ほんの近くの街で、新しくまっさらな旅を
たとえば、異国へ旅に出て、どこか見知らぬ街を歩いているとき、ふと思う。
いま、人生で初めて、この国の、この街の、この道を歩いているんだな、と。
海外の旅が好きなのは、いつだって、新しくまっさらな瞬間に溢れているからだ。
初めて出会う人、初めて見る風景、初めて食べる料理、初めて感じる風……。
日本にいるだけでは味わえない、五感を次々に刺激する、新しい何かを求めて、海外へ旅に出るのだ。
しかし……と思ったのは、この新年の数日間、思いがけず、印象的な体験を2度も続けてしたからだった。
まず、元日のことだった。
いつもの年と同じように、明治神宮で初詣を終えた僕は、そこから浜松町駅へ移動して、人生で初めて東京モノレールに乗ることにした。
旅好きなのに、どうして東京モノレールに乗るのが初めてなのかというと、ずっと神奈川県で暮らしているため、いままで1度も乗る機会がなかったからだ。
羽田空港へ行くときは、横浜駅から京急線に乗るか、たまにリムジンバスに乗るくらいで、東京モノレールにはまったく縁がなかった。
一年の計は元旦にあり……と言うし、何か初めての体験をしたいと思った僕は、すでに午後ではあったけれど、ずっと気になっていた東京モノレールに乗ってみようと思ったのだ。
さっそく浜松町駅のホームへ上がると、普通列車が停まっている。
天空橋駅まで行きたかった僕は、時間がかかりそうな普通列車を見送り、次の空港快速に乗ることにした。
ところが、路線図をよく見ると、空港快速は天空橋駅には停まらないらしい。
仕方なく、空港快速も見送り、再び普通列車を待つことにした。
当然ながら、すべてが初めてなので、なんでも知ってると思っていた東京なのに、どこか異国を旅しているような戸惑いを覚えてしまう。
やがて普通列車が到着し、元日のせいか空いている車内に乗り込むと、すぐに羽田空港を目指して出発した。
高いところを走る列車からは、街並みを俯瞰するような景色が広がり、まるで遊園地のアトラクションに乗っているような、小さな興奮があった。
左の車窓にレインボーブリッジを望み、天王洲アイルのオフィス街を過ぎると、まっすぐに流れる京浜運河沿いを走るようになる。
そこに広がっていたのは、まったく初めて見ることになる、知らなかった東京の風景だった。
穏やかに揺蕩う運河、その上を複雑に行き交う高速道路、トラックが連なる倉庫街……。
その風景を眺めていると、いま確かに、「新しい旅」をしているんだという、静かな実感に包まれたのだ。
*
その4日後だった。
仕事を終えた夕方、ふと、いちょう団地のベトナム料理屋さんへ行ってみようと思った。
横浜市と大和市にまたがる「いちょう団地」は、外国籍の住民が多く暮らす団地として知られ、なかでもベトナム系の住民がとても多い。
僕の住むエリアからも近いけれど、いままで訪れる機会がほとんどなかった。
この日、いちょう団地へベトナム料理を食べに行くことを思いついたのは、来週末からベトナムへ旅に出る予定があるからだ。
ベトナムへ行く前の口慣らしとして、ちょっとベトナム料理を食べてみたいと思ったのだ。
家を出ると、日が暮れる前には、だいぶ古めかしい雰囲気のいちょう団地に到着した。
お目当てのベトナム料理屋さんへ行くと、いかにも団地で暮らすベトナム人向けのお店という佇まいで、なんだか入りづらい。
数分迷ってから、勇を鼓してドアを開けると、そこはレストランというよりも、とても小さなスーパーマーケット……という風情のお店だった。
見たことのないベトナムの食材が、棚に所狭しと並んでいる。
店内の中央にテーブルがあり、そこで料理を注文して、のんびり食べることができるらしい。
若いベトナム男性が麺をすする席の隣で、テーブルに置かれたメニューを広げると、びっくりするくらい多彩な料理の写真がある。
美味しそうな料理の中から、フォー・ガーと呼ばれる、鶏肉のフォーを注文した。
しばらくして運ばれてきたフォー・ガーは、スープを一口飲んだだけで、気持ちがホッと安らいでいくような味わいだった。
たっぷりのフォーも、柔らかい鶏肉も、香り豊かなパクチーも、すべてが美味しい。
フォーをすすりながら、隣の席のベトナム男性が店員さんと交わすベトナム語を聞いていると、いったいここはどこなんだろう……と不思議な気分になってくる。
器を空にして、お金を払うとき、若い女性の店員さんに、「カム・オン!(ありがとう!)」と言うと、ふふっと喜んでくれたのがわかった。
その瞬間、たとえ小さくとも、これもまた「新しい旅」だったんだな、と思ったのだ。
たぶん、遠い異国へ行くだけでなく、すでに知っているような、ほんの近くの街だって、「新しい旅」はできるんだと思う。
視点やルートを変えてみたり、いままでと違う一歩を踏み出したり、それだけで、まったく知らなかった初めての世界が広がっていく。
もちろん、海外へ行くことでしか出会えない何かはあって、だからこそ、今年もいろんな国へ旅に出たい。
ただ、遠くへ目を向けるだけでなく、ほんの近くへ投げかける視線も、忘れたくないと思っている。
新しくまっさらな瞬間は、どこにだって転がっているはずなのだ。