「表現を仕事にするということ」を読んで、自分の仕事について考える
ニューヨーク行きの機内で、小林賢太郎「表現を仕事にするということ」を読んだ。これは、noteの記事をもとにして、今春に出版された本である。
私(Satoru)は、小林賢太郎さんの作品をあまねく鑑賞したわけではない。熱心なファンを名乗るにはためらいがある。しかし、短くない歳月を通して尊敬のまなざしを注いできた。安直にカテゴライズのできない、白い孤峰のような表現者。それが私の印象である。
アイデアの出し方。
アドバイスの受け取り方。
感受性と、ストレスと、泣き寝入りの美学。
50歳を超えた小林賢太郎さんが、こうした小題をめぐり、柔らかく、重心を低く、率直に書いている。考え抜いて、決断をして、静かに傷ついて、そうして多くの作品を世に出してきた、彼自身の軌跡を語っている。
私は、「超旅ラジオ」をより面白くするためのヒントを期待しながら、小林賢太郎さんの語りに没入していった。
読み終えて、私の内部に濾されて残ったのは、むしろ、私の本業についてのインプリケーションであった。
例えば、小林賢太郎さんは、「できること⇔できないこと」の軸と、「やること⇔やらないこと」の軸を設定する。その2つの軸を交差させて、自分にとって大事なものを意識することが大切だという。
20代の小林賢太郎(ここから敬称略)は、フリートークをがんばるのをやめた。それは彼のなかで「できること」だが「やらないこと」だった。芸人だからといってフリートークをやる必要はない。彼はそのように判断した。
小林賢太郎は、ラーメンズを「ネタに特化したコント職人」にしたかった。それは私の印象とも合致する。何を捨てるかを決めることが、的確なブランディングにつながった。
彼の思考は、「できないこと」かつ「できるようになりたいこと」の特定にも及ぶ。当時の小林賢太郎にとって、それは「体内時計で90分を測る」ことだった。
なんだそりゃ。私は思わず笑ってしまった。
でも、よく考えてみれば、体内時計で90分を測れたら、それを活かせる場面は多いかもしれない。とりわけ、演出兼役者として、舞台のクオリティーに責を負う立場にあっては、かなり応用のきく能力なのかもしれない。
こんなふうに、ちょっとした驚きがまずあって、しばらくして納得がやってくる。そうした読書体験を好ましく思う人にとって、この本の独特のリズムは、きっと心地よい響きをもたらしてくれるにちがいない。
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