鳥羽周作氏のこと
2年前のことだった。
このnoteで、とあるコンテストが開かれ、とある賞を頂いたことがある。
そのとき、審査員として僕のエッセイを選んでくれたのが、いま騒動の渦中にいる、あの鳥羽周作氏だった。
コンテストを受賞したとき、鳥羽周作氏について、僕はほとんど知らなかった。
調べてみると、最近メディアで注目が高まっている、人気シェフらしい。
そんな時代の寵児とも言える人が、たくさんの応募作品の中から、僕の作品を選んでくれた。
それが素直に嬉しかった。
やがて、noteで公式に受賞作品が発表されると、僕はTwitterで、自分の作品が受賞したことを報告した。
それも、あの鳥羽周作シェフが選んでくれたことを。
すると、フォロワーさんたちがお祝いのコメントをくれる中で、思わぬ人物からも、メッセージが届いた。
鳥羽周作氏本人だった。
すでにnoteの公式発表の中で、鳥羽周作氏のコメントは掲載されていた。
だから、あえて僕へ個別にメッセージを送らなくてはいけない理由は、何もなかったはずだ。
しかし、僕の嬉しそうなツイートを見つけたらしい鳥羽周作氏は、Twitterからもメッセージを届けてくれた。
それは、鳥羽周作氏らしいラフな文体の、とても短いメッセージだった。
そのメッセージを受け取ったとき、僕はこう思ったことを覚えている。
きっと鳥羽周作氏は、本当に僕の作品を読んでくれて、本当に「最高だった」と感じてくれたんだな、と。
ライターとして、好きなエッセイを書いても書いてもなかなか評価されず、自信を失いかけている時期でもあった。
だからこそ、鳥羽周作氏からの飾らないメッセージは、僕の心を勇気付けてくれることになったのだ。
地道に書き続けていれば、こんなふうに、僕の作品を「良い」と思ってくれる人もいるんだと。
もしかすると、コンテストを受賞したことと同じくらい、その鳥羽周作氏からのメッセージは、嬉しいものだったかもしれない。
……あれから2年が経ち、僕がいまも文章を書き続けているのは、あの日受け取ったメッセージのおかげも、ほんのちょっとはあるのだ。
*
その鳥羽周作氏をめぐって、いま騒がれている問題については、とくに言及したいことはない。
彼を擁護する気持ちはまったくないし、そもそもどうでもいいと思っている。
ただ、もし何かの成り行きで、彼がこの文章を読んでくれるとしたら、ひとつだけ、伝えておきたいことがある。
それは、言葉というものを大切にしてほしい、ということだ。
たった一言だったとしても、誰かを傷つけることもできれば、誰かを助けることもできるのが、言葉というものだ。
そして、その言葉は、やがて自分に返ってくる。
誰かに向けた拳は、自分を痛めつける拳として、誰かに差し出した手のひらは、自分を優しく包み込む手のひらとして。
あなたはかつて、ほんの短いけれど、でもまっすぐな言葉で、僕の心を救ってくれた。
鳥羽周作氏に伝えたいのは、そんなことくらいかもしれない。