ワクワク バンクーバー、カナダ その2
文字数:3795字
大失敗をしてしまいました。この記事を一部保存していたらしいのですが、公開設定をした時に、新しい原稿をアップしたつもりが古いものを公開してしまいました。
したがって、(復元の仕方が分からないので)書き直しをしました。
書き直しを始めた場所は Sea Busに乗るために歩いている場面で、豪華客船が見える地点(写真掲載しています)からです。原稿はオリジナル原稿とは違うものになりました。記事の原稿は一切残していませんので・・・。
今回追加したのは「大分県の大吊橋」です。完成しましたよ! (2022.6.15)
「ワクワク バンクーバー、カナダ その2」が昨夜(とりあえず)完了しました。今日から「その3」に取り掛かります。ご期待ください。内容は(まだ確定していませんが)Queen Elizabeth Park、University of Colombia, Museums、Nitobe Memorial Gardenなどです。2022.6.17
本日17時頃に「ワクワク バンクーバー、カナダ その1」の誤字脱字変換ミスの点検作業を終えたので、今からこの「~ その2」の点検を始めます。「筆者」は「わたし」に直します。点検作業が終われば、目次の前に(今書いているように)メモを書いてお知らせいたします。2022.6.27
改修おわり。思ったよりも早く終了しました。2022.6.27 21:35
目次
この記事ではCapilano Suspension Bridge(カピラノ吊り橋)を目的地にしてみることにする。このシリーズの「その1」の最初に記事にしているように、そのホテルに着いてからどこに行くかを調べたものだ。宝箱を現地で開けるようなワクワク感があるから、旅行のこのやり方にいつも満足している。
Canada Place
ホテルから3分ほど歩いてからBurrard Stで 北向きのバスに乗り、バラード通り最後のバス停で西向きのバスに乗り換える。乗り換えるのが不安なら、右手に海を見ながらCanada Placeまで歩くのも悪くない。
この目印が目に入ってくればもう怖いものはない。
そうは言ってもCanada Placeの場所が魅力たっぷりなのだ。Sea Busに乗るための通過地点ではない。たっぷり時間をかけて歩き回りたい場所だ。すこしだけその魅力を画像や言葉で証言してみる。証言は大げさだが、表現にしても同じことだ。
何はおいても見てほしいのは・・・(見たことなければの話だが)水上飛行機の発着の迫力だ。音がすごい。水の上をうなりをあげて走る姿。勢いよく飛び立つ。それもわたしが名付けた「空飛ぶジェットコースター」よりも短い距離で空中に飛ぶ姿は圧巻だ。(注)「留学ってきつい、楽しい その2」のなかで扱っている同名の章の頁参照
たっぷり見て満足したら、あとは「Sea Bus」の乗り場を探すだけだ。そこら中、船だらけだから探すのは簡単とは行かないかもしれない。人に聞けばすぐに分かるはず。通路から乗船場までは思っているよりも歩く。その窓からの景色がヒントになるかもしれない
この辺りまで歩けばもう確信しているはずだ。歩いているのは乗船を目指す人だけだからだ。その先には「Sea Bus」の発着場がある。わたしが行った時にはそれほど待たずとも入港してきた。乗る側とは反対側から客は下船していく。うまくできたものだ。時間の節約になっている。
Sea Bus
思っていたよりも大きな船だった。マンハッタンのスタテンアイランド行きの無料フェリー(参照:「ワクワク ガックシ ルンルン その1」の中で紹介)もすごくでかい船だったが、観光客を乗せるにはいい船だ。
窓側に向けた椅子が気が利いている。前を向きさえすれば窓外の景色が楽に堪能できるからだ。
