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ぼくの旅路 #13


【 エゴを見つめる / ネイティブ・アメリカンの教え 】


当時のわたし:26歳




 数日後に迫った、サンダンス会場には日に日に人が集まってきていた。場の雰囲気を感じていると、どうやらここに集まった人たちは、大体が親族や顔見知りのような繋がりの人たちが多い雰囲気だった。一年に一度の一番の夏の盛りに、大きな意味でのファミリーが一堂に集まる寄合のような雰囲気でとても温かかった。ぼくたち日本からの旅人たちも、分け隔てなくこのファミリーに迎えて入れてもらえる感覚に、旅のいっときの安らぎ与えてもらっていた。しかし、そんな一見穏やかな空気の奥には、確かな緊張感の糸がピンと張られているのも同時に感じていた。これからのサンダンスの儀式へ向け、人々の意識が共に鋭くフォーカスされていくのを感じていた。
 
 ぼくは、この人々の意識のつながりは、とてもすごいことだと感じていた。ただ、一年に一度の懐かしい顔の人々と再会し和んだ場を持つだけではなく、その先に共に試練に向かっていく心構えがあるのだ。つながるとは、人と人のつながり、自己と魂とのつながり、そして母なる大地とのつながりを今一度自覚しようという意識がそこに溢れていた。そして、これからのサンダンスの試練をみなで乗り越え、共に讃え、大いに祝福し合う。人々は、ここでのそうした時間を数日過ごし、再びそれぞれの日常へと戻っていく。人々は、このサンダンスの場で生まれたエネルギーをこころにしかと蓄え、糧とし、次の一年をこころ強く健やかに生きていくのであろう。それは、ぼくが今でもこの夏のことを思うと、こころに光が射し込んで、正しい道を指し示される思いが湧いてくることがその事実を語っている(こうして当時のことを思い出しながら文章を書いていると、背筋が正され脊柱に光が通っていく感覚なのである)。

 ぼくは、これから数日後のことを思うと、サンダンスを踊ったものとして、この草原に立っていたい思いが強かった。ぼくは、グラスホッパーに、最後の一歩の勇気を振り絞って、「踊りたい」と伝えなければいけないと思っていた。

 集まった人々の中に、ひときわ体の大きなネイティブの兄弟がいた。二人とも小さな子供と奥さんを連れてやって来ていた。彼らと言葉を何度か交わしていくうちに、彼らはチーフの息子たちだということがわかった。「チーフの息子」と冠がつくと、なんだか余計に威厳があるように見えてしまう。しかし、そんな事実に関わらずに、彼らの立ち振る舞いの奥にある魂の在り方には、何か惹かれるところを感じていた。ぼくはもちろんのごとくに、彼ら二人ともサンダンスを踊ったことがあるものだと思っていた。なので、「今回もサンダンスを踊りに来たのですか?」と質問をすると、二人とも口を揃えて「いや、ぼくたちは、たったの一度も踊ったことがないのだよ」との答えが返って来た。ぼくは、この言葉に見事な肩透かしを食らった思いであった。というのも、(言葉が悪いかもしれないが)サンダンスの勲章である胸の傷を誇らしげに見せる猛者どもの中で、その言葉は全くに違う質感を持っていたからだ。ぼくはこころの中でその答えに納得がいかず、「え、じゃ、じゃあ、踊りたいとは思ったことはないのですか?」と聞き返した。そうすると「踊る必要が来たら、ぼくは踊るよ」と兄弟の一人が答えてくれた。

 この言葉に、何かこころの奥の深いところが照らされ、今まで見えていなかった景色が立ち上がってくるような感覚を覚えた。それは、ぼくに、サンダンスを踊ることの意義を全く別の側面から考えさせるものだったからだ。

「踊りたいから、踊るのではない」

「踊る必要がある時のために、今は踊らないのだ」

と、彼らの魂は語っていた。

 そして、兄弟は数々あるサンダンス・ソングの中にある一つの歌詞を教えてくれた。その歌は、サンダンスの創成の物語を歌ったものである。


ーつづくー


バージョン 3 (3)


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