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牢獄から逃げて良かった!

タイトルからして、前科何犯なの?と思うかもしれませんが、刑務所のことではないので安心してください!


今や大学生がアパートを借りて一人暮らしをすることは経済的に厳しいことですが、私が学生の頃は、バブルが弾けたと言っても、まだまだお金があった時代。

自宅から離れている大学に進学し、学校の近くにアパートを借りている学生は少なくありませんでした。

私も自宅から離れた短大に通っていましたが…

なんせ、うちは貧乏なもので。。。

母は私の意見の有無を問わず、安いという理由で寮に入れたかったのです。

希望者が多く、私は寮に入れなかったので、下宿することになりました。

母は自炊は大変だからといって賄い付きの下宿を選んだところ、大学の事務員が「ここの大家さんはとても良い人ですよ」の言葉でその下宿先を選ぶことになりました。


牢獄からの逃亡


下宿先の部屋は個室であり、2人部屋に比べればだいぶ気楽なもの。

下宿先では友達が出来るかな…

しかし、そんな期待は大きく外れ、牢獄のような生活を送ることになったのです。

この大家さんは決して悪い人ではないのですが、他の下宿より門限が厳しく設定されていました。

覚えていないけど9時だったと思います。

門限の時間を言うと、当時参加していたサークル活動の先輩が「え?9時?早すぎない?」と返答。

当時は当然ながら「早すぎね?」って言葉は流行っていませんでした。

周りで下宿している人の話を聞くと、一緒に入っている人との交流があるというのですが、私のところはお互いに一切会話がないんですよ。

一級上の先輩が2人、同級生が3人と私の6人がこの下宿先の住人ですが、先輩同士の会話はあるものの、私達の学年は、同じ高校から来た2人の間でしか会話がなく、食事は黙食状態。

自分がイメージしていた下宿生活とはかけ離れたものでした。


私は親に不満を言い、自炊したいという理由で下宿先を変えたいことを打診しました。

母からすれば炊事は大変なことだけど…

私からすれば、家庭科の授業を受けて以来、夏休みや春休み等の長期休暇に夕飯を作っていたし、調理をすることに負担はなかったんです。

おまけに学生で時間があるので、寧ろ料理のために注げる時間に余裕があったのでした。

本来2年間住む予定だった下宿の利用を1年で終了したので、親の引っ越しの負担は増えたけど、さすがにあの環境は耐えられなかったからね…


新しい下宿先を探していた当時、学生コーナーで部屋の間取りを観察し、使いやすそうで自由度が高い物件を選びました。

しかも、鍵を預かるから門限はなし!


この選択が良かったんです!

新年度に入り、新しい下宿先の部屋に入った時に、同じ下宿先の子が私の部屋をノックしたので応対すると、その子は自己紹介をして「よろしくお願いします」と挨拶をしてくれました。私も自己紹介と挨拶をしました。

他の子と会っても、笑顔で「よろしくお願いします」と挨拶を交わしました。

学生同士がコミュニケーションを図ることも多く、お風呂の順番のためのじゃんけんをする時は、ちょっとばかり会話を交わします。

時々時間を作っては、部屋に集まってみんなで会話をしたり、鍋パーティーを開いたりもしました。

(皆さんパリピじゃないので安心してください)

こちらの下宿は、友達を連れ込むこともOKだったので、近場の温泉(とは言っても電車で何駅か言った先にあるんですけどね)に入った後、部屋に連れてきて宿泊したこともありました。


実は、この年、嫌~な助手が退職したり、嫌~な講師とも縁が切れたので、前年度に比べると実験実習やレポート提出時のストレスがだいぶ緩和されたんです。

前年度の時は、ハラスメントと言えるほど、ねちっこい罵声を浴びせられましたから。(どの学生も)


この下宿先を離れる時は、別れを惜しみましたよ。


何故、幸運を呼んだのか?

どうやったら幸せになれるのだろう?

多くの人がその答えを求めています。

その答えは何処にあるのか?

それは、あなた自身にあります。

よく「貴方のせいで周りが不幸になっている」と責め立てる人がいますが、そのような人は、他人に責任転嫁するところで、人として終わっているでしょう。

よく「他人から見た貴方の評価が正しい評価だ」という人がいます。

人はよく見てると言われますが、その一方で、自分の尺度で物事を捉えるので、「他人から見た自分の評価」が決して正しいとは言い切れません。

なんせ、色眼鏡で見ている人もいますからね(笑)


義務感に晒されていると、自分の本心が見えないものです。

そうした我慢を積み重ねていくうちに、肉体も疲弊してしまい、何となく調子が良くない日が続いたりするものです。

どうせ世の中なんて…

自暴自棄なったところで迷走しかないんですよね。


自分の好きな風にしていいんじゃないんか!

この判断が現実を思わしく向かわせたじゃないかと思います。

これって、決してだれかに迷惑のかかることではないですし。
(親に引っ越しの手間をかけさせたけど…)


福祉の世界では尊厳の保持がキーワードとなっていますが、そのターゲットは要介護状態になった高齢者だけとは限りません。

子供であろうと、社会人であろうと、一人一人の尊厳があるものです。

その根っこは自分は一人であるという自尊心を持つことにあるのですが、毒親育ちだとこれが中々分からないものなんです。


この世に生まれて生活することは、苦労が伴うことです。

自分の成長に繋がる苦労であれば、引き受けて乗り越えることで、己の成長に繋がります。

でも、身体や精神を壊してまで我慢することは決して美徳とは言えません。

自分を許して、心の牢獄から解放することが、幸運の一歩を踏み出すことになったのが、良い出会い、現実、必要である出来事を引き寄せたのだと思います。


#自分で選んでよかったこと

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