【鉄道開業150周年】鉄道唱歌の旅(東海道編)2日目:横浜~大船~横須賀
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2022年2月16日(水) 2日目 第6番~第10番
2日目は一大ターミナル・横浜駅からスタートです。まだ朝早く薄暗い時間帯で、平日にもかかわらず人の姿はまばらでした。
東海道線ホームからは根岸線が分岐していく様子が見えます。奥の方に何か橋の一部のようなものが見えるのが分かるでしょうか。
これは東急東横線の廃線跡です。2004年のみなとみらい線の開通と共に横浜~桜木町間は廃止され、現在でもその痕跡を随所で見ることができます。
それでは東海道線に乗車しましょう。(程ヶ谷、)戸塚、大船と進んでいきます。
第6番『横須賀ゆきは乘替と 呼ばれておるゝ大船の つぎは鎌倉鶴が岡 源氏の古跡や尋ね見ん』
解説
鉄道唱歌発表当時、横須賀線の終着は横須賀駅でした。
北鎌倉駅は開業前だったため、横須賀線で大船の次は鎌倉でした。
鎌倉には鶴岡八幡宮をはじめ、源氏の古跡が多数残っています。
訪問
朝ラッシュ前の東海道線で大船に到着です。こんな時間に横浜を出たのはなぜかと言うと…
歌詞の通り、「横須賀行」に乗り換えるためでした。日中の横須賀線は逗子行や久里浜行がほとんどですので、ちょうど早朝の散策も気持ち良いこの時間帯の列車を選びました。
横須賀行に乗車。横須賀線建設の主目的は軍港都市・横須賀と東京を結ぶことでしたので、明治期には現在の横須賀~久里浜間は開業していませんでした(同区間の開業は1944年)。
最初の停車駅は1927年に開業した北鎌倉駅です。後ほど訪れます。
そして次の停車駅は鎌倉。ここで下車します。
人が少ないうちに鎌倉観光をします。
鶴岡八幡宮に続くメインストリート、若宮大路です。現在時刻は朝の7時15分。本当に誰もいません。
とことこ歩いて三の鳥居。
境内もこんな感じ。休日の日中は観光客で賑わう一大観光地も、平日の朝は通勤・通学客や朝の散歩を楽しむ地元の方々のみで静かでした。
参拝を済ませ、来た道を戻ろうと振り返ると…
なんと素晴らしい景色…!写真を撮った後で気づきましたが、若宮大路の向こうに横須賀線もちょこんと写り込んでくれていました。
鶴岡八幡宮の話が続きます。
第7番『八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹 別當公曉のかくれしと 歴史にあるは此蔭よ』
解説
1219年、鶴岡八幡宮境内で源実朝が公暁に暗殺されました。襲撃前に公暁が隠れていたという伝説が残る石段横の大イチョウは神奈川県の天然記念物に指定されて
いますいました。樹齢1000年とも言われる大イチョウは2010年3月、強風のため倒れました。現在はその姿を見ることはできません。
訪問
大イチョウは2010年に倒れ、現在は根元のみが残っている(?)状態になっています。
かつては存在感があったのでしょうが、現在ではテントに隠れて気をつけていないと見逃してしまうほどです。
東鳥居から八幡宮を出て、引き続き源氏の古跡を訪ねます。
第8番『こゝに開きし頼朝が 幕府のあとは何かたぞ 松風さむく日は暮れて こたへぬ石碑は苔あをし』
解説
源頼朝は鎌倉に幕府を開きました。現在でも石碑が残っています。
訪問
鎌倉幕府の置かれた跡には、「大蔵幕府跡」として石碑が残っています。この石碑が建てられたのは大正時代に入ってからなので、鉄道唱歌で歌われているものとはまた別であると思われます。
裏手には小学校があり、日常風景に溶け込んでいました。
大蔵幕府跡周辺を少し散策します。鎌倉は観光地としての側面が強く幕府の置かれた地として強調されることは多くはないように思いますが、「西御門」のように地名にはその面影が残っています。
写真はありませんが、ここから歩いて1分ほどのところ、階段を上った先にある源頼朝の墓も訪れました。
しばらく鎌倉駅から徒歩圏内のみの散策が続きましたが、ここからは少し行動範囲を広げていきましょう。
