⑤2001年ユーラシアの旅 (陸路一周): ロシア→フィンランド
露都モスクワでは、残念ながら駅前あたりしか見られなかった。7日間乗りっぱなしの後はロシアのトランジットビザが残り3日しかなく、またガイドブックもない私にはバウチャー制度(宿泊先からの確認証)がよく分からなかったので宿もなかった。また悪名高い汚職ポリスにつかまるのも恐ろしかった。モスクワに着いてすぐに、その日の夜のフィンランド行き列車の予約を行った。
あふれるキリル文字や駅前の露店バザールのエキゾチックさに強い印象を受けた。当時はまだほっかむり(スカーフ?)をかぶった女性が結構いたように思い出され、欧露はいわゆる「(西欧)ヨーロッパ」のイメージとは違うなと思った。
露店には美容用品なども売っていた。当時日本では綺麗なプラチナブロンドの毛染めは一般的に売られていなかったので、ひどく黄色い金髪だった私には、スラブ人向けのいかにもなプラチナブロンドの毛色のパッケージ写真が素敵に思えて露店で一箱買ってみたが、全てロシア語だしほぼ白に近い色でちょっと怖くてついに使うことはなかった。
なお昨年2020年にはサンクトペテルブルグに行く予定だったが、残念ながらコロナでポシャッたのでまだ今年様子をうかがっている。あれからロシア語を選択したり用意を進めてきたのに、旧ソの他国はちょこちょこ行っているが、まだ「ロシア」は再度踏めていない。
シベリア鉄道と似たようなコンパートメントの夜行列車でサンクトペテルブルグを通り越してフィンランドへ向かう。ロシアーフィンランド国境では、汚い風体だったためか、ロシアを突っ切るだけの意味不明な長距離移動のせいか、列車に乗り込んできたロシア側の入管の係官に厳しく取り調べられ、バックパックを隅々まで調べられた。
布製の神社のお守りをひとつ持ってきていたのだが、係官から「これはなんだ?!」とめちゃくちゃ怪しまれ、開けられようとした。
「ちょっちょちょっと待って!!!」
お守りは開けると効果がなくなる(?)という噂があるため、焦った。
信心深いタイプではないけれども、まだこの先旅は何か月もあるのに早速開けられると何となく困る。信仰はないが妙にスピリチュアルなのが日本人である。持ってきていた英語辞書によるとお守りは「Talisman」とあったので、これ、これ、と指さしで伝える。
「Talisman」がロシア人に通じたかは不明だが、まあええわ、という感じで開けずに返してくれた。よかった。
フィンランド側はさすが「西側」感を出しており日本の菊の御紋パスポートを見せると入国もスムーズで、全員のイミグレーション手続きが完了すると再度発車し、首都ヘルシンキに向かった。
To be continued...
野宿出身、未だにおよそ野良ですが、まだサバイブしてます。