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おやじの裏側 xi (11. えっ、理事?)

おやじの教訓「就職して7年は何があっても我慢せよ」
  
オレは勤務校のある県の学校関係のある部会の「理事」になったことがある。
これにはびっくりだ。
オレは勤めてからまだ10年経ってはいなかった。
 
どう考えても県にオレを推薦した校長はどうかしていたと思う。
最初の理事会に出席してその感を強くした。
あんな面倒な仕事を、
他の教員に依頼する勇気が校長にはなかったに違いないのだ。
 
オレなら文句も言わずに引き受けるに違いないと思ったのだろう。
オレは確かに何を任されても文句も言わずに働いた。
それはおやじの教訓を心から受け入れたからだ。
それどころか、自分から進んで仕事を呼び込んだこともある。
 
就職してすぐの「英語教師会」(当時、専任だけで17,8名いる大所帯)で
その1年間の役割を決めることになった。
その中の一つに、
中学生の「英語暗誦大会」の指導というのがあった。
こういうのはあまりやりたがらない仕事の一つだ。
 
オレは真っ先に手を挙げた。
大学でスピーチコンテストにたくさん出て
経験を積んでいたことが生かせると思ったからだ。
他の教師のほっとする息遣いが伝わってきた。
 
代表者を選ぶ学内コンテスト、
題材決定、
早朝、昼休み、放課後などでの練習。
担任としても初めてのことばかり。
忙しい、いそがしい、超忙しい。
でも、担任の仕事も、部活の仕事も、スピーチ指導も
どれをとっても楽しくてたまらないスタートダッシュだ。
 
スピーチは、県大会で1位と2位だ。(出場枠が2人なのだ)
高松宮杯には同じ学校からは1人しか参加できない。
1位に入った生徒の「英語スピーチ」の原稿づくりが始まる。
県庁所在地からの帰路の電車の中で
スピーチ原稿づくりの話し合いを生徒とする。
いろいろ話してアイディアを凝縮させ
生徒にスピーチ作成の宿題を出す。
 
それを元に、オレが手を入れて修正するのだ。
最終的には外国人教師に手直しをしてもらう。
気に入らなければ、オレが別提案をして再修正。
 
まだ新幹線がない時代。
東京では、オレの妹の家に泊めてもらった。
泊ったのは生徒だけで、
オレは大会が提供する教師向けの宿舎だ。
そこでは、大会の後、
超一流のスピーチ専門家の批評を個別に聞くのだ。
名前は忘れたが、
NHKのラジオ英会話を担当している大学教授だ。
 
その解説を聞いていると、
オレの生徒の問題点を
的確につかんで話してくれるのだ。
 
その後も数年間、
スピーチ指導を引き受けて
他の教師の気持ちをほっとさせることができた。
その中に2人ほどは
今でも時折話すことがある。
その中学生だった生徒が
今や還暦を超えているのだ。
 
大会のフィナーレは
帝国ホテルの宴会場で
高松宮殿下を迎えての
昼食会だ。
 
出るのはサンドイッチという
軽いものなのだが、
引率のおばさん教師たちは
殿下が登場すると
駆け寄って手を振る
駆け寄って声をかける。
駆け寄って万歳三唱だ。
 
オレは燃えていたから
なんの苦痛もなかった。
 
夢中になって
スピーチの話題に埋没してしまった。

話を元に戻すが・・・ 
問題は・・・「××部会理事」だ。
朝早くから電車に乗って会場校に行った。
中に入ると緊張が全身を覆った。
校長室に案内されたのだ。
 
オレ以外に5人。
県の「××部会理事会」メンバーだ。
オレは当然のように一番若かった。
オレ以外は、校長や教頭がメンバーだ。
 
授業の持ち時間を聞かれてビビった。
校長は持ち時間はほぼ0時間だ。
教頭でも7時間とかだ。
オレは聞かれても20時間というしかない。
 
県で実施する「××部会」主催の大会がある。
それの役割分担だ。
オレにとってはどれもやりたくはない。
授業に穴をあけたくないからだ。
だからと言って、何もしないわけにはいかない。
 
オレに希望を聞かれても
何もわからないから
返事のしようがない。
結局「書記」に決まってしまった。
 
会の最後に、ビールが出た。
オレは飲まないから断ったが、
「ま、そう言わずに持って帰ってください」
オレは共犯にされそうな気分だ。
 
だからと言って、置いて帰るわけにもいかない。
相手ははるかな先輩諸氏ばかりなのだ。
帰りはバスで帰ることにして
バス停の近くの溝に中身を流した。
 
それからの1年間は
理事会があると、そこで空けた授業を
他の日々に穴埋めをする大変さを経験。
 
「××部会」の県大会で、
書記の仕事はしっかりとした。
と言いたいところだが、
私の大変さが分かっている校長が
「20時間の授業じゃまとめるのが大変でしょうね。私がやっておくので、メモったことを私が預かります。私が原稿を仕上げておきますよ。」
何という優しい校長さんだ。
オレの大変さを、若い時にいろいろ体験していたのだろう。
 
この一年間の理事体験は
オレの宝物になった。
 
おやじの教訓は
オレに栄養をつけてくれたのだ。


 
 
 
 
 

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