大人を嫌なものにしているのも大人
どうもどーばーです。
そろそろやばい気がしています。というのも最近、疲れているはずなのに変な時間に目が覚めることが多いです。なんだろう、またしても心と体が別々になってきているような、そんな気がします。
とはいえ、だからといって今辞めるのは正直まずい。全然金がたまっていないからな。だがそろそろ、ライターの仕事とかでも開拓していかないとな。
ということで、いつもの戦績については、今日は発表しません。理由は後で説明します。
ちなみに今日は成人の日ということで、今日成人となった人も多いと思う。今年は例のウィルスとか緊急事態宣言とかで中止になったりと、やべえ感じになった。
普段はこういう時事ネタ系はそこまで食いつかないのだが、最近Twitterでフォローされるフォートナイトがらみのアカウントの大半は、中学生とかが多そうだからな。そしてその中には、大人になるのが嫌だと考えている人もいるはずだ。
だからといって、大人はいいもんだよというつもりもないし、現実ももちろん伝えるが、そればかりでもないということも今日は伝えたい。
そもそもなぜ大人になるのが嫌だという人がいるのか、それはろくでもない大人がゴミみたいに多いからだ、と思う。今もそうだが、いい大人がくそみたいなことしか言わないのを何度も目の当たりにしているし、さらに言っちまうと今の首相もクソだ。そのくせに大人だ大人だと威張り腐っているのだから、いやになって当然だ。
実際自分もそんなくそみたいな大人や社会のせいで心ぶっ壊れているし、憎悪しか抱いていない。
でもすべてがそうかと言われると、案外そうでもない。自分のことをわかってくれている大人も、ほんのわずかだがいる。それもまぎれもない事実だ。
ついさっきだが、ちょうど社会人一年目が今のような状況の渦中だったという人が書いたnoteの記事を読んだ。その人はかわいそうだとは思わないようにしているらしい。その理由が、例年というものを知らないからだ。
例年という言葉は、正直言って嫌いだ。いかにもそれが常識であり当たり前というような感じがして、どうも好きになれない。その常識ということを盾にえらそうにしているやつらもいるから、なおさら嫌いである。でも今は、その例年や常識というものがことごとく壊れている。
今日成人を迎えた人も、そして今後迎える人に俺は言いたい。大人を最も楽しむ方法は、己を貫くことと、限界まで自分に贅を尽くすことだ。
高校卒業後社会人になった俺は、とにかく周りのことを気にしながら動いていたつもりでいた、でもそれでも会社に裏切られ、社会にいじめられた。しかもそれが何度もあった。そのたびに俺は、自分の中に強い芯を持つことは大切だと思い知った。
社会のために働け、会社勤めなのは当たり前だ、そんなくそみたいなもんにとらわれるな。自分のやりたいようにやれ。そして、つらいときは思いっきり自分にご褒美をくれてやれ。
社会人なりたてのころは全くそういうことをしなかったが、去年から自分へのご褒美を意識するようになってからは、つらいときでもなんとか被害を最小限にとどめられるようになった。休みたいと強く思うときは休み、ステーキが食いたいと思ったらステーキ肉を買って一人で悦に浸りながら食う。そうしたことによって、自分の気持ちの維持がしやすくなった。
今までも、そしてこれからも、俺は言葉を通して誰かの背中を押したり、勇気づけてきた。心を刺激してきた。だからこそ俺は、今度は言葉だけでなく、行動でも何もかも、すべてを使って心を刺激していく。それが俺の使命でもあるから。
ということで、この流れからなぜそうなるのかはわからないが、この後youtubeでフォートナイトの生放送をします。まあ、1モニターで生放送をするのは正直やりたくなかったが、フォートナイトだったらできるかも、という実験もかねて行います。
最近Twitterでフォートナイト関連で俺をフォローしてくれる人も徐々に増えつつあるから、タイミングとしてもそろそろやってもよいかなと思う。
てなわけで、今日はここまで。