私は常に出遅れていることにする
この世のすべての人間は、
私にはない素晴らしい素養を持ち合わせている
なんとなくそんな気がするんです。これは「私なんて…」という自身を否定するだけの劣等感というよりも、私が他者を尊敬する為に必要な姿勢だと考えています。
他人より秀でている事、或いはどこかで劣っていること、そういうのを人間は気にするのでしょう。私も、例えば就活中でそういうことを意識してしまったこともありますし、過去にも似たような経験があります。みなさんは、どうでしょうか。
私には、得意だと言えることは、幸運なことにあります。大した労力も要さずに、人並み以上の成果を生み出せると言い換えてもいい。でも、それってあんまりおもしろくないんです。は?得意なことがある奴がうるせぇな、という声もあると思いますが、是非続けて読んで欲しい。
例えば、「ONE PUNCH MAN」という村田雄介さんの作品には、「ワンパンマン」というキャラクターが登場します。ワンパンマンは、ハチャメチャに強くて大抵のことはパンチ一発で済んじゃうような人間です。すごい。でも、ワンパンマンは「つまんねぇな」って言うんです。
私はワンパンマンほど、圧倒的な強さとか、スキルを身に着けているわけではないですけど、なんとな~く分かる気がします。悪い気はしないけど、なんかつまらない。これから起こること、私のターンしかないみたいな。相手がどう来ても、「ホイ」で終わってしまう感じ。得意なことではね。
すると、「苦手なこと」「知らない事」「自分が能力不足だと感じること」に対して、すごく燃えるんですよね。この不充足感を無くすために、自分は一体何ができるのかと考えていると、あっという間に時間が過ぎて夢中になっている時が多いんです。そういうもがいている姿って、ある種醜いかもしれないですけど、私はいいなって思います。実際私は夢中になってしまうので、嫌いじゃないんですよね。なんかこう、出来ないけど頑張っている感じ。
齢20少しの私は、これからの人生を生きるにあたり、「私は常に出遅れていることにする」という考えで生きた方が楽しいのではないかと思うようになりました。もちろんまだまだ青二才なので、未熟なところや至らぬ点はたくさんあります。でも、それでいい。自分が青いと自覚しているからこそ、そこから熟せるように頑張ることが出来るんです。慢心なんて言語道断です。面白くないです。死ぬまで、あぁまだまだって思っていたいくらい。
だから、私以外の人は、私にはない素晴らしい素養を持ち合わせているように思えるし、そう思った方が楽しいんです。だから私という人間はある種、「私以外の人間の劣化版コピー」だと思っています。他人をなぞるだけのでくの坊。決して他人様の良いところに完全に追いつけるわけではないけど、そこに向かって走り続けることは出来る。そう感じています。そういう意味で、私はという存在は「空っぽ」です。他人の良いところの劣化版を詰め込んだテディベア。
悪く聞こえるかもしれないけど、私は結構好きです。劣化版でいいじゃん。そこから良くなっていけばいいじゃんてね。