TOMoki
2021年夏。北海道を旅したエッセイの連載です。 ツーリングと焚火と、ときどきお酒。 旅慣れたようで不器用な、年月を経て改めて感じること。 通勤電車の中で、息抜きがてらカフェで、晩酌の肴として、湯船で。旅がしたくなったら、そうでなくても、気軽に読んで下さいませ。
R274は徐々に標高を下げ、夕張を過ぎた頃には樹海、山といった雰囲気は薄れ、ポツポツと納屋や民家のある里山という感じになり、やがて稲作の風景も現れる。この頃になると、湿気っていた空には晴れ間が見え始めていた。 R274を道なりに進むと札幌方面へ向かってしまう。千歳のある西へ向かいたく、JR川端駅付近で道道462号に乗り換える。森、田んぼといったのどかな風景に、畑にはビニールハウスも現れ、向こうには高速道路の高架が見える。もう、景色の中に期待する北海道らしさを見つけるのは難
8日目。明け方にサーっとひと雨降り、そのまま厚い雲が覆う。最終日の今日は、テントをしっかり乾かして終えたかったのだが。 元来ぼくの生活リズムは夜型だが、旅での朝はそれなりに早い。5時頃に目が覚めて、暑さや蝉が煩くてもう眠れそうにないと諦め、そのまま撤収を始めることもあったが、たいていは6時台に起きる。目覚ましをかけなくても、周りのテントがガサガサとし始める音で起きることができる。朝の静けさの中、テントのファスナーが開かれるときのジャーとかシャーとか、ゥウィイイイという音は
今夜泊るのは、日高山脈を越えて少し行った、R237とR274が交差する道の駅 樹海ロード日高に程近いキャンプ場だ。地図を見ていると、数学の先生が板書するときのxの文字のように国道が交わっており、つい目に留まってしまった。他にキャンプ場の選択肢が殆どなかったからでもあるが。 樹海というネーミングは、湿っぽくて暗く、どちらかといえばなんだかよくない印象さえあるが、樹海ロードに近いこのキャンプ場は、川沿いにあって十分に陽の光を浴びた明るい芝生で、しかもサイトにバイク乗り入れが
7日目。起きて、何の気なしにリモコンを手にとり、テレビを付ける。せっかくキャンプ脳になっていたのに、ボタン一つで日常と変わらない暮らしに戻ってしまう。天気予報をチェックするだけのつもりが、高校野球。智弁学園がスクイズの場面で、思わず見入ってしまう。 ホテル泊のおかげで、昨夜はこの旅で初めて熟睡ができた。暑さ、蚊に刺されたかゆみ、夜明け前から一斉に鳴き出す蝉。強風でバサバサとタープが煽られ、ときに枝が落ちたのか飛んできたのか、テントにバサッとぶつかる音。なんだかんだとあって
ジーパンの乾燥を待つ間、1階のカフェ&バーの店員に、付近でおススメの店をいくつか訊く。ぼくの仕事柄、日本酒のメニューが豊富な店が気になるが、どうもそこはバー使いのような店だった。腹が減っており、しっかり食べて飲める店となると限られる。その中で、いくらか日本酒がありそうな店をネットでも調べたが、いまいち様子がわからなかった。3軒に電話を掛け、一人でも食べられそうなメニューとカウンター席の有無を確認し、そのうちの1軒に予約を入れた。 乾いたジーパンに履き替え、ホテルを出るとき
18時過ぎ。ようやく帯広駅前に近いあたりに着き、ホテルを探すためにバイクを停めた。凍えながらなんとか辿り着いたという状況で、安堵したせいか、急に手先がブルブルと震えだした。指が思うように動かず、スマホの操作に手間取る。 ビジネスホテルなら8,000円程度の部屋がすぐに見つかるだろう高をくくっていたが、想定外に満室が多く、選択肢は少なかった。 予約したホテルは、ここから駅に向かって2ブロック先を曲がってすぐだった。すぐ近くではあるが、再びバイクに乗るには、心も体も重い。濡れ
それから、雨と寒さの苦行はすぐに始まった。R241の阿寒湖から西はなだらかな道で、よくも悪くもスピードに乗る。少しでも早く安堵できる場所に着きたい。しかしスピードが上がれば受ける風も強く、どんどん体温が逃げていく気がする。時速何キロで走るのがちょうどいいのかは分からないが、前をいく車と同じペースで走ると、70~80km/h程度だったと思う。冷たい、寒い、辛い。そればかりだった頭の中は、やがて何も考えられなくなり、道路標識に『オンネトー』の文字を見て以降のしばらくは、雨と森と
寒さ、尿意に耐えた末、ようやく道の駅 摩周温泉に着く。ヘルメットを脱いで一瞬でも頭をさらすのがイヤなくらい、雨は激しい。小走りでトイレへ駆け込んだ。ひとまずの安堵であったがしかし、寒さでかじかんだ手指は思うように動かず痛く、また湿って硬くなったジーパンのボタンフライが、留められない。合羽のパンツは半脱ぎ状態で、次の人の邪魔にならないよう、ペンギンのようにひょこひょことトイレの奥の隅っこへ移動し、ボタンと格闘する。 道の駅 摩周温泉は、雨宿りで駆け込むライダーがひっきりな
