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「シェフたちの遊園地」をつくる〜咲いたサフランを見た料理人はどう変わるのか〜


「シェフたちの遊園地をつくる」

◆ 料理長を断って選んだ、ダサいと思い込んでいた農業

— さとるさんは、料理人だったのですね?

そう。高校生のときに、有名な落合シェフが銀座に新店舗を立ち上げる話を聞いて、茨城から飛び出したんだ。オヤジが昔の農家そのまんま、酒好きで暴言ばかりだったから、早く家を出たいという思いもあった(笑)。

シェフの系列店で3年間修行を積んだけれど、本当にキツくて続かなかった。そのあと、広告会社や、IT企業でビジネススキルを身につけたのだけど、料理の事が忘れられなかった。本屋にいくたびに、料理本やシェフの自叙伝を手にしていたよ。そして28歳でふたたび、料理の世界に戻ることを決意したんだ。

— どこで働くことになったのですか?

北海道の食材をプロデュースし、生産者がたくさん集まる銀座の人気店、「十勝屋」の厨房に入れてもらった。当然、年下の若手シェフに比べてブランクがあり、経験も薄かったから、歯を食いしばって耐えるしかなかった。3年が過ぎたころ、そんな姿勢を信頼してくれた先輩シェフが、色々と任せてくれるようになった。いつの間にかぼくは一番の古株になり、料理長に推す声もいただけるようになった。

だけど、妻と子ができ、30代になったぼくは気持ちの変化を感じていた。

銀座のお店で東日本大震災を経験し、徐々に考え方が変わった。金銭的な安定ではなく、心の安定を築くために家族と過ごす生き方が作れないかと模索するようになった。何かを犠牲にしないと都内での仕事や会社員は務まらない。背中を押したのは、母親の後ろ姿だった。

「母は、自然と共に生き、豊かな食材を作っている。もしかしたら、農業って料理と変わらないクリエイティブな仕事なのかもしれない!そう信じてみたい」

それで、子どものころは〈ダサい〉と思い込んでいた実家の農業を継いで、「食」と「農」に関わるフリーランスの道に進むことにしたんだ。

◆ 咲いた瞬間のサフランを見た料理人はいるか?

実家に帰ってきて、料理人の目で、新鮮な気持ちで庭を見渡してみた。すると、そこにはブドウが、あっちには栗や柿がある。イチジクもある、ローリエ、ザクロ、レモンもある。香り豊かなハーブや野菜も毎日収穫できる。これって、料理人にとっては「遊園地」だぞと。おまけに全部タダ、もうワクワクした!

そうだ、今日はとっても良いタイミングだよ。この花、何かわかるかな?

— これはまさか、サフランの花……?

おっ、よく知っているね!11月の、わずか2、3日の間しか咲かない花。咲いた瞬間のサフランを見たシェフって、日本中探してもほとんどいないだろうね。瓶に入った高価な「赤いめしべ」のサフランは見たことあるだろうけど。でね、この花を知った料理人と、瓶のサフランしか知らない料理人って、絶対ちがうと思うんだ。

— なにがちがうのですか?

たとえばあの世界的に有名なNARISAWAでも活躍していた尊敬する長屋シェフの料理で考えてみると、

“シャドークイン”のピュレとチュイル 鱸とムール貝のマリニエール 
秋トリュフのラぺを絡めて(Fhoto : 長屋英章シェフ提供)

これはサフランではなく、紫ジャガイモの料理だけど、同じ「紫」がテーマだね。食欲を減らす紫は難しい色なんだけど、こうしてみるとすごく綺麗じゃない?これは、シェフが紫ジャガイモのことを畑の段階からよく見知っているからなせる技だと思う。

フランス料理では、一皿を「絵画」と考える。絵画には、届けたいテーマやメッセージが込められているよね。だから、アーティストである一流のシェフたちは、畑に出向く必要がある。土の上で深呼吸してその景色を体に吸収して、料理に向き合うことができる。

でも都内には、土に触った経験もないまま、流行りの料理をしている人も多い。だとしたら、畑というふるさとを必要としている、「ふるさと難民の料理人」もたくさんいるだろうと。

「この食材は美味しい!」と感動したシェフは、その凄腕の農家さんに会いにいく人もいる。その農場に入れるシェフは限られた人たちのみ。通常は、農家さんの方から呼ばれる回路はない。つまり、厨房と畑は一方通行なんだ。

だからこそ、料理人が畑に通う (暮らす) 仕組みを作りたい。

そこで始めたのが、“畑LABO”という取り組み。とくに若手シェフと一緒に野菜を育てて、収穫したその場で料理する、「料理人限定の畑」だよ。自分の好きなものや挑戦したい野菜を育てれば、どう調理するのが一番よいかもひらめき、料理の幅も変わるはず。自分で収穫したばかりの香りをそのまま届けたい!そんな風に変わっていくのだろうな。

