馬日記・その13
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2004年5月4日(25歳)
@ Rainbow Gathering in Costa Rica
当時の日記を開き、記憶と紡ぎ合わせ、綴る
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久々の更新です。ちょっと、今までの記事を読み返しましたが、今までの通りの文体にこだわって書くのに不自由さを感じるので(しばらく離れていたら気分もだいぶ変わったのでしょう)、今の自分が気持ち良いように書きたいと思います。さあ、どんなになりますかな!? とにも、また、この記事を書きたいとの思いが蘇ってきて、いざ、書き出せたことが嬉しい!Let's Enjoy !
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祖父の死の知らせを知り、トンボ帰りでコスタカリより日本に戻った数週間の日々。日記を見るに2004年3月10日に日本を出発して、4月19日の25歳の誕生日に再び日本に戻ったのだから、1ヶ月ちょいの不在であった。東京の実家に戻り、家族や、彼女と再会を果たす。
祖父の葬儀も無事終わり、コスタリカへの往復チケットの帰りの日付が迫る。また旅立つことに、家族や、彼女にとても後ろめたい気持ちが募る。しかし、ぼくは、ここで他人の気持ちを優先してコスタリカに戻らなかったら、旅をしなかったら、ただ日本で愚痴を言いながら枯れていくだけであろう。
出発当日、おばあちゃんと叔父と玄関先でお別れした。別に住む、父と母とは、昨晩の夕食の席がお別れのタイミングだった。おばあちゃんは、とても寂しそうな顔をしていた。「おばあちゃん、ごめんね」との思いに、思わず胸がキュッとなる。兄が車でぼくと彼女を最寄りの駅まで送ってくれた。
彼女とは池袋の乗り換えのタイミングでお別れした。よくここでデートの終わりも、お別れをしたものだ。彼女は「じゃあね」と、いつもの感じだった。また、明日にでもまた会えるかのように。うーん、彼女はいま、どんな気持ちなのだろう。何を考えているのか、わからない。ぼくの言動が悩ませているのは確かだと思うけど・・・。とにかく、ぼくにとって彼女との別れは、とてもとても、寂しい。それでも、旅に行きたい自分であることも確かなのだが・・・。
成田空港に着き、シンガポール・エアーラインのCheck In カウンターへ手続きに行くと、「日本に帰るticketがないのは問題だ」と言われる。しかし、前回コスタリカに行くときも、片道航空券しか持たずに乗れたし、入国できたぞ。たった1ヶ月前のことだぞ。スタッフが、コスタリカの大使館や、他にもどこかわからないが連絡を取って確認してくれ、ようやく「片道チケットでも大丈夫です」と言われた。
さあ、飛行機に乗り込んだ。席に着くと、慌ただしかった日々を終えて、あとは飛び立つばかりのところまで来たことに、ある意味ほっとした気持ちとなった。しかし、それと同時に、飛行機が飛び立ち、東京の街の光がどんどん遠のいていく光景に、家族、何よりも彼女のことを思わずにはいられなかった。旅立ちとは、常に寂しさと希望が入り混じる。
Los Angelsでの乗り換えは、あまり待ち時間がなくてよかった。そして、アメリカ上空をさらに東に向かって横切り、次はMiamiへ到着。数週間前の、マイアミでの奇妙な誕生日の夜を思い出す。飛行機を降りて、荷物受け取りロビーまで歩いていくと、WOW!、スコットがいた。 スコットはRainbow Gatheringで仲良くなった、アメリカ人のお友達だ。お互いに、「こんなところで、こんなタイミングで!」と、驚きと喜びを持ってハグをする。
最後にスコットとコスタリカでお別れした時は、Horse Caravanではないけど、別の地元の人たちと馬で旅をする準備をしていたから、今頃馬で旅をしているのかと思っていたので、こんなところでの再開にびっくりする。しばしの会話の後、一旦、荷物を取りに行く。バックパックをベルトコンベアーからピックアップし、その後いくら待てど、ディジュリドゥが何処にも見当たらない。辺りを見回すと、シーンと静まり返りっていて、「これ以上待っても、もう何も出てきませんよ」といった空気が流れている。クレームカウンターへ行って調べてもらうと、ディジュリドゥだけシカゴへ送られてしまったらしい。えええええええ〜〜〜〜〜〜〜!!!その事実と同時に、アメリカの飛行機会社の人たちは、ひと事も「Sorry」と言わないことにも、なんだか驚く。 大切な楽器が消えてしまって、だいぶダメージが大きい。本当に、ディジュリドゥは戻ってくるのかな・涙。壊れずのままいるかな・涙。
今晩は、マイアミの薄暗い空港のロビーのベンチで、スコットと、スコットと一緒にいたもう一人のヒアメリカ人の女の子と一晩を過ごす。一人で、無機質な空港での一晩かと思っていたから、とても嬉しかった。空港のロビーは、エアコンが効きすぎで、とても寒く、バックパックから寝袋を引っ張り出した。ガタガタのベンチの上だが、ようやく横になれた。朝のおばあちゃん、彼女との別れから思うと、長い長い一日だった。時差もあり、実際に24時間以上の、とても長い一日だったようだ。