University of California, Los Angeles (UCLA)
文字数:7793字
前略、みなさま
この記事を書き始めるに当たって、タイトルはこれで行く予定だ。しかし、大したものが書けそうになければ他のことも併せて記録するかもしれない。こう書くことによって、私は気が楽になる予定だ。無理に絞り出す必要がないからだ。
この記事は、UCLAを知りたい人に大学の紹介をするという内容を期待するなら間違いなく失望する。それは私がこの大学のことをよく知っているわけではないからだ。しかもここで学んだ経験など皆無なのだ。キャンパス内を歩き回ったことは紛れもない事実だ。だから動画が残っているのだ。その動画からコマ取りをしたいつもの映像のレベルの低い画像のオンパレードだ。ただし、まさに自分の脚で歩きまわったことは間違いなくお伝えできると確信だけはしている。
私は1970年にアメリカに来て以来、前後20回ほどアメリカにやってきた。最も長い滞在は、大学院での学びのため丸1年間留学した時だ。最も短期滞在は約1週間の滞在だ。でもこの短期の滞在では大学のキャンパスを来訪することはなかった。
アメリカ滞在では結構な数の大学を訪れている。忘れてしまったものもあると思うが、一応列挙してみよう。順不同だ。思いつくままだ。
順不同と言いながらもさすがに最初の大学を最初に描かないわけにはいかない。1970年の短期留学先のミシガン大学だ。あとは順不同。この記事で取り上げるUCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校。ハワイ大学、ボストン大学、MIT(マサチューセッツ工科大学)、ハーバード大学、ニューヨーク大学、ペンシルベニア大学、ワシントン大学(ワシントン州)、インディアナ大学、インディアナ州立大学、Denverでもどこかの大学を訪問したはずだが思い出せない。テキサス州でも思い出せないから大学訪問はないのかもしれない。大部分が夏休み中の訪問なので印象に乏しいのは仕方のないことだ。ペンシルベニア大学訪問の時はまだ休み前だったので、キャンパスの芝生に寝そべって勉強している姿に感動したものだ。
と、この辺で切り上げて、UCLAへと突入することにしよう。他の大学はもしかすると急に触れたくなって画像を差し込んだりするかもしれない。それはそれで楽しいかも知れない。
キャンパス侵入
日本の大学のように侵入を防ぐ仕掛けはアメリカにはない。ミシガン大学にいた時も、いわゆる門に気がついたのは大分経ってからだ。門というよりも「表示」の役割程度の存在に見えた。
一年間の留学だったISUもどこに門があるのか探したこともあったが、その時は発見できないままで図書館での勉強に向かったことを思い出す。勿論数か月後には偶然発見することが出来た。ちなみにこの表紙の画像は門ではない。
最初に私の目に入った「UCLA」の文字がこれだ。キャンパス未到達と思っていたのに、いつの間にか「侵入」していることに気づく始末だ。
心がワクワクしてきた。何といっても40数年ぶりだったからだ。兄が案内してくれたのが最初だ。キャンパスのどの辺を歩いたのかはさっぱり分からない。歩きながら話してくれた内容が今もはっきりと思い出される。
「UCLA」始まって以来の事件があったよ。キャンパスで殺人事件で大騒ぎだった」
その事件にまつわる話をしてくれたことは覚えているが、詳細はすっかり忘れてしまった。
ワクワクしながら歩いた。キョロキョロしながら歩いた。
ミシガン大学に30年ぶりに訪れた時とは大きな違いだ。そりゃそうだ。短期留学とは言え、2か月の滞在だ。キャンパスに育っていた姫リンゴの木から実を食べながら教室を往復していたのだ。食べ過ぎておなかを壊したのも思い出の中に生きている。
UCLAでは何も残っていない。ミシガン大学と同じ年に行った、という記憶だけしか残っていないのだ。
「キャンパスメイル」を見たら、撮らずにおれなかった。それは一年間の留学でその重要性を知っていたからだ。キャンパス内のメールがこれを通して行き来するのだ。教授が添削した論文が寮のメールボックスに入れられるのも、友人からの手紙や連絡が届くのも、この箱を通じてなされるのだ。
Book Store前を通過
このクマの次に出現したのが、表紙の画像になっているUCLAのストアだ。いわゆるBook Storeなのだ。多分中に入らなかったと記憶しているが、私には珍しいことだ。アメリカの大学キャンパスで絶対見逃せないのがBook Storeだからだ。しかし個人情報だらけの内部は画像に撮ることは憚られる。
マンハッタンにあるNew York大学のBook Storeでは、許可を申し出るとストアのマネージャーが来て、ダメだとの返事だったこともある。社会人学生の講座向けに、アメリカ文化の紹介に使いたいと言ったのだが、申し訳ないが諦めてほしいと丁寧だがはっきりと言われてしまったのである。
だからUCLAでもカナダのコロンビア大学でも一切撮ってこなかった。残念だった。
そのすぐそばにはテーブルがあって、食事ができる。しかし夏休みでなければ、多くの学生が勉強したり食事をしたリおしゃべりをしたりと賑やかなのに違いない。留学時代が懐かしい。と言っても、その時は勉強に追われ、論文作成に追われ、フィールドワークに追われ・・・楽しいこともあり、ストレスに潰されそうになることもあり、その分結果がうまくいってルンルン気分で満たされる時間もたっぷりあったのだ。
夏休みのキャンパスを賑わすのは?!