第9番『北は圓覺建長寺 南は大佛星月夜 片瀬腰越江の島も たゞ半日の道ぞかし』
解説
鎌倉周辺には様々な名所があります。北側では円覚寺や建長寺、南側では鎌倉大仏が有名です。
鎌倉のを代表する十の井戸「鎌倉十井」の1つ「星月夜の井」は鎌倉大仏の近く、極楽寺坂切通付近にあります。
鎌倉駅付近から片瀬・腰越・江の島エリアは約10kmと、観光しながらゆっくり歩けば半日の距離です。現在は江ノ電で20分ほどのアクセスですが、当時は開業前でした(江ノ電の鎌倉開業は1903年)。
訪問
鎌倉についての歌詞が4番連続で並んでいるのは、大和田建樹が鎌倉をこよなく愛していたからと言われています。1883年の初訪問以来しばしば訪れるようになり、1894年には長谷寺の門前に宿を取って1か月間気ままに鎌倉や逗子を訪ね歩いたそうです。この際の様子を建樹は『散文韻文 雪月花』の「汐なれごろも」に自ら著しています。リンクを貼ってみたので良かったらご覧ください。
少し話が逸れました。大蔵幕府跡や源頼朝の墓を訪問し、駅に戻ります。
来た道を変え、駅までは小町通りを歩いてみます。時刻はまだ朝の9時前。通り沿いの土産店などもまだシャッターを下ろしていて、観光客もまばらでした。街並みや寺社など時間帯に拘わらず楽しめる場所に限りますが、土産店が閉まっていようと何であろうと人気観光地は早朝の散策が圧倒的に満足度が高いことを実感しました。ずらし旅は最強。今回の旅は神社仏閣など開館時間を気にする必要のない訪問先が多かったため、これ以降も何度もずらし旅の素晴らしさを体感することになります。
鎌倉駅に戻ってきました。
鎌倉から一駅戻り、北鎌倉に向かいます。
北鎌倉駅に到着。
駅の周辺案内のトップ2は鉄道唱歌に歌われた円覚寺・建長寺。
北鎌倉駅が営業を開始したのは鉄道唱歌より後の1927年。実は地元の請願駅です。開業により円覚寺・建長寺へのアクセスが非常に良くなりました。
それでは駅から徒歩数十秒、アクセス抜群の円覚寺を訪問しましょう。この写真に違和感を覚えた方はこの後楽しめると思います。後述します。
ねこ~~
天気にも恵まれ、気持ち良い散策になりました。
階段を降りると目の前に線路。突然成田エクスプレスの車両が来ました。
それでは先ほどの「違和感」の正解発表です。一見何の変哲もない踏切ですが…
奥にすぐ見えるのは円覚寺です。踏切の名前をよく見ると…
「第一円覚寺踏切」とあります。
実はここ、線路が円覚寺の参道を横切っているんです。明治期には鉄道建設が優先され、用地は半ば強制的に接収されたと言います。似たような例はまた別の場所でも出てきますので、ぜひ頭の片隅に入れておいてください。
少し歩きます。15分ほど歩くと…
建長寺に到着です。
こちらも立派な山門。つい円覚寺と比較してしまいますが、どちらも甲乙つけがたい迫力ある建築です。
方丈から庭園を眺めます。日陰には雪も残っていました。
建長寺の敷地は広大で、この写真の右奥方向にずっと続いています。あまり時間がなかったため、この辺りで引き返すことにしました。
梵鐘です。円覚寺と同様、国宝に指定されています。
そろそろお腹が空いてきました。一旦鎌倉駅にバスで戻ります。
昼食は鎌倉駅からすぐの「山里」さんでけんちんそばと白玉のセットを頂きました。けんちん汁は建長寺が発祥という説があります。
ちなみに鎌倉駅前の小町通りの混雑具合はこんな感じ。朝の閑散とした雰囲気から一転、昼前には大勢の観光客が散策を楽しんでいました。
昼食を済ませ、駅に戻ります。
ここから利用するのはこのきっぷ。江ノ電の一日乗車券、のりおりくんです。江の島までの「ただ半日の道」を鉄道でショートカットしながら進んでいきます。
長谷駅で下車。
"Great Buddha"がじわじわ来る。鎌倉大仏のある高徳院を訪問します。
小さい頃に何度か訪れたことはあるはずですが記憶は曖昧で、これが実質的な初訪問になりました。子供の頃はとにかく巨大だった印象ですが、こうして見ると案外コンパクトですね。
と思ったけど近づいてみたらやっぱデカかった。コンパクトとか変なこと言っちゃってごめんなさい。
