クライストチャーチのモスクで出会った、温かさと優しさ
この4月、ニュージーランドを訪れたとき、クライストチャーチのアルノール・モスクへ立ち寄った。
その1ヶ月前、50人以上の犠牲者を出した、銃乱射事件の現場となったモスクのひとつである。
立ち寄ったきっかけは、ひょんなことだった。
その日、クライストチャーチ植物園の前に設けられている、事件の追悼場所を訪れた。
数えきれないほどの花束、そして追悼のメッセージが書かれたプレート……。
その中に、「アルノール・モスク」と英語で書かれた、大きな垂れ幕が掛かっているのが目に留まった。
そこには、さらに英語で、モスクの住所とともに、こんな言葉が書かれていた。
「私たちは、あなたを歓迎します」と。
それを見たとき、心が動いた。
僕もモスクへ立ち寄ってみようかな、と思ったのだ。
そのアルノール・モスクがあるのは、植物園を抜け、さらに広大なハグレー公園を抜けた先の、幹線道路沿いだった。
いまだに厳戒態勢が敷かれているらしく、モスクの入り口の両側には、大きな銃を手にした警官が立っていた。
モスクの前にも、たくさんの花束と、追悼のメッセージや絵が描かれたプレートが並んでいる。
そしてその向こうには、ニュース映像で見たとおりの、黄色いドーム屋根のモスクが建っていた。
はじめは外観だけを見て帰るつもりだったが、入り口に立っていた女性の警官が、「入っていっていいのよ」と促してくれる。
僕は少し迷ったが、モスクの中へ入らせてもらうことにした。
茶色い壁の玄関へ向かうと、頭にスカーフを巻いた中年の女性が出てきて、笑顔で温かく迎え入れてくれた。
まず、そのことに素直に驚いた。
わずか1ヶ月前に、勝手に入ってきた部外者によって、多くの信者を殺害されたモスクである。
そのモスクが、イスラム教徒でもない僕を、笑顔で歓迎してくれている……。
それと同時に、モスクを訪れたことを後悔する思いが、心をよぎった。
まだ事件から間もないというのに、こんな物見遊山のような形で、来るべきではなかったのではないか……。
僕が戸惑っていると、モスクの女性は、「どうぞ入って」と中へと招いてくれる。
女性の不思議なほど優しい笑顔を見て、僕も思わず笑顔になった。
そして、心にあった迷いも和らいだ。
玄関で靴を脱ぎ、狭い廊下を歩いていく。
すぐ右に部屋があったので、そっと覗いてみると、そこでは信者の子供らしい男の子が、なにかのゲームで遊んでいた。
その短い廊下の正面が、礼拝所だった。
その礼拝所は、おそらく200人くらいは入れるだろうという広さを持っていた。
礼拝所の床には緑と赤の絨毯が敷き詰められ、正面にはメッカの方角を示すミフラーブがある。
訪れたのは日曜日の夕方だったが、数人の男性の信者が、絨毯の上に座って、静かに祈りを捧げていた。
僕がなにより驚いたのは、その礼拝所の美しさだった。
この場所で銃乱射事件が起きたことを示す痕跡は、何も残されていなかったのだ。
その事実を知らなければ、たった1ヶ月前にこの場所でそんな惨劇が起きたことになんて、とても気づけないだろう。
美しい礼拝所で、信者の人々が、穏やかに祈りを捧げている。
そこにあるのは、いつもと変わらないように見える、平和な日曜日の夕方だった。
本当にこの場所で、あの悲惨なテロが起きたのだろうか……。
このとき、僕と同じようにモスクを訪れたらしい人たちが数組いた。
モスクの女性は、その誰に対しても、変わらぬ笑顔で接している。
その懐の深さに、思わず心を揺さぶられた。
すると、男の子が遊んでいる部屋から、1人の老人が出てきた。
そして僕のところへ来ると、突然、握手を求めてきた。
僕が手を握り返すと、白髭を生やした老人は、温かい笑顔を浮かべながら、「ようこそ」と英語で言った。
その瞬間、やはり来てよかった、と思った。
言葉は通じなくとも、その老人と、心を通わすことができたと感じたから。
そしてなにより、その老人が、僕がモスクを訪れたことを、心から喜んでくれていることがわかったから。
ささやかだけれど、確かな交流ができてよかった、と思った。
僕は礼拝所にしばらく佇むと、モスクの女性や老人にお礼を言って、静かにそこをあとにした……。
モスクを出たあとで、ふと気づいた。
僕は美しい礼拝所を見て、事件の痕跡は何も残っていない、と感じた。
でも、そうではなかったのだ。
あのとき、200人くらいは入ろうかという礼拝所にいたのは、数人の信者だけだった。
その「数人の信者だけだった」ということが、なによりも強く、あのモスクで事件が起きたことを物語っていたのではないか。
数人の信者だけだったのは、日曜日の夕方だったからではなく、あの場所で……。
僕はいまだに、あのモスクで、あの老人と交わした握手の感触を、忘れることができない。
あの老人の手には、生き残った者の、確かな温かさがあった。
そして、あんな悲劇を経てもなお、訪れた人を歓迎してくれる、包む込むような優しさがあった。
僕には、あのモスクこそ、ニュージーランドという国のあるべき姿を現しているように思えてならない。
つまり、外から来た人を拒絶するのではなく、仲間として温かく受け入れて、共存していくという……。
最後に、モスクへ迎え入れてくれた信者の方に感謝するとともに、事件の犠牲になられた方に深く哀悼の意を表します。