夏休みになると、小学生や中学生、そしてもちろん高校生がキャンパスを賑わす。いろいろな企画が用意されるからだ。
私が留学したISUでは、近くの高校生が寮に泊まってチアガールの特訓をやっていた。勿論へたくそだ。だから訓練するのだ。
大学生チアガールだって失敗もする。キャンパスのフットボール球戯場(2万人収容可)で見てしまったのだ。目の前でチアリーダーが脚をあげたり空中に飛び上がったり、男性が女性を空中に放り投げたりなどしていた時だ。相当高く空中に報られたチアガールが、下で男性が受け止めてもんどりうっていたのだ。私たちの目の前だったため、周りの応援学生たち(私も含めて)は「オーマーゴーーード」の世界だ。実はスライドフィルムに撮っていたのだが、10年以上前にカビだらけになっていたので廃棄してしまったのだ。当時は教材用にスライドフィルムを主に撮っていたのでその映像が消滅したのだ。これまた残念だ。何しろ失敗の瞬間映像なのだ。ガックシだ。
私の留学先では夏休み中も授業があったので、助かった。その間に一つずつ、あるいは二つずつ教科の単位を取得するチャンスがあったからだ。私は一年で大学院の全卒業単位を取得する計画だったので、大いに助かった。そして大いに大変だった。同じ院生たちが、お前は気が狂っている、というほどのことだったらしい。
「らしい」と書いてみたが、実際に経験するとまさに彼らの言う通りだ。それでも隙を見てニューヨークに行ったりなどしたわけだ。(「ワクワク~ガックシ~ルンルン一人旅 その1」を参照)二度と行くことのできない旅の予定だった。
丁度高校生らしき一団がこのホール前に集まっていた。大人の人、多分教師、が何やら説明をしている脇をビデオを回しながら通り過ぎてみた。何しろ近年は、UCバークレー校よりも合格するのが難しくなっている。以前と立場が逆転しているらしいのだ。
キャンパス紹介はここまでなのだが、(画像はまだまだあるにはあるが)最後に図書館を見ておかなくてはならない。何といっても大学は図書館失くして成り立たない。
UCLA Library潜入
思いもよらない画像も入れてみる予定だ。どうしても画像を手に入れたかったからだ。私が留学した寮の画像も入れてみよう、などと画策しているのだ。私の人格が疑われるかもしれないが、私はその程度の人間なのだ。最初から開き直っておくことにする。
入口制覇
いつものように撮影許可をもらったかどうか思い出せない。しかし受付と思しき場所の前で撮っていてダメと言われてはいない。図書館の入り口を入るとこんな感じで、わりと和やか。
見たかった内部だ。
ミシガン大学の図書館に初めて入った時の感動が思い出された。今では日本の学校図書館でも同様の机といすが見られるが、憧れのアメリカの図書館だ。実は自分が勤務していた中高の図書館は、アメリカ仕込みのそれであった。だから見慣れていたはずだが、やはり現地の図書館というだけでワクワクした。
内部潜入しましたよ
と言っても、夏季休暇が幸いしただけのこと。学生が少ないから勉強の邪魔にはならない。
最初そばを歩いた時、置物かと思って通り過ぎてしまった。途中で人だと分かり、わざわざ戻って画像として残したのだ。丁度いい場所だったのだろう。
あちこちに丁度いい場所がある。休憩所かと見まがう様子だ。ここは隠れるようにして動画に収めた。おかげでプライバシー侵害にはならないだろう。
書架を見ていると、留学中に欲しい資料が見つからず、床に座り込んで1時間も2時間も探し回ったことを思い出す。今ならPCで検索すれば何のことはない。当時(1980年代初期)もPCで検索できたらしいのだが、日本ではまだ知られていず、思いつきもしなかったのだ。
印 刷 機
一年間の大学院留学の時に、600番代の教科で印刷機に関する授業があった。もう忘れてしまったが、部品の名称を多数覚えなければならず苦労した。その思い出があったので、UCLAのパウエルLibraryで印刷機を発見した時は、思わず感動した。
