見出し画像

ぼくの旅路 #14


【 エゴを見つめる / ネイティブ・アメリカンの教え 】


当時のわたし:26歳




サンダンスの始まりを歌った歌は、ある一人の男の話だった。

ある男は、命がそう長くないであろう病を患う一人の息子を持っていた。男は、大いなる意志・グレートスピリットに助けを求めた。一年で一番強く光り輝く太陽に向かって、四日四晩、食を断ち、祈り続けた。それは、己の命を引き換えにでも息子を救いたいとの、祈りであった。

(※ あれから随分と時間が経ったもので記憶の熟成と、そもそもの当時のぼくの英語の理解力の不十分さから、歌詞の内容の正確さには自信がありません、ごめんなさい)

そして、兄弟の一人が言いました。

「ぼくが、踊りたいから踊るのではないと言った理由は、この歌に書かれていることが全てだよ。」


*** 当時の日記より ***


7/14 Thu.

朝はヨガをする。朝食をとり、サンダンスの会場作りのための仕事へとりかかる。

ぼくとチーフのハリーとトム(もう一人のサンダンサー)は柳を切りに行く。残りの人たちはスエットロッジのためのファイヤーピット(火を燃やす場所)を掘る。ぼくたちが帰ってきて、採ってきた柳の枝を使ってスエットロッジを完成させた。その後は、セージを摘む。みんな暑い日差しの中よく働いていた。

会場から、ハリーの家に帰る前に、グラスホッパーが日本人の仲間とリックを呼んで、少し歩いて小高い丘を越えた先のサンダンスを踊る場所へと連れて行ってくれて、そこで色々と説明をしてくれた。そこには切り株があり、それが去年のセークレット・ツリー(聖なる木)だ。そこから今年は東へメインサークルを作る。東は物事の始まる太陽の昇る方角で、子供たちを象徴している。そして、南、西、北の説明もしてくれた(どういう意味がそれぞれの方角にあるのか、もう一度尋ねてみないと)。

彼は「今の風景と、サンダンスが行われる時の風景を見比べてみてくれ」と言っていた。そして、「サンダンスが終わった時にあの丘を登っていき、サークルを振り返ってみてくれ。私たちのダンスが終わっても、そこにはまだダンスしている者たちの姿が見えているはずだ。それはずっと続いていく。今も、ここで昔の人たちのスピリットが踊っているんだ」と言っていた。彼は泣いていた。どうして、彼があんなにもぼくにサンダンスを踊らせたいのか、少し解った気がした。

ハリーの家に戻ると、シンティアがとても美味しい夕食を作って待ってくれていた。夕食の後は、ハリーのいつもの歌と太鼓の素晴らしい時間を過ごした。

何故だか、今晩から僕たちだけサンダンス会場でキャンプすることになっていたようで、みんな疲れた体を持ち上げて車に乗り込んだ。今晩は、全員、草むらに立てられた一つにティピの中で寝た。

画像1

画像2

7/16 sat.

朝は久々に気持ちよく瞑想ができた。

今日は朝から暑い日差しの中、一日中セージ摘み。
とても強い日差しだ。この炎天下の中、サンダンスが行われるのだ。
サンダンス会場のメインサークルを作る手伝いをした。WPPD(World Peace & Prayer's Day)の時も日本人の仲間でメインサークルを作る手伝いをしたなぁ。

チーフのハリーが来て全員集めて、聖なるパイプを回した。それぞれに思いを込めて、祈りを込めて、パイプを回した。その後雨が降り、ハリーが僕たちに向かって満面の笑顔を送ってくるので、振り返ってその先を見ると、虹が2つ出ていた。ぼくは虹が出るのを予感していた。そして、その意味も…。しかし、ぼくはサンダンスを踊るかどうか、まだ決断できずにいる…。

夕食は仲間の日本の女性たちが集まって、頑張って、会場にいるみんなのためにご飯を作ってくれた。とても気持ちよく働く人たちだ。みんな、とても喜んでくれていた。その後、そこに集まったみんなで歌を歌って、楽しい時間になった。

夜はたくさんの蚊がテントの中に入ってきて、その後は強風が吹き荒れ、ぼくのテントはズタボロにやられた…。

画像3


いいなと思ったら応援しよう!

TABI便り
感謝!