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いろいろと好きじゃの~! 2 (演説)

 アメリカの大学では基本的には教科書類は大学のBook Storeで購入する。
 
大学のBook Storeでは大学での生活に必要なものがほぼ手に入る。
大学のオリジナルグッズ、文房具、寮生活でカフェテリアで食事がない時のために鍋など調理器具も売っている場合すらある。Tシャツ、パーカーなども手に入る。
私はアメリカの都市に行くと、必ず大学に寄ることにしている。そのBook Storeでオリジナルグッズを自分への土産として買う。その大学キャンパスを訪問した証だ。

(上下ともNew York大学のBook Store)

  上の画像は、勿論許可をいただいて写したものである。嫌がるBook Storeのマネージャーもいる。その場合はごく一部だけなどと言うと、じゃぁ、そこの棚だけにしてくれ、などと言って写させてくれたこともある。

 私が留学したISU(インディアナ州立大学)にもNYUほど大きくはないが、このBook Storeは教室移動の丁度中心的な場所にあったので、とても便利だった。

  私は2度とこの大学には戻ってこれない気がしたので、帰国する前にいろいろと大学グッズを購入した。コースター、Tシャツ、パーカー、鉛筆、飾り用の超ミニグラス、ネクタイ、ネクタイピン、グラス(これは割れないように靴下などを詰め込んで)、メモ帳などなど、まだあるかもしれない。

大きな黄色いメモノート(A4サイズ)は今でも手元に残っている。最初の頃は仕事のメモや企画案等を書くのに重宝していたが、もったいなくて記念品としてキープしている。既に42年が経っているが、今なお授業の雰囲気を思い出したりすることがある。

 ちなみに予想通り、ISUに戻ることはないままだ。
やはりあの恐怖のプロペラ機のせいだ。
どうしてももう一度乗るとなると躊躇してしまうのだ。

 1970年に行ったミシガン大学には、2002年にワールドトレードセンターのテロ後を見ておきたくて行ってきたが、折角なので足を伸ばして大学のあるAnn Arbor(アナーバー)に行くことができた。
感動の一日だった。
そのうち「いろいろと好きじゃの~!」シリーズの一話に加えるつもりだ。 

今回の記事は、ISUでの「好きじゃの~」な話だ。本当は若干茶化したタイトルにしたのだが、少しばかり反省している。とは言え、それもいいかもしれない、などと自己満足している自分がいる。
 ISUのブックストア前での人だかりだ。

(ISU Book Store前:看板近くの背広の男性)


  これは人だかりの様子ではない。この写真に写っている場所が、ある意味、ハブ(拠点)のようなものだ。
そこを通って別の目的地に移動する。
このBook Storeはそのような位置にあるのだ。

私自身、何度その場所を通ったか分からない。そして、その場所でしばしば見かける風景があった。写真の中にも見ることができるが、よく分からない。スライドフィルムからカメラで撮って、それをPCに取り込むという面倒な作業のせい、というわけではない思う。
行き交う学生が多いのだ。
その中でひときわ高い位置から人々に話しかける人が見えるのだが、気が付いてほしいものだ。その人こそ、話題の人物だ。

彼は聖書の話を一生懸命にする。その姿を何度も目にした。ISUキャンパスの周りには数えきれないほどの教会が周りを囲んでいるように感じた。

私は基本的に一年間同じ教会に通った。通ったというより、教会のバスに迎えてもらっていた。ISUに到着してすぐに寮の電話で教会に迎えを問い合わせたのだ。

テキサス州のドン一家とは、ミシガンでそのようにして毎週日曜日に送迎してもらっていたのだ。
 ISUではJackというファーストネームの男性がいつも教会のバスで迎えてくれていた。
 Book Storeの前で演説をしている男性は、キャンパス近くのどこかの教会に所属していたのかもしれない。 彼の話に耳を傾ける人は、どちらかというと、あまりいない。信号が変わるまでの少しの時間だけ耳を傾ける人もいるにはいた。
彼は真剣そのものだった。
自分で持ってきただろう小さな台の上に乗って話すのだ。

私が知っている聖書の言葉がとめどなく流れ出す。恐らく無関心を装っている行き来する人たちも知っている言葉だったと思う。 

「教会に行きましょう」

「イエス・キリストを信じなさい」
など、このような人が話す言葉はほぼ同じ気がした。 時々は聖書のどこかの個所を引用しながら、その簡単な解説を加える。

 「アメリカでは乞食(多分今では使用禁止用語かもしれないが、私が子供の時代は毎日のように耳にした言葉だった)でさえも、聖書の言葉や主の祈りは知っているんだよ」

 昔、父親が食事の時に、私たちにそんなことを話してくれたことがあった。当時はホームレスという言葉もなかった。 アメリカのホームレスと言えば、相当頭脳レベルが高い人もいると聞いたことがある。
どこかの会社の社長がいたりする、という話をアメリカのTVで言っていたのを耳にしたこともある。 

1970年に初めての渡米をしたころは、そんな話が山とあった。日本人留学生がお金が続かなくて、大学をやめて、路頭に迷い、気が付くとビザも切れて、帰るに帰れずホームレスとなった、なんて話もたくさん耳にした。

それでも何とか生き延びたりできる国ではある。 ISUのBook Store前の青年は、熱心な信徒なのだと思った。話している内容も時には心を打つ。

 アメリカの学生は大学に来て初めて親元を離れる。
途端に勉強など元々したこともないために、各教科から出される宿題や予習テストの準備をしなければ、次の学期には学籍が亡くなってしまう厳しさがある。
中にはそんな窮地に立たされた時には、Book Store前の「説教」は身に応えるのかもしれない。
親の顔を思い出すのかもしれない。 

事実、私がいた寮ではそんなことはほぼなかったが、隣の「サンディソン」という寮は、フレッシュマン(1年生)が殆どで、秋の学期に入学して、早くも春の学期になると人数が激減しているのだ。
春休みに入るころには、最初は3人部屋だった部屋が、2人になり、最後は1人になったりする。

 私が知っている日本人がこのサンディソン・ホールに入っていたからそんな情報をたくさん得ることができた。彼は私たちが入っていた「ギラムホール」には入れなかったのだ。
この寮は基本的に20歳以上の学生がいるので、みんながそんなフレッシュマン時代を乗り越えてきた人たちがいる。
遊んでいても、勉強をする時には集中して乗り切るすべを持っていた。 

私は兎に角単位を取り卒業をしなければならない宿命にあった。何故ならば、勤務している学校からの奨学金と国の奨学金をもらっていたからだ。不足分は自分のお金をつぎ込んでいたので、単位を落とすなど考えられないことだったのである。 

アメリカの学生は親がお金を出さない。
出す親もいるかもしれないが、バイト学生が多い。よく働きよく遊びよく勉強をするといえる。
最初のルームメートのランディーは、夕方になるとバイトに出かける。そして私が寝た頃に帰ってくるのだ。 だから教会に行くのは、私には大きな息抜きとなっていた。
勉強のスケジュールからはその時間は外しておけば、気にならない。
食事に誘ってくれたり、講演を頼まれたり、家に招待してくれたりする。教会で外の世界とのつながりができるからだ。

 そういう意味で、あの「説教者」は貴重な存在なのかもしれない。私が気が付かないところで、彼の演説に引かれて教会に戻る学生もきっといたのだろう。


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