対岸が目の前に近づくにつれて、ワクワクが止まらない。人生初の場所だからだ。行くところ全てがそうなのだが、このワクワク感には慣れることはない。慣れたくもない気分。船のグァングァングァンという音が高まる。速度が緩む。船の急ブレーキとでも言うのだろうか。
接岸すると既に乗客は降りる順番を待っている。わたしはゆったりと待つ。2度と来ることのない場所を堪能したかったのだ。
下船して周りを少し歩き回バス停が見当たらない。それでもその場所を体感したくて無駄な散策をしてみる。雰囲気抜群だ。それはわたし個人の感覚に過ぎない。
それでも大過なくバス停を見つけると、バスを待つ。どこ行きだったか覚えていないが、待っていた人か運転手に聞いたかで間違いのないバスの乗客となる。
どこで降りるかなど心配することはない。行先は観光地だ。たくさん降りるに決まっている。そしてそうなった。
降りてチケット売り場発見っ! だが、吊り橋が見当たらない。
大分県の大吊橋
大分県の大吊橋(名前は夢つり橋)を観に行ったことがある。できたばかりで見物客でごった返しだった。
この夢つり橋は景観もよく一度は見て損はない。2006年にわざわざ見に行ってきたのだ。車であと1kmというのに駐車場まで1時間以上もかかったことを忘れない。近所の人たちは生活の邪魔をされてきっと迷惑だったに違いない。いくら田舎の山の中とは言え・・・だ。
揺れがひどいのは吊り橋ならではだ。キャピラノ吊り橋を見るまでは、わたしの中ではこの大橋が記憶に確かな映像として思い出された。何度か友人知人を案内してこの橋を渡った。
日本の吊り橋はさておき、カナダに舞い戻る。
Capilano Suspension Bridge
料金が高かったからか、吊り橋にたどり着くまでにまずお勉強をさせられる。吊り橋の歴史を学ぶのだ。興味なければ人々のうしろを通り抜けることだってできる。でも見ていると興味が湧いてくるものだ。
歴史を学んだあとは、吊り橋への道まっしぐらだ。何のことはない。人々の後をのんびりとついて行くだけ。大分と違って目を楽しませてくれる仕掛けはたくさんある。
吊り橋が木陰からちらほら見えてくると、早く行きたくなるのが人の常だ。足が早くなる。思いのほか橋の幅が小さい。狭い。心細い出来栄えの橋に見える。人が多い。重みに耐えるのか心配になる。落ちたりしないのだろうか。落ちた人がいるなど、この時には知るわけもない。(上記7つ目の写真のキャプションに記載)知ったのは帰国してからだ。
いきなりの急階段には驚いた。大分の大吊り橋のことを考えていたからだ。ビデオカメラを片手に手すりを握りしめながら一段一段降りて行った。高所恐怖症が前面に出現したのだ。しかも想定以上に揺れるのだ。
ようやく橋の反対側に到着だ。そこには帰りの橋を渡る人たちの列。今着いたばかりの筆者たちは写真やビデオ撮影に大忙し。
心が落ち着いてきたら、最終地点ではないことに気づくのだ。辺りを見回せば大きな木と木の間を別の吊り橋がそこここにあり、人々がたくさん渡っているのだ。高所恐怖症などとは言ってられないことに気づかされた。
これらの橋は更に幅が狭かった。揺れもひどく高所恐怖症患者を悩ませる。
子供たちは楽しいに違いない。大人と同じ空間で楽しむ子供たちの姿はとても癒しをもたらしてくれる
この看板こそが客へのもてなしの言葉だ。ワクワクさせられる言葉だ。先を急ぎたくなるのだ。いや、急がずともよい。ゆっくりと味わうがいい、ということだ。
このようないろいろな自然の様態や、人間のリラックスした様子を見られるのが、この吊り橋公園の醍醐味だ。入場料は高かったがそれだけの価値があったということだ。
こんなおじさんもいた。瞑想にでもふけっているのだろうか。このおじさんをあの額縁に入れて撮りたかったが、少しばかり角度的に入らなかったのが残念だ。
この公園の帰路はCanada Placeまでの無料バスで帰ることになった。行きも無料バスという手もあったのだが、Sea Busを經驗してみたかったのだ。そして、その経験はもう一つの思い出をわたしに与えてくれたのだった。