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[閑話]適応障害から五年間、苦しみや現実から逃げていた僕の生き方
2019年8月、適応障害になった。
それからかれこれ今日までで5年と5ヶ月が経過している。
一般的に適応障害が完治するには6ヶ月程度とされているので、すでに治っている。と思っていた。初期診断の適応障害が正確であればそのはずだ。
ところが、今現在はどうかと言うと、治ってるとは言えない。
何をしても出来なくなった苦しみ
治ってないと自覚したのは、このブログを始める少し前のことで、それまでの僕は自覚してないままに、ただ苦しんでいたし、自覚がないから、女神ちゃん(妻)も苦しめていた。
と言うのは、この数年間に何度も何度も仕事に挑戦はしてる。就職までは厳しいと思い、とりあえずパートで働いたり、フリーランスでも仕事を受けたりと、試して来た。
元々フリーランス的な働き方をして来てたし、そこでの仕事の取り方も問題なくできるから、それで何とか前のように戻れるんじゃないかと、過去の自分を信じてやってきた。
もちろん、心の傷なんて治ってると思ってたし、前のように仕事もこなせて、顧客も増やせると思ってたけど、なぜか上手くいかない。
何が上手くいかないのかも分からないが、一言で言えば意欲的に仕事に取り組めない。中には頼まれてお金のためにと割り切って、やりたくない仕事も受けたりしたけど、そういうことじゃなく、楽しいと思えてた仕事も取り組み始めると、しんどさを感じ始める。
広告してから2ヶ月後に100万円の売上が立ったことがあった。これはもう前以上にやれるんじゃないか?と感じたし、最高のスタートやん。と期待していた。女神ちゃんも同じだったかも知れない。
だけど、どれも長く続けられなかった。自分の弱さが原因か?とか、これまでの仕事は本当にやりたいことじゃなくなったのか?とか、色々考えたけど、そじゃないと思いたかった。だって、以前は普通にというかがむしゃらに出来ていたことたちが、出来なくなっているなんて現実を受け入れられるわけがない。
怪我などで絶望を味わうスポーツ選手ほどではないかも知れないが、そんな現実を受け入れるってことは、これまで積み上げてきた経験とか実績とかも自分から無駄にするようなことだ。そう思ってしまう。だから、見て見ぬふりをしながら、現実の自分を否定し、過去の自分を生きようとしてしまう。
だけど、今は過去とは違う。
僕たちは今しか生きられない。過去を生きることはできないし、未来もかつて描いたようにはいかない。常に今の自分が描ける明日しか生きることはできない。そして、その明日は今を生きている現実の自分を受け入れることでしか描けない。
だから、2019年からの僕には明日が見えなかった。描くことさえ出来なくなっていた。女神ちゃんのために生きたいと思えたのに、その方法が描けない。これがずっと辛かった。どんな未来を生きたいかって理想はあっても、そこまでの道のりが地続きで考えられない。
これまでやれてきたことをやっても、それはその場しのぎで、その先は描けていないから、やればやるほどに苦しくなる。そもそも、意欲も情熱も湧かない精神状態でやるべきではないことばかりを選んでいたから、当然だろう。
そんな風に自分にさえ問題の原因が分からないままでも、女神ちゃんはなんとかしようと支えてくれてきた。僕以上に僕のことを見て、考えてくれていた。
今年に入って、「まだ適応障害から治ってないんじゃないですか?」と改めて言われ、「もしそうなら、働く以外の道もあるから、相談してみたら?」と付け加えられたとき、僕は本当にそうなのかも知れない。と感じ、今の自分を向き合うことで、新しい生き方が見つかるような気がした。
この時も、請け負った仕事が上手くいかない出来ごとがあった直後だったから、正直、自分を責めて、価値がなくなったことを痛感し、お先真っ暗な気分に陥っていたタイミングで、ある意味で絶望していたこともあり、素直にそうなんだろうと考え直すことができたんだと思う。
そこで、今の自分が生きてる現実を受け入れるという意味も込めて、女神ちゃんから提案された旅紐の情報発信も始めた。
受容するという生き方
僕はまだ自分が適応障害以上の障害なのかどうかは分からない。診断される日までは、その不安を抱えていなければいけない。病気だと思える方が楽になることがあるとは思わなかったが、自分を受け入れるということはこういうことなのだろう。
実際、このブログを始めてから、毎日過去の自分と向き合う中で、少しずつ今の自分が抱えていた苦しみが分かり始めている。言葉にして説明することはできないが、過去に起こったあれもこれもがなぜなのかってことも感覚で分かることが増えたからだ。それは悪いことも良いことも含めて。
心の傷は見えないし、完治もないと思うけど、傷を抱えたままでも希望を抱いて、自分を信じて、生きていける道はあるようだ。
気付けただけでも嬉しい。これが僕と女神ちゃん、二人の明日の幸せに繋がる一歩となるように、僕はこの道を歩く覚悟を決めた。僕を支えてくれる女神ちゃんを幸せにすることだけが僕の描く未来だから、精神障害も新しい生き方も全て受け入れて、僕は今の僕だけが実現できる幸せを掴む。
追伸
そういえば、既出の通り、僕は自分が無価値だと思うことが多かったんだけど、その度に「消えたい」とか「今すぐに死ねたら楽やのに」と考えていた。生きてるだけで誰かに迷惑をかけたり、傷付けるなら、そんな僕が女神ちゃんを幸せにすることはできないと思うからだ。
だけど、ここ数日はそういった負の感情で自分を責めたり、否定したりすることがない。ないというか減ったという方がまだ正しい。浮き沈みの問題かも知れないが、これは僕にとって大きな前進だ。
と言うことで、閑話休題。
次回からはまた旅紐を綴っていく。次はどこでどんな旅紐をしてきたのか?乞うご期待。