寺」の称号を下賜
ご利益
御本尊の阿弥陀如来
・・・「南無阿弥陀仏」と唱えることで迷いや苦しみから救いを求める全ての人を、悟りへと導く来世利益の仏さま(極楽浄土へ迎え入れてくれる)石鈇山大権現
・・・病気平癒にご利益
御本尊・ご真言
見どころ
本堂
・・・御本尊に阿弥陀如来立像(秘仏)を祀る。神社のような立派で美しい大きな建物が背景の自然に溶け込んでいる。大師堂
・・・屋根上の飾り瓦や宝珠などの装飾が美しい。石鈇山大権現堂
・・・大権現さまは病気平癒にご利益があるが、現在は工事中で本堂にお祀りしていました(2022年4月時点)御瀧行場不動尊
・・・かつては滝行が行われていたともいう(?)。岩壁には1円玉が無数に張り付けられていましたが、理由は定かではありません。
写真
次は、第65番札所三角寺へ参ります。
2022年7月12日投稿
2022年10月10日改訂
合掌