仕事でわけもわからずもがいていた頃の自分は、水のない所で跳ねる魚のようだった
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、私が仕事を始めて間もない時期、「何すればいいのー」と思いながら働いていた頃について書いていきたいと思います。
完全にただの情けない人のエピソードかもしれません。
※個人的なエピソードなので、多くの教員に当てはまるわけではないことをご理解の上、お読みいただければと思います。
私のしょうもないストーリーの一部が教育に関わる方や仕事で元気をなくしている方のお役に立てば幸いです。
目次は、以下の通りです。
①わけもわからずもがいていた自分
小学校の教員になった時、やる気だけはあったと思っています。
「子どもたちのためになることが少しでもできるように頑張ろう!!」と息巻いていたのです。
「何が子どものためになるのだろうか。」といったことや「みんなのためになると言えることってあるのだろうか」といったことは微塵も考えず、やるぞーー!みたいな能天気な感じだったと記憶しています。
子どもが来る前に何をするのか、授業準備や子どもの対応以外に何をすれば良いのか。
ほとんどわかっていませんでした。
赴任して、いきなり職員会議が始まり、わけがわからないまま必死に話を聞いたものの話がよくわからず、絶望状態のスタートを切ったことは鮮明に覚えています。
最初に、15分でもいいから、これから何が始まるかくらい共有してくれても良いんじゃないかと10数年たった今でも思います。
また、驚きだったのが、赴任して、いきなりの職員会議で提案の説明をしてくださいと言われたことです。
なんのこっちゃさっぱりでした。
提案の文書は当然作っていませんし、自分の役割も知らない状態で提案をしてくださいと言われた時、さすがに「どうすれば良いですか?」となりました。
「この資料を読めばいいんだよ。」と教えて下さった方がいて、ことなきを得ました。
ですが、後から「なんてこった。職員会議ってこんな感じなのか!!」と衝撃を受けました。
また、「資料を読むだけなら、誰かが音読しなくても良いんじゃないか?」と強く感じました。
この先いったいどうなってしまうんだろう。
そんな風に思って、「職員会議では皆さんどのようにメモを取ったり、話を聞いたりしているのですか?」と質問をしてみた気がします。
「よく話を聞いて、重要なところをメモすれば大丈夫」と教わったと記憶しています。
しかし、当時の自分は、重要なことが何かわかっていなかったのです…
②わからないことがわからない
4月当初の職員会議は、情報量が特に多く、検診や時間割、学校内での役割分担、行事予定などなどいろんな情報が山のように押し寄せてきました。
とりあえず、手当たり次第メモをしていったのですが、メモが間に合ってなかったり、メモしなくていい行事をメモしたりと慌てふためいていました。
「昨年度と同様に〜〜します。」という説明を聞くたび、「昨年とは…」となって、さらに混乱する始末。
わからないことリストを作っておけばよかったのですが、
✅次から次に押し寄せる情報に混乱して何がわからないのかわからない
という悲しい状態になっていました。
ですが、思い返してみるとわからないことがわからなくなって、ちょっと仕事が進んだ気持ちになっていた気がするんです。
自分の防衛本能なのでしょうか。
とにかくわからないことがわからない状態というのは恐ろしいもので、「わからないことがあるまま何かの当日を迎えてしまう」なんてことがあるわけです。
やる気はあるんだけど、わからないことがわかっていないから、空回りしている。
どれだけやる気を出してやってもやるべきと考えられていることができていない。
その時の自分は、まるで必死に、陸の上でぴちぴち跳ねるお魚のようでした。
頑張りたいし、頑張っていたつもりだったのが、ものの見事に打ち砕かれる。
原因がよくわかっていないため、次どうしたら良いかもわからなくて、負のループに入っていく。
ずっと水のないところでぴちぴちしている魚でした。
当然、私は死んだ魚のような目になりました。
子どもが来る前くらいからこんな状況で、果たして大丈夫だったのかと言われれば、全くそんなことはありません。
むしろわけのわからなさに拍車がかかって、私はさらに迷走を始めました。
子どもがきてからの迷走っぷりは、また次回改めてまとめていきたいと思います。
今回は、以上になります。
私のダメダメなストーリーをお読みいただきありがとうございました。
この記事が少しでも皆さんのお役に立てば嬉しいです。
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