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おやじの裏側 xviii (18. UBCを舞台として)
(表紙画像は、UBCの文化人類学博物館の展示)
まえがき
UBCというのは、University of British Columbiaというカナダのバンクーバーにある有名な大学だ。オレは2019年に初めてキャンパスを訪れた。どうしても行きたかった場所だ。
実はバンクーバーという場所は、それまでもいろいろな人の口から耳にしていた場所名だ。卒業生がバンクーバーにいる、と聞けばうらやましがり、そこ経由でどこそこに行ったと耳にすれば、行きたい気持ちがますます高くなった。
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そういえば、2017年に孫娘たちを連れてNew Yorkに行った時に経由地としてバンクーバーの空港にしばらく滞在したことを、これを書きながら思い出した。
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待合場所には大きなアクウェアリアム(水族館、水槽)がある。
そのバンクーバーを経由地としたことで、危うく大事件になるところだったという話は、「孫娘と行くニューヨーク」で書いたはずだ。
何故バンクーバーなのか。
今回の記事はそれを記したものだ。
いつもと違っておやじの出番よりは、姉の出番が多くなる。
オレの聞い話だ。
1960年代中頃の話だ。
当時姉はF市で牧師をしていた。オレの家族は、オレ以外は全員牧師の免許を持ている。オレは中2で教師になると決めたので、牧師になろうとは思わなかった。
オレが大学に入ったころ、姉の周囲がにわかに騒がしくなった。
急な話だった。
信じられない話だった。
まさかの出来事だった。
姉が留学することになったと、おやじが興奮して話してくれた。
聞くところによると、姉はその留学先の大学の学長が日本にやってくることを耳にしたらしいのだ。
彼女は学長が東京にくる話を聞いて、早速学長に会いに行ったとのことだ。細かい話を聞いておけばよかったが、オレは大学生活を真面目にエンジョイしていたのであまり関心がなかったのかもしれない。
いよいよアメリカに出発することになった。
おやじは横浜まで見送りだ。貨客船に乗って行くというのだ。
おやじは横浜港まで見送りに行った。
横浜港で、おやじと姉は抱き合って分かれたと、おやじが話してくれた。
当時は飛行機のチケットはとてつもなく高かったのだ。
今は船の方がお金がかかるが、当時は逆だ。
オレが1970年にミシガン大学に行った時は、フライトチケットは40万円かかっている。その値段はボーナスを除いたオレの年収くらいだったから、姉はどんなにして船賃を捻出したのだろうか。
オレが確認しに行った話だ。
オレは一度でいいから、我が家の留学の道を切り開いた姉が、最初に着いたバンクーバーにオレ自身の脚で立ってみたかった。
本当は横浜港から貨客船で行きたいくらいだったが、さすがに今どき様にならないような気がして、飛行機にした。
オレが北米大陸に一人旅をした記事はたくさん書いたが、パリも同じくで、飛行機代を安くいきたくて、出発の半年前にネットで検索してきた。
安いチケットは当然だが直行便ではない。
香港や台北、インドネシアなどで数時間(多い時は10時間くらい)乗り継ぎ便のために待機することになる。
オレはその時間が楽しみなのだ。
飛行場内をうろつく。
中国の紙幣に変えて何かを買う。それは外国に行く喜びになる。おつりは次回乗り換えのために長時間待機することになるかもしれないとき用に財布に残す。何年か後にチャンスが訪れたりする。そしておつりの無いように計算しながら使うのだ。
これも楽しみの一つになる。
実は、孫娘をニューヨークに連れて行った時もそのような乗り換えで長時間待機することがあった。それがバンクーバーだったのである。
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だから、オレはバンクーバーには既に脚を踏み入れてはいたのだ。ただし、飛行場内のみだ。
2019年のバンクーバー体験は、まさに姉の留学のルーツ体験の一人旅だ。
勿論、このバンクーバー体験に関する記事はとっくの昔に記事に挙げている。名付けて・・・「ワクワク バンクーバー カナダ」(1-3)だ。
この3つの記事たちは、オレがバンクーバーを一人で駆け巡った記録なのだ。
姉はこのバンクーバーからアメリカのシアトルへバスで移動したということだ。
この姉の勇気が、後に次兄の留学への喚起を促し、姉の後を妹が日気づくことになったのだ。オレは勝手に大学3年の時にミシガンへの留学を決心していた。
姉の留学が我が家の留学熱の着火点となったのだ。
それだけにとどまることなく、後々、おやじがアメリカに伝道旅行をするきっかけになったのかもしれない。
アメリカの伝道旅行は、おやじの裏側シリーズの「朝ドラ;トラちゃんが出会った傷痍軍人の近くで」(現在執筆中で近日公開予定)で記録することになる。その時には、Hさん一家が招いてくれたのだ。その期間におやじは母親と一緒にオレの姉・次兄・妹と合流するという感動の数日間を過ごしたのだ。
そこには家族のきずなの物語があったのだろう。
次兄が運転する車でシアトルまで行った話。
その途中、高速道路から降りるインターを間違えて、戻るのにほぼ一日を費やしてへこたれた話。
次兄の結婚式にシアトルから駆けつけた妹が車に置いていたバッグを取られた話。
これらはオレがどこにも絡んでいないので、詳細は覚えていない。ただ、おやじと母にとっては、忘れられない思い出になったはずだ。
そういうたくさんの話をもたらしたバンクーバーを訪問して歩き回った約10日間のオレの思い出を誘い出してくれたということだ。
それとは別に、UBC関連施設付近で当時行われ始めた中国による香港市民を弾圧することに抗議するバンクーバー在住香港人による抗議があって、オレは許可をもらって写真を撮った。ビデオ写真を撮って応援する人から、オレは取材をされて(自分の顔を撮られながら)返答していた。
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