旅先で怒られたことある? 5
「読者のあなたはないんですか?」
こう言い返してみたい。
一人旅や自分だけのオリジナル企画の旅をしたら、あるに決まっている。
こう決めつけていいかどうかは分からない。団体旅行ならないのかもしれないからだ。
私は旅の醍醐味は、知らないところを手探りで歩き回るところだと思っている。怖い目にあったり、人の親切が身に沁みたり、親切をして喜ばれたりする。
2014年の夏に私は長年の夢だったパリを旅行した。妹夫婦が住んでいた場所がバスチーユ広場の近くだと知った私は小躍りした。
学校の教師として就職した私に父がくれたのは、A6(10.4 × 14.7cm)程度の小さな『A Tale of Two Cities』(『二都物語』)だった。子供の時に読んだことのある物語だ。英語で書かれたディケンズの書物は嬉しかった。
翻訳してみようと思って大学ノートを数冊買って、毎日ちまちま訳したことを思い出す。
それは、生徒に勉強しなさい、と言うからには、自分も勉強しなければと思ったからだ。大学時代からそんなことをするのが楽しかったので、その続きみたいなものだ。。
何年振りかで妹夫婦に再会したことを今でも新鮮に思い出す。
着いた翌日、私は一人でセーヌ河畔まで歩いてみることにした。とりあえず、1週間ほどの日程を歩き回る感触を掴みたかったのだ。
そして通りかかったバスティーユ広場。足元の石畳は、まさに本を訳した時にこぼれたワインを住民が必死で手ですくって飲むさまを想像していたその光景はまさにその場所そのものだった。
私にとってはこの上なく幸せな散策の時間だった。
この物語に出てくる「サンタントワーヌ通り」の表示を見つけた時には、私は二度物語の中に入りこめた気がしたほどだ。
そこはフランス革命で貴族たちが馬車に押し込められて民衆に罵詈雑言を浴びせかけられながら、ギロチンの待つ現コンコルド広場まで引き立てられて行ったのだ。
ディケンズはこの物語を書くにあたって、Chapterのタイトルや登場人物のメモを取っている。とにかく彼が書く小説は登場人物が多いことで知られている。
広場の塔を背にして、その通りに向かって右手には大きなマルシェが確か木曜日と日曜日に開かれる。マルシェがない時は、いろいろ物があるので何だろうと思っていたが、それはそれは混雑して盛り上がっている。「マルシェ バスティーユ」と呼ばれていた。
私は何も買うつもりもないのにうろついてみた。ビデオを持つ手がむずむずする。そしてカメラを回してしまう。
景気のいい声、せかせか働く店の人たち。
そんな時、女性店主と目が合った。
「なに写してんのよ、あんたよ、あんた。」
私に向かって出した手は
明らかに私に向かっていた。
すごい剣幕なのだ。
断らなかった私が悪かったのだ。謝った。
そうは言っても、マルシェを撮らない手はない。どうしてもビデオを撮りたかったのだ。大学の「欧米の文化」という教科の授業で使うつもりだった。
そこから5分も歩けば妹が住んでいる場所だ。
帰宅してから、妹に一緒に来てもらえないかと頼んでみた。
私はパリに来る前に、パリでは一人で歩き回るから案内とかしないでほしいと頼んでいた。
自分で歩いて自分で発見をする旅に魅力を感じているからだ。
早速一緒について来てもらった。
どうせなら先ほどの女店主の店でビデオを撮りたいと思っていたので、いわゆるリベンジと言うことになる。
妹が野菜を買う場面だ。
私は店主に声をかける。
「ビデオを撮っていいでしょうか。日本の大学の授業で教材として使いたいのですが」
「大学の授業の教材だって?」
「そりゃ撮りたいだけ撮っていいぜ。さ~、らっしゃらっしゃいっ」
店主の隣で客の応対をしていた男性が急に機嫌よく声をあげた。
女店主もご機嫌麗しくなって、私と目を合わせても顔に笑みさえ見せていた。
同じ店主とは思えないほどの変わりようだ。
ビデオを止めろと言った時の迫力は、相当私の気力をそぎ落とすものだった。私の個人情報への無意識の無関心に大いに反省させられる出来事だ。それ以降は、(実はそれまでもなのだが)許可を得ることを原則とすることとなった。