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馬日記・その5


時は、2003年
場所は、南米ブラジル

 前回までの馬日記から、時系列が一年前に戻ります。就職活動をどうしたものかと頭を悩ませながら旅に出た、大学四年生になる春休みの記憶。この南米旅行で『Rainbow Gathering』と出会いました。これから話を進めていくのに、Rainbow Gathering に出会った時の衝撃を先にお伝えしたいなと思いました。以下は、当時Rainbow Gatheringに半月ほど滞在して山から降りて来た時に、友人知人に宛てたのメールの文面です。


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みなさん、お久しぶり!

ぼくは、今、ブラジルのサルバドールという街にいます。メールを送ってくれた人、お返事をなかなか返せなくてごめんなさい。というのも、この数週間程、山の中でキャンプをしていました。正確には、キャンプというよりも、Rainbow Gathering というものに参加していました。旅をしている仲間のなかには、知っている、行ったことがある、という人もいるかもしれないけど、ぼく自身は、この Rainbow Gathering に来る前日まで、全くもって名前さえ聞いたことがありませんでした。

この Rainbow Gathering へと辿り着いた、ぼくの物語は、長距離バスでの出会いからはじまりました。リオ・デ・ジャネイロから北へ24時間行ったサルバドールという街が、ぼくの目指すところでした。サルバドールで本場のカポエラを見てみたかったのです。しかし、帰りの飛行機はチリのサンティアゴからで、北を目指すとなると、旅の最終目的地からはどんどんと離れてしまうので、行こうかどうかとても悩んだのだけど、どうしてもこちらの方角に惹かれて、ならば飛行機で飛んで行こうと思っていたら(日本円にしたらそれほど高くないので時間の節約のために)、運悪くリオはカーニバルで、どこの旅行代理店も閉っていてチケットが買えなかったのです(追記:今だったら、インターネットで飛行機チケットも個人で買えてしまうところでしょう。まあ、当時はクレジットカードも持っていませんでしたし。Citibank とトラベラーズチェックが懐かしいですね)、それでも行きたくて、バスに乗っていくことにしたのが始まりです。

このサルバドール行きのバスの中で、イスラエル人の女の子2人とオーストリア人の男の子1人のグループに出会いました。彼らと仲良くなってしばらく話していたら、「Rainbow Gathering」に行くと言っていました。はじめて耳にするコトバ、「Rainbow Gatheringってなんだ」? 何やら、世界中から様々な人々が集まって、一つのおおきな家族となって、ただ、ただ、何もない自然の中で暮らすらしいのです。新月に始まって、新月に終わる、とのこと。「まるで映画の【The Beach】みたいじゃないか! 」と、頭の中で空想を膨らませていると、彼らは「一緒に来なよ」と、誘ってくれたのです。

 今までのぼくの旅は、移動ばかりしていて(追記:それまでに、大学の長期休みの度に、バックパッカーとして何十カ国も旅をしていました)、「もの」はいっぱい見てきたけど、表面上の事で終わってしまっているんじゃないかと、自分の旅の仕方に疑問を感じていたところでした。もっと、同じ場所にとどまり、同じ人たちと長く一緒に時間を過ごすことによって、はじめて発見できる事もあるんじゃないか、と思っていました。そうした思いから、「Rainbow一緒に行こう」 と、彼らが誘ってくれたことは、いままで、ぼくが、どうしても恥ずかしくてノックすることができなかったドアを一緒に開けてくれる手を、差し出してもらっている様な気持ちでした。しかし、同時に、旅の行程を変更してしまうこと、さらには、ドアの向こうの未知なる世界への不安もあり、しばし、ためらいました。けど、よくよく考えると、北に行こうと決めて、飛行機に乗れなくて、バスに乗って、彼らに出会い、彼らがぼくのことを気に入ってくれて、そして、「一緒に行こう」と誘ってくれた。この一連の出来事を思い返しました。それは、なんだか、ただの偶然ではないと、感じたのです。これは、行くことになっていたんだな、と思いました。そして、静かに、こころを決めました。さまざまな気持ちを携え、ぼくの心臓はドキドキと、暗がりのバスの車内の中に響いていました。

日が昇り始めた頃に、ぼくたちは、まったくの片田舎の小さなバス停で、途中下車をしました。



 今、振り返ってみれば、朝焼けにバスを降りたこの瞬間、それは、ぼくにとって人生の行き先を、直感の通りに選び取り、進んだ、瞬間だったのです(もちろん、それまでの人生でも多くの選択をして生きてきましたが、この時ほど、鮮やかに、その場で、瞬発的に、直感に従って、選択肢を変える、という経験はしたことがなかった様に思います)。この先に待ち構えていた経験のことを思えば、それは、まさに人生の決定的なターニングポイントだったのです。

 当時のメールにもあるように、それまでのぼくの旅は、「大学の長期休み」という限られた時間の中で、あらかじめ、ある程度の行き先や、やりたいことのリストを作成し、帰りの飛行機の日付までに、そのリスト項目をできるだけ取りこぼさないことを念頭においた旅でした。気ままな一人旅といっても、そういった意味では決め事に囚われた旅だったといえるでしょう。しかし、ブラジルのバスのなかで起こった出来事は、目の前に差し出されたもう一つの選択肢に、こころが大きく反応し、頭の中の「リストに従って行動する」という声を無視して、もう一つの声に従った瞬間だったのです。いつもの意思決定の思考から、抜け出す瞬間だったのです。

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