印刷機と言えば、14世紀半ばに発明されたグーテンベルクの活版印刷の発明がある。それがあったから人本を読む読むということが一般化したのだ。この発明があったから、ディケンズの本が庶民の手に入り、『二都物語』が私の手に入ったのだ。『クリスマスキャロル』がクリスマスに華を添え、心を温めてくれたのだ。
今となってはどうしようもないのだが、留学中の印刷機にまつわる授業の中で、写真に撮っておかなかったのは返す返すも無念残念という気持ちでいっぱいだ。しかし、UCLAのキャンパスで再会できるとは・・・どんなことをしてでも画像に遺したくなって、ビデオを嘗め回すようにして動かし続けた。
最後がトイレとは・・・
トイレにまつわる(私事の)よもやま話
予告していたとはいえ、この記事の最後がトイレの話になってしまった。勿論トイレは書架に入る前に見つけていたのだ。
私の父がその昔1960年代初期にアメリカにある人に講演を頼まれて行ったことがある。私の姉と妹、次兄が別々の大学に留学していた時だった。
父が講演の前に少し心を落ち着けたいと思って、担当の方に「Rest Roomに行きたいのだが」と話したところ、トイレに案内されたと言って帰国後話してくれたことが今でも新鮮に残っている。さぞかし父はびっくりしたのだろうと思う。
この話から、私はトイレには関心を持っていたのだ。
もう一つ私の関心を持たせた事件がある。事件とは少し大げさだが、これも新鮮な記憶として私の心の中に納まっている。
大学一年のとき、私は「ESS」のクラブに所属した。English Study Societyのことだ。English Speaking Societyではないかと時々クラブ内でも議論があった名前だ。
地元の港まつりで、当時は必ず米軍の駆逐艦か何かが港に停泊する習わしがあった。先輩が一年生にそこに行ってきて生の英語に接してこいというのだ。できるだけ将校か何か位の高そうなのを捕まえろ、と命じた。きちんとした英語を聴かないと意味がないということだった。
私は、前述の父のトイレ話を思い出していた。そして一人の将校らしき人に「Rest Roomに行きたいのだが」と聞いてみた。彼は快く私を案内してくれた。実は友人と一緒について行ったのだ。
はたせるかな、将校らしき軍人は礼儀正しく扉を開けてくれた。それを見て、私と友人はトイレをする気力を失くして逃げるようにして皆のいる場所に戻ったのだった。将校さんは何が起こったのか分からなかったに違いない。
これはまだいい。駆逐艦のそれは何列も何列もこれが囲いも柵もなく延々続いている、と想像してみたらよい。勿論写真などあろうはずがない。当時はカメラなど持っている凡人はほぼいなかったのだ。
トイレの話はまだ続きます。
こんな画像を載せてお許しください、と言わなければならない。でも説明が困難なことは分かっていただけると思い、載せてみました。
トイレ事情
この「トイレ事情」は私の記事の「ワクワク ガックシ ルンルン一人旅 その1」からそのままコピペしました。記事の前後が知りたい場合は、この「~ 一人旅 その1」を読んでみてください。
Columbusに着いたら食事の前に
先ずはトイレだ
トイレに行く
ずらっと並ぶ扉が異様だ
それぞれに次の人が並んでいた
奥の方にぐいぐい進んでみた
無料で使用できる場所を探してみたのだ
実は、1970年に留学した時の話
帰路、兄嫁の故郷ハワイでしばしの時を過ごした
兄嫁とLAの空港で合流
今では全く考えられない面白い場面
国立墓地の公園を散策していた時
トイレに行きたくなった
義姉が場所を教えてくれた
行ってみると
扉のないトイレがあったのだ
その一つをおじさんが使用中
それも・・・大の方だ
一瞬でトイレ願望はすっと消えてなくなった
隣の扉のある場所もあったのだが
お金を払ってまで・・と思ってしまったのだ
Columbusでのトイレは込み合っていた
奥の方へと人をかき分けながら進む
一番奥に(思った通り)2か所の無料トイレ発見
しかしその後ろには長い列
覚悟をして扉のあるトイレに並んだ
次が自分の番だ
ワクワクしてきた
終わって扉が開く音がした
ワクワク
今だっ!