境内を散策し、今度は海岸に向かいます。
由比ガ浜です。冬なので海水浴客はいません。綺麗な景色です。
星の井通を歩き…
星月夜の井/星の井/星月の井/星月井に到着です。表記揺れが凄まじいですね。鎌倉十井の一つであり、水質の良い美味しい水が出ていたそうです。
奥に見えるのは明鏡山円満院星の井寺の虚空蔵堂です。のぼりめっちゃ多いな…
極楽寺坂を上っていきます。
極楽寺駅から再び江ノ電に乗車します。
江ノ島に到着。最長片道切符の旅のときは大船から湘南モノレールに乗って来ました。
片瀬東浜海水浴場と江の島です。
反対側は腰越海水浴場です。まさに片瀬、腰越、江の島という感じですね。
ぶらぶら歩いていると…
江ノ電がやってきました。なかなか車との距離が近くてスリルがあります。
江ノ電と言えば、ということで腰越駅近くの例のお店へ。撮り鉄騒ぎで一躍有名になりました。この日は昼食後だったため、外観を眺めるにとどめました。
腰越駅まで来ました。
鎌倉に戻ります。腰越駅ではドアカットが行われていました。
鎌倉駅の車止め。カエルの置物が可愛らしいですね。
これにて鎌倉めぐりは終了。横須賀線に戻ります。
第10番『汽車より逗子をながめつゝ はや横須賀に着きにけり 見よやドツクに集まりし わが軍艦の壯大を』
解説
東京でよく耳にする行先「逗子」は、1889年の横須賀線開通と同時に開業した歴史ある駅です。
横須賀線の終着「横須賀」は、壮大な軍艦が集結していた重要な軍港でした。現在でも海上自衛隊や米軍基地があります。
訪問
鎌倉めぐりを終え、再び横須賀線に乗車します。
逗子に到着。駅構内をぶらぶらします。
この柱は鉄道唱歌発表前年の1899年に建設された逗子駅の跨線橋に使われていました。大和田建樹はじめ、当時の横須賀線ユーザーもこの柱を見ていたのでしょう。何の変哲もない柱に見えましたが、説明を読んでからは何とも言えない感慨を覚えました。
再び横須賀線に乗車します。
横須賀に到着。終着駅らしい雰囲気が今でもよく残っています。
駅舎を出てふと左に目をやると…
当時の横須賀もこのような情景だったのでしょうか。「見よや…わが軍艦の壮大を」という歌詞に大きく頷きました。これは凄い。軍艦とか1ミリも分からない僕でも迫力が伝わってきました。
駅前を散策。
地図や写真などから、バスロータリーのあたりはかつて横須賀線の駅構内であったと考えられます。
少し歩くとドライドックが見えてきました。あちらは米軍基地内なので間近で観察することはできませんが、なんと当時のドックが残っています。写真右から順に第一ドック、第二ドック、第三ドックの跡で、これら3つは全て鉄道唱歌発表当時には使用されていました。第一ドックに至っては現在でも実際に使われているようです。
横須賀は見所がめちゃめちゃ多いのですが、日没も迫り資料館系も見学する時間がなかったため、再訪を決めて後にすることにしました。
最後に1箇所、駅の脇の駐車場を見ます。
なぜかこの駐車場、線路に沿って細長い形をしています。ここはかつて横須賀線の線路があった場所、横須賀駅構内でした。すぐ横には海上自衛隊の敷地があります。
駅に戻ります。
帰りは新型のE235系に当たりました。
この日も前日と同様横浜に宿泊。横須賀線の旅を楽しんだ1日でした。
参考文献
原口隆行(2002)『鉄道唱歌の旅東海道線今昔 愛唱歌でたどる東海道本線各駅停車』JTBキャンブックス.
国土地理院 地理院地図 2022年9月7日, 同年10月12日閲覧.
鶴岡八幡宮公式サイト 2022年9月7日閲覧.
国立国会図書館デジタルコレクション『雪月花 : 散文韻文』 2022年9月7日閲覧.
鎌倉市観光協会「鎌倉十井」 2022年9月7日閲覧.
農林水産省「うちの郷土料理 けんちん汁」 2022年9月8日閲覧.
本文中の歌詞の表記はWikisource「鉄道唱歌/東海道編」に倣いました。
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