馬日記・その11
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2004年3月21日〜(25歳)
@ Rainbow Gathering in Costa Rica
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残念なことに、ここら辺の当時の日記がしばらくない。
なので、記憶を辿って、書いてみよう。
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乗合トラックは、街の中心地(なのだろう)の坂の途中の五叉路に着く。他の地元の方々の乗客の様子を見ると、ここが終着点なのだとわかる。荷台をまたいで飛び降り、街へと降り立つ。コスタリカの地方のこじんまりとした街の空気を感じ、心が踊る。しかしその反面、早くメールをチェックしたくてしょうがなく、落ち着かない。そんな様子はどうやら、ぼくだけではないようだ。仲間たちも、一目散にインターネットショップへと向かった。みんな、遠く離れた大切な人とたちと、つながりを感じたい気持ちは一緒なのだろうか。
その小さな町のインターネットショップでは、日本語が読めるだろうかと不安であったが、windowsの設定をいじらせてもらって、何とか読めた。よかった。メールボックスには、日本からのメールが何通か届いている。彼女からのメールには、以前ほどの感情的な文面ではなく、最近の日々の様子が綴られていた。ぼくがいなくなってきたことにも折り合いをつけ、慣れ、落ち着いた日々に戻っていっているような、そんな印象を受けた。そして、珍しく、父親からのメールも届いていた。
父からのメールの内容は、宛名を見たときには、もうすでに半分予測していたものであった。「おじいちゃんが、先日、亡くなりました」と、記されていた。そして、「いま、どこにいますか? メールを見しだい、連絡ください」とあった。いろいろなことが、頭をよぎった。おじいちゃんのこと、日本の家族のこと、自分のこれからの旅のこと、そして、日本からこんな離れた場所に来てしまっていることを。街に仲間達とやってきた楽しかった気持ちは、もうどこにもない。しかし、日本を離れた時から、このような状況となることを、常に覚悟していたように思える。インターネットの30分のデポジットの時間が終わり、椅子を立ち、店の外に出た。その場に一緒にいた日本人の仲間に、祖父が亡くなったことを口に出して伝えた。言葉にしてみると、なんだか、遠く離れたこの異国の地でも、祖父の死をありありと感じた。
皆は、このまま街の反対側のPizza屋さんへランチへ行くという。ぼくも、そのことをとても楽しみにしていたのだが、諦めることにした。何はともあれ、日本へ電話掛けなければいけない。誰かが「国際電話をかけるなら、インターナショナル・フォン・カードを買うのが一番安いよ」と教えてくれた。ぼくは、皆から離れ、街のTienda(小売り商店)へ、カードを探しにいった。
一軒目のお店にて、すぐにカードを見つけることができた。どうやら、テレフォンカードが国内外を問わず一番安い電話手段のようで、地元の人々もよく利用しているようである。しかし、旅の間節制をしてきたのだが、このテレフォン・カードがとりわけ高い支出となった(きっと、これまでの旅の人生の中でも、旅先から日本へ電話をかけるなんて初めてのことだ。いつも、お金のことを気にしていたゆえに)。トラックを降りた広場のあたりに、公衆電話を見かけていたので、そちらへ戻ることにした。
壊れているのかどうかよく分からない、そして、スペイン語表記で使い方もよくわからない、公衆電話の前に立つ。受話器を持ち上げ耳に当て、テレフォン・カードの裏面の長い、長い、数字の列を打ち込む(途中で英語のガイダンスに切り替えることができるとわかり、助かった)。まるで、日本への距離の分だけ数字のボタンをたくさん打ち込んで、ようやく父の携帯電話へ繋がった(連絡手段が携帯電話しか知らなかったのが悔しい。相手が固定電話ならもっと安くかけられただろうに)。
どんな着信番号で父の携帯電話に表示されるのだろうか?と、少し心配に思いながら、受話器越しに呼び鈴を聞いていた。数度鳴った後に、父が電話に出た。父は、「おう、元気か?」といつものように端的に挨拶をして、こちらの近況を尋ねてくれた。そして本題に入ると、それは、いつもより語尾を強めて「とにかく、一度、帰ってきなさい」と言っていた。父が語尾を強めるのは、稀なことであり、ぼくは帰らなければいけないと思った。「葬儀はもう終わったが、もうしばらくして、社葬があるからそこに参列できるように」との明確な期日を伝えてくれた。
電話を切ると、まだカードには残高が残っていそうだったので、日本の彼女に電話をした。呼び鈴が鳴っている間、何だかドキドキと、とても緊張した。電話に出た彼女の声は、突然の電話にびっくりした様子だったが、しばらく話しているうちに、いつもの二人の感じの会話になってきた。この空気感が、とても恋しくかったのだ。いつまでも話しをしていたかったのだが、突然にぶつりと電話が切れた。カードの残高がなくなったようだ。
公衆電話から離れ、顔をあげ、辺りを見回すと、そこは、全くに中米の異国の地であった。受話器の向こうの日本の現実から、一気に、いま自分がいる世界へ戻ってきたような。しかし、気持ちは受話器の向こうに取り残されたままのような、なんとも言えぬ、心の所在を見つけられないでいる自分がいた。仲間たちが待っているPizza屋を目指して歩き出したものの、しばらく街を一人で歩くことにした。
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