畑でそんな生活をし、自然に感動し、生産者のメッセージを汲みとることができれば、そのとき1人の料理人が、素晴らしいシェフに生まれ変わる瞬間なのかもしれない。

— 料理人が畑に暮らす!面白いことが起こりそうな予感がします。

うちに集まった料理人でカツオのわら焼きをしたときに、普通に稲わらで焼いたけど、ちょっと芸がないねという話になった。料理人のひらめきで、稲わらと一緒に天日干ししたレモングラスを使ってみたんだ。すると、見事においしい!香りに包まれて心地よく共鳴して楽しんだ。

ぼくがアトラクションを全部用意するのではなく、一緒にアトラクションを生み出せる、「遊園地みたいな畑」をここに作れたら良いなと。そして、昔は大家族だったこの古民家を「料理人のシェアハウス」にしてみたいんだ。ぼくが銀座で料理していたころ、朝の畑で収穫した野菜を、夕方お店で調理しお客様へ提供していたけど、あのときほど、料理を大切に思ったことはなかった。そんな純粋な気持ちで農と料理に向き合える空間にしてみたいんだ。


◆ 農家という肩書きが、しっくりこない

ところで、ぼくも奥さんも農家という肩書きがしっくりきていない。新しい言葉ができればいいのかなぁ。

— はっ!たしかに、おふたりのことを農家だと思っていませんでした。

ぼくらがライフワークにしたいのは、農業ではなく「キュレーション」。つまり、つくる(農家)と食べる(料理人)を繋げる、その中間地点に立ちたいというのがねっこにある。

そして、古い文化を受け継いで、自分たちの食習慣を手作りすることを提案したい。

— “文化を受け継ぐ”とはよく聞くフレーズですが、若者にはいまいちピンと来ません。

うちの庭には、母が秋庭家に嫁いでから47年の歳月をかけて実っているブドウや、90歳で亡くなったばあちゃんがくれたイチジクがある。よーく見ると歴史のある樹木たち、これって受け継いでいくべきものだよね。ぼくらは、古いものも含め、価値を見直して、時に商品にして、表舞台に出したい。

— なるほど。一度、古いものもひっくるめて自分の舌でたしかめる。文化を受け継ぐって、料理人が伝統を乗り越えていく姿に、どこか重なりますね。

古くても価値あるものはいっぱいあるよ。たとえば、倉庫に眠っていた「かまど」。うちを訪れた中学生、高校生の子たちがこれひとつでどれだけ喜んだか。

採れたての新米をかまどで炊いたときにあがった歓声はすごかったよ。
「湯気がすごい!炊きたての美味しい匂い、初めて!」
「わたし、たくさん大きいおにぎり作っちゃうよ!」
とにかく大きいのばかり握り始める子どもたちに、お口に合う分量にしときなよと声をかけると、
「だって美味しいんだもん!家でこんなお米食べたことない!」って(笑)。

— 可愛らしい(笑)。そして、すごく豊かな時間ですね。

消費する暮らし方にはもう飽きたっていう人は多いよね。とにかく高価なものを求めるバブルの時代が終わり、ユニクロのような普遍的でコスパの良いものや、「俺の◯◯」で気軽に並んで高級食材を食べられるくらい多様な食文化になった。じゃあ、そのあとに何が来るか。ぼくは、食べることを自分たちで手作りする、っていうのはありえると思う。

— 食べることを手作り、ですか。

干したレモングラスで焼くカツオだって、かまどで炊く新米のおにぎりだって、そこには手作りの食材があって、手作りの道具があって、手作りの空間があって、手作りの体験がある。そして、なによりそこには家族がいる。

— それが特別じゃなくて日常だとしたら、豊かで、丁寧な暮らし方ですね。

食べることを作る。それを、『農家(というライフスタイル)』と呼んでみたらどうだろう。

— なるほど、それなら秋庭さんが『農家』だというのもしっくりきます。全然ダサくないですし、ひとつひとつ手作りの、オリジナルライフスタイルですね。

家族と暮らすことを犠牲にせず、むしろど真ん中に置いて生計を立てたい。やっぱり、あのまま料理人を続けていたら大変だったろうなぁと思う。とにかく上にあがるための競争意識、それはそれで、たしかに成長するし銀座で仕事する自尊心もあったのだろうけど、ぼくはこの瞬間、とにかく素直に、気持ちを家族に捧げることができる。老後にやりたいというよりかは、若いからこそできることを、クリエイティブにいまやりたい。そんな『農家』という生き方が、ぼくたち夫婦が選んだ職業なんだと思う。

文責:森山健太


※この記事は2017年2月に作成されたものです

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