2018-09-28の記録から。 いつか来る日のために書きとめておいた、あの当時の気持ち。2014年5月に書いたものを経過年数だけ追記し、そのまま記載します。 多くの人には伝えられていないし本当は話すべきでないのかもしれないけれど、ちょっとした想いがあって、この話を公表しようと思う。私が初めて死を意識した衝撃のガン告知は、2014/3/18、今から4年半前のことだ(2018年当時の記載)。ステージ3aの進行大腸癌、切り取ったリンパ節にも転移があり、五年生存率は70%。五年
山ガールでも何でもない私が、キリマンジャロに登りたいと思い立ったのは2023年7月。仕事で、「そんな高い営業目標もらっても、ちゃんと投資もしてくれないと達成できないわよ」と不満をもったのがきっかけ。人に与えられた目標で日々にストレスがかかるなら、自分なりに達成感のある目標を作っちゃえ、と思い、なぜだか山を思いついたのだ。 カツ丼が食べたいと思ったら食べられるまで何日もチャンスを狙い続ける、食べ物と楽しいことにある種執念深い私は、結果、同年12月末にその目標をやり遂げたのでした
冷房のきいたオフィスタワーから出て生温かい空気に触れたら、初めて涙が出てきた。母親にメッセージしたせいかもしれない、検査結果クリアだったよ、と。 火曜に検査して二三日で結果が来ると聞いていたのに、電話が来ない。何か見つかったのだろうか、でもそれならそれですぐ再診の依頼がくるはずだし。と時折気にしながら待つこと数日、大好きなカツ丼を久々にランチに食べていたら、電話がなった。 「Miss, 病理検査の結果も良性でした。あとは二年後にまた検査を受けてね」 ということは、私は五
2019-03-25の記録より。 先週、大腸がん手術後五年目の検診に行ってきた。 平日にまる一日お休みをもらい、血液検査と超音波診断と内視鏡による検査を行う。海外だと再発のチェックも日本ほど頻度は高くなく、Colonoscopy(大腸内視鏡)も二年ぶり。 先生は大腸専門医でParagon medicalセンターに小さなオフィスを一室構えていて、そこに朝10時に到着、下剤を飲んで午後の検査に備える。日本で同じ病気の治療を受けていないので何とも言えないのだけど、シンガポール
2018-12-05の記録より。 五年経ったら病気のことを打ち明けてもいいかなと思っていたけれど、つい二ヶ月ほど前、ひょんなことからきっかけをもらった。それがMake Over Magicだ。 シンガポールでは誰もが聞いたことのあるヘアサロンShunji Matsuo。1996年からシンガポールにサロンを開いた松尾俊二さんのお店はシンガポール国内だけで10店舗にものぼる。彼の活動はサロン運営のみならず、高齢者が美しく輝く社会の実現を目指し、2013年から60歳以上の一般の
2018-10-20の記録より。 手術に立ち会ってくれた友人は、稀に見るすごいレベルの天然ボケ女子だ。賢いし可愛い上に天然なので癒し系女子なのだけれど、芯や思い込みが強かったりして、味もあるのでそこも大好きだ。 病気を打ち明けて治療について話している時に、 彼女「え、それは散らせないんですか?」 私「○○ちゃん、それ、盲腸だよ・・・。がんは散らしちゃ危ないよ・・・」 二人爆笑。 盲腸と大腸がんを間違える友人が近くに付き添ってくれたおかげで、私も深刻になりすぎずにす
2018-10-14の記録から。 そもそもガンが発覚したのはひょんなことからだった。血便はあったものの一時的な痔だと思っていたし、がん自体は特に痛みがない。ある時期から突然お腹が痛くて眠れないほどで、検査の結果、子宮筋腫が原因だった事がわかったけれど、ついでにやった大腸内視鏡で腫瘍が発覚したのだ。手術でお腹を開いたときに、見えた筋腫も一緒に焼いといたよと先生が言ってくれたけど、あの時は子宮が「やばいよこのままだと死んじゃうよ!と腸の代わりに悲鳴をあげてくれたのだと今では思っ
2018-10-14の記録より。 検査に行ったのは、2014年3月11日だった。奇しくも東日本大震災の日だ。 若いし何もないと思うけどねと言った医師は、大腸内視鏡検査を行った後、顔が青ざめていた。手術をする事になると思うんだよね、僕が執刀出来ればいいんだけどここ(シンガポール)ではライセンスの問題があるから、専門医を紹介します。親御さんにも相談した方がいいかもしれない。とりあえず来週再診してくださいと、その時はガンどころか腫瘍の深刻さについても触れてくれなかった。多分告知
2018-09-27の記録より。 重い腰をあげて、とうとうちゃんと書くことにした。 がんと診断されたあの日から、いつか始めなきゃと思いもう四年半も立ってしまったけれど、最近神様と友人にきっかけをもらったので、きちんと形に残そうと思う。 2013年3月に告知され手術して、進行性大腸がんステージ3との診断。 データから見る5年生存率は65-70%。 当時の私は32歳、独身、海外勤務。 どうしてと、泣いたり、悩んだり、色々考えて、それでも今まだここで生きている。 振り