6日目。本降りの雨。 昨夜、テントからの灯りも音沙汰もなく、いつまでも気配がなかったので、もしかしたら昼間の出先のどこかで事故にでも遭ったのではないか、と心配したヤマハ乗りのおじさんは、何事もなかったかのように居り、朝の挨拶を交わした。昨夜ぼくが帰って来た時は暗くて気付かなかったが、バイクをテント脇から屋根のある違う場所へ移動させ、おじさんは早々にテントに籠って寝ていたらしかった。おじさんは、今日もここに連泊するつもりらしい。 雨風は昨日よりも強く、そして一段と寒い。旅
土地はもて余すほどに広いはずで、44という若い番号の国道ならそれなりに交通量もあるはずだが、国道44号は片道1車線で、しばしば続く追い越し禁止区間では、1台のトラックの後ろにずらりと車が溜まって連なる。電車ごっこのような風景だ。追い越し禁止区間が終わっても、道がカーブしていて対向車の有無が見えなかったり、または向こうに対向車が見えるなどして、追い越すに追い越せないという状況が続く。 やがて、その長い列を飛び出していった勇気あるものは1台の白いスポーツカーだけで、他のみな
寒さで手がかじかむ。5分も経たないうちに展望台を後にした。駐車場に戻りトイレに行くが、雨で濡れて硬くなったジーパンのボタンフライを留めるのに、寒さで指が痛く、苦闘する。 予定していた時間よりは遅れているが、どうしても温まりたい。岬と町の間の、町はずれにある『霧多布温泉ゆうゆ』は、誰もいなかった岬の印象からは想像できないほどに客がいて、明るいショックだった。駐車場に停まっている車の殆どは地元ナンバーだが、1台だけ他県のバイクがあった。脱衣所には、おそらくは少しでも乾かした
羅臼を発ってからの運転は、寒く苦しく辛かった。なるべく雨と風に当たらないよう身を小さく屈めながら走り、後半はいよいよ無心状態だった。ずいぶん長く、もう何時間も耐え続けたような気がするが、実際には30、40分程度だった。 寒さと尿意にいよいよ耐えられず、標津(しべつ)町のコンビニに立ち寄り、ホットの缶コーヒーを手に取る。ひとまずの安堵からか、何も考えずにレジへ持っていったところ、店員が「まだぬるいですが、熱いのと替えますか?」と、気を利かせてくれる。熱いのに取り替えてもら
5日目。ザーザーと降る雨の朝。サイトの森では、目の前をリスが走り回る。お湯を沸かし、コーヒーではなくワンタンスープ。昨夜の遅くに来たハーレーの兄さんは、寒くてやってられないから、今夜は帯広あたりのライダーハウスに逃げます、と。 「おはようございます。いやー、こう寒くっちゃ動けないよね。今夜もここに泊まろうかな」。昨日、ぼくよりも先にテントを張っていたヤマハ乗りのおじさんが声をかけてくる。8月上旬だが、明日の最低気温は10℃を下回る見込みらしい。おじさんは、コロナで仕事がな
まだ雨の心配があった斜里から知床まで走ってきたが、どうやらこちらは天気がいい。合羽を脱ぐためにウトロの道の駅へ寄ったが、その隣にある知床世界遺産センターに気が向いてしまった。 駐車場の半分ほどは車で埋まっていた。施設に入ってみると、幾人もが展示された写真や解説に見入っていた。展示されている動物たちや自然の写真はダイナミックで美しい。博物館のように詳細で丁寧な情報がたくさんあり、つぶさに読み込んでしまう。知床の気候や風土、動物たちと人間の関わり方などを学ぶことができる。
4日目の朝は、ミスティな雨で始まった。わかってはいても、やはり雨は嫌なものだ。他のテントの人はおろか鳥も皆、外に出るのが億劫なのか、霧雨のサロマ湖畔でぼく以外に動くものはいない。少し待てば天気が回復するならぼくもゆっくりするが、予報ではその見込みはなかった。それで早々と撤収に取り掛かりはするが、動きは鈍い。昨夜に洗った調理や焚火の道具などは乾いておらず、ほかに雨で濡れたテントの道具など、拭かなければならないものが多い。せっかく拭いたものがまた雨で濡れないようにと、狭いタープ
キムアネップ岬の付け根辺りにある駐車場からは、晴れていれば、湖面に沈む夕日の美しい姿が観られそうなスポットである。だが、雲が覆いはじめ、灰色がかったオレンジ色の空に、太陽の姿は見えない。真っ平らにひらけた短い芝のキャンプサイトには、すでにいくつかのテントが張られていたが、数える程度で、閑散とした雰囲気だった。 サイトの、駐車場にすぐ近いところには数本の木々があり、その横にわずかにある平らな芝生がベストポジションと思われたが、すでに先客がいる。空いているこの広いサイトの中