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ちょっと一息

 今日は日曜日。2月もいつの間にか下旬に突入し、冬の寒空は少しづつ暖気を帯びるものへと変わっている。

 高校生時代の同級生と、今日はご飯へ。わざわざ私が住んでいる所の近くまで来てくれこと、感謝したい。今度は私がそっちへ行こうかな。

 就活中の私と打って変わって、その子は社会人寸前の段階だ。私は一度休学をしてしまったから、来年度からはおそらく同年代で働いている人の方が多いというと驚くほかない。一足先に、彼ら彼女らは企業社会に出ていくんだなぁ。あぁーw、私はもうそんな年になってしまって。若いのは若いのだろうけれど、ずっと背丈の小さな人間を見ると、果てしなく距離を感じる。

 なんだかな。

 高校時代の部活の話だとか。卒論だとか。同級生にあっているのか、とか。大学生の間にやりたいことは出来たのか、とか。バイトの話。卒業式の話。私たちの世代にしか分からないであろう、という話。だんだんもっと若い人の話が分からなくなる不安。働くことの不安。その子が働く業界の話。本当に色々話した。話して、少し黙って、またベラベラ話して、膝を叩いて笑い声を漏らす。

 嫌な事があって落ち込んでいたけど、やっぱり話せてよかったと思えた。少し心の傷がいえた。持つべきものは友、と言っていいのか分からないけれど、ふとした時に連絡がとれてわざわざご飯まで一緒に食べれる人がいるということは、本当に幸せでしかないんだなぁ。

 中身なんてまぁ、どうでもいい。「なんか変だね」っていうことだけで笑えることの有難さよ。「お酒飲んで、タバコ吸うとか私たちあんまないよな?」と言おうとして、「お酒吸って、タバコ飲んで」と言い間違えたことで、笑えるのである。これでもうなんだか満たされる。

 「やりたいこととか、夢とか、強い願望って正直ないよね」という話を聴く。やはり「類は友を呼ぶ」というか、「人間は近しい人間の平均値」というか、その子は友達なんだなぁと思う。やりたいこと、はっきりなんて分からない。

 「なんとなくでそのまま突き進んでしまうから理由なんてない」という良い分に、私は大賛成だ。そうだ。別に理由なんてない。私が生まれたことに理由などないことと変わらない。強いていうなら、「誰かの勝手な都合」が挙げられる。運命や宿命というものを感じているとしたら、もっと理由が挙げられるかもしれないが。

 だからきっと人生はどれだけ彩れるか、脚色できるか、繕えるかの問題でもある。理由があるように見せかけて、それを信じ込ませる。これは成否や真偽ではなく、これからの意思の問題だと言っておこうか。

 話したいことも話せた。なんだかスッキリしたら、いつの間にかその子とはバイバイをして帰路についていた。その子との帰り際は、結構アッサリし続けている。今生の分かれというものが来ても、そうなんだろうかな。少し寂しい。

 そうだね。
 就活が終わったら、スプラトゥーンやろうぜ。

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