右足が素早く動く
扉が閉まるのをとめるためだ
大成功!
ルンルン というほどではないが
文字通り
してやったり・・・だ
隣の列に並んでいたおじさんが
ニヤッと笑った
「やるじゃないか」
(ここまでがコピペの部分です)
40ドルとトイレ
ISUでの留学中、冬休みの2週間近くをテキサス州で過ごすことにした。1か月ほど前にミシガンで知り合った家族に電話をして滞在許可をもらった。アメリカでは長期休暇中にそのようにして泊めてもらえることが多い。
旅行者のお姉さんに安い便をと必死に頼み込んだおかげで、思っていたよりも安く済んだ。秋の学期が終了すると、寮生がいっきにいなくなる。家族の元に戻るのだ。私は日本に戻るだけの資金がない電話作戦成功だったのだ。
空港まではキャンパス近くのグレイハウンズのバス停からインディアナポリスまで1時間~2時間かかった。(正確な時間を覚えていないのだ)そこからバスで空港行きに乗り換えるのだ。結果的にはバスが30分どころかそれ以上経っても来なかったので、タクシーに乗らざるを得なかった。これに関しては心温まる話があるのだが、ここではトイレ関係の話なので省略する。
インディアナポリスのバスターミナルはでかかった。ニューヨークのそれと比べれば大いに負けてはいたのだが、それは問題ではない。とにかくトイレに行きたかったのだ。
出かける前にある教授に安全面のことを聞いておいた。すると、インディアナポリスのバスターミナルは気を付けなさい。もし万一悪い奴につかまりそうになった時のために40ドルは現金を持っていきなさい。ズボンのポケットに左右20ドルずつ。。。これにはビビった。そしてその言いつけを守ることにした何故20ドルずつに分けるかというと、まず片方の20ドルを出す。それでダメそうなら、いかにも探すふりをしてもう片方の20ドルを出して許しを請うという話だ。
トイレへの階段のところ(地下に降りるのだ)まで行くと、掲示が出ていた。「使用禁止」掲示だけではなく、木でドアを動かないように打ち付けてあったのだ。警備員に他にトイレはないか聞くと、このターミナルのトイレはどこも封鎖だよ、といとも簡単に教えてくれた。しょっちゅう事件があってね、もう閉鎖することに決まったんだ。アメリカおそるべしだ。おかげで40ドルは使わないですんだわけだ。
最後のトイレ話
私は以前にもどこかの記事の中で、大学のキャンパスを訪れたら必ず寄る場所がBook Storeだ、と書いた記憶がある。それはその大学のグッズを購入するためだ。キャンパスを訪れたことの自分への土産だ。それなのに、わざわざ目的地として訪問したUCLAではBook Storeの傍を通って写真まで撮っておきながら、素通りをしてしまった。実にもったいないことをした。UCLAのTシャツなり、ネクタイなりを記念に購入しても良かったのに・・・と今では思っている。その代りに他大学では画像に残すどころか記憶にも残していないトイレの話にここまでのめり込んでしまった。
そこでトイレ話の最後として簡単に一つ書いてみたい。
2015年にトロントに初めて行った時のことだ。
乗換のためのワシントンDCの空港で大嵐にあってフライトがキャンセルになってしまった。いろいろあったのだが、それについては「トロント、カナダ、CN Tower」のなかで「フライトのキャンセル」で長々と書いている。
結局、私のフライト変更便はトロントに行くのに、モントリオール経由になってしまったのである。
モントリオール空港の雰囲気はフランスのパリ風味だった。カフェが一帯を覆っていた。乗り換えの間にトイレに入った。これこそ写真に撮っておくべき景色だったのだ。
男子用の便器が高いのだ。しかも奥に行くにしたがって高くなっていたのだ。背の低い男性には酷というものだ。実際、私はその中で最も低い便器を使うことになった。ちなみに私の身長は167㎝ほどだ。
こんな話でUCLAの記事が終わるのは情けない。でも、終わることにする。それほどうわべだけのキャンパスツアーにしてしまったのだ。あ~、Book Storeに寄るべきだったなぁ!
完
2022.8.23