年始年末っぽさをうらやんで
「あれ、2022年終わってんだけど!(笑)」の一言が、今年最初の一言一句だった。しょーうもない年越しだなぁって、社会人が背負っているような責任も重圧もないまま吐き出す言葉が漂えるこの雰囲気が、ずっと続いてくれればいいのに。
紅白を見て、ジャニーズカウントダウンを見て、おもしろ荘を見て、除夜の鐘を今年はつかずに耳だけ参加。お雑煮の出汁を作って、正月に必要な食材をそろえて確認して、お雑煮に(例年は)入れるはずの彩りが足りないことに気づく。そうやって、少しづつ年始年末を通して集めた違和感を俯瞰すると、年始年末っぽさが無かった事に気づいた。
普段から、或いは生まれたころから、物心ついたから感じていた「当たり前」が少しでも無くなると、私は人並みに寂しさを感じるようだった。
例年は人任せにしていたお雑煮作りに取り組んでいること。周りの人が体調を崩してしまったこと。年始年末で買い物に出かけたこと。初詣を逃したこと。家事にずっと追われていたこと。(もう?)お年玉を貰えないかもしれない年齢に来た事。年賀状をすっかり書かなくなったこと。年賀状がすっかり届かなくなったこと。親が好きで流すお正月BGMが耳に入ってこないこと。もう年明けだぞって言いながら起こされなかったこと。
「当たり前」に飼いならされると、僕はそれがないことの寂しさを案外感じるようだった。いや、それは人間全般に言えることだろうか。そこに沈んだお芋と、なると、お芋の上に漂う餅をつつきながら、いつか無くなるこの風景と習慣と、そこに居る自分を憂いても、いや別にそんなこと考えていなかったな。うん。なんだか深刻に書きすぎた。三が日はずっとお雑煮食べて、なかなか会えない友達にあけおめLINEを送って、怖かった初夢を思い出しながら愚痴って、そうやっていつまでもダラダラするのだ。
大学生は、いい…のだろうか。簡単に比較できることじゃない。若くして大学生の道を選ばなかった場合を想う想像力が足りない….モラトリアムをたっぷりもらって、これで果たして社会人になれるかどうかの心配を頭のどこかでしながら、今ここにある布団の温かさを噛みしめる。あぁ、宇宙広しといえどこの心地よさはなかなか見つけられないのではなかろうか。いやぁ、宇宙って怖いですから…あんな真空空間にいなくて良かった。でも知識としては面白いけど。
そしていつもどおり、成人式の日が近づいてきて、北九州市かそこらの奇抜な服装に身を包んだ若人と、少しのトラブルのニュースを見ることになって、忙しい現実へと放り出されていく。朝起きれない。寒い!辛い!
あぁ、どうか、何事もなく、生きて入れたら万々歳。