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2024年2月の本たち

『増補 近代の呪い』/渡辺京二

思想史家・歴史家・評論家である、渡辺京二さんの著作を初めて読む。
ちょうど昨年末に『近代の呪い』(2013)の増補版が出たタイミングで、スタジオジブリの小冊子に掲載されたインタビューも追加収録されていたことも後押し。

明治維新を経た近代化によって手にした衣食住の質向上と、民主主義運動がもたらした人権・自由・平等。この大きな近代の恵みと引き換えに、私たちは何を失ったのか。豊かさを達成するために人類が背負うことになった、ふたつの呪い。

ひとつは、世界経済の競争ゲームの中に組み込まれてしまう、インターステイトシステム。衣食住のレベルを維持・拡充するには、民族国家としての枠組みを強化し、世界の競争ゲームの中で経済的・政治的に優位に立ち続ける必要があることを意味する。
豊かになるには、国家を太く、強くする必要がある。そのためには強大な軍隊を持ち、近代産業の育成が不可欠だった。

ふたつ目は、世界の人工化。科学技術の発達が、近代以前には行われてこなかった徹底的な自然の収奪を可能にし、自然の資源化に拍車をかけたこと。
自然よりも優位に立つ人間の存在、すなわち人間中心主義が当然のように蔓延っていくと同時に、この人間中心主義こそが、近代ヒューマニズムの生みの親でもあることには、なんとも複雑な気持ちになる。

先人たちが壮絶な闘いの果てに獲得してきた人権からは、計り知れないを恩恵を受けている。
そのおかげもあって、一人ひとりの人間は尊い存在である、という共通認識を私たちは持てている。
ただ、それが「人間という生物自体が偉い」という考えに結びついてしまうことは、とても恐ろしいことだ。
人権の獲得と人間の特権化は、決して裏表ではないことを、よくよく留めておきたい。

文章自体は語り口調でやさしくて、すごく読みやすかった。

江戸時代の社会システムのまま、近代化を達成する方法もあったのだろうかとか、歴史を学ぶと、いま自分が生きている社会の他にも、もっと色んな形の社会の可能性があったんじゃないかと思う。
いまの社会の形は決して完成形でも、唯一の正解でもないのだということを考えさせられる。


『浮世の画家』/カズオ・イシグロ

戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家が主人公。多くの弟子に囲まれ、尊敬を集めるも、終戦と同時に周囲の目は冷たくなる。
画家は過去を回想しながら、自身を保ってきた信念と、新しい価値観とのはざまに揺れる。

昨年末から急に惹かれ始めてしまったイシグロ作品、これで5冊目になりました。

いずれにも共通しているイシグロ作品の特徴は、「輝かしい黄金時代を過ぎ去ってしまった主人公」が、「抗えない人生の転換期を迎えるとき」に、「過去を回想し語ることで」、過去と現在の自分との断絶を繋ぎ合わせ、「これからを生きていくための足場」を自分の中に固めていく物語だと思っている。


『「世間」とは何か』/阿部謹也

問いの主語が大きい話が好きなので、思わず買ってしまった一冊。社会学的な話かと思いきや、蓋を開けたら思いっきり文学評論で、あれれとなった。
万葉集に始まり、『坊ちゃん』『それから』『門』まで、各時代の作品の中で、「世間」がどのように捉えられ、描かれているかの変遷を辿っていく形で主張が展開される。

世間の苦しみから逃れるためには、まず世間というものを対象化して捉える必要がある。
それを初めて達成したのが漱石の『坊ちゃん』であり、現代になっても読み継がれる理由なのだ、という部分にふむふむと思いつつも、この結論だけがありきで展開されていく感じがやや強引で、なんだか抵抗ありだったな。


『ゴリラ裁判の日』/須藤古都離

とても気になっていた作品。カバーデザインもかっこよくて好きです。

主人公のローズは、アメリカ式手話を使いこなし、人間と会話ができるゴリラだ。
ある機械を身につけることで、「声」も手に入れた。
新天地で楽しい生活を始めようとしていた矢先、人間の子どもを助けるという理由で、夫ゴリラが動物園の職員によって射殺されてしまう。
ローズは人間を相手に、法廷で闘いを挑む。

まず設定がとても斬新。ゴリラが主人公の小説、初めて読んだ。
ローズのキャラクターも賢く、やさしく、ユーモア溢れる人物(ゴリラ)像で、友達みたいな距離感で読み進めていくのにまったく抵抗なし。

加えてゴリラの生態描写が非常に丁寧で、ゴリラたちのジャングルでの一日の過ごし方や、習性ってこんな感じなのかあと、興味深く読ませてもらった。

そして設定の奇抜さとは裏腹に、テーマはすごく真摯なものを扱っていて、「人間とは何か?」、もっと正確に言えば、「(私たち人間が)人間と(思っているもの)は何か?」について、読者の価値観に揺さぶりをかけてくる。

私たちが「人間」と聞いて何かしらのイメージを思い浮かべるとき、そこに自分と違う言葉を話す人、自分と肌の色が違う人はいるだろうか?
じゃあゴリラは?

いや、ゴリラはさすがに人間じゃないよね、と思ったときに、じゃあ人間と意思疎通ができる言葉を話せるゴリラだったら?となると、ちょっとこれは難しくなってくる。

自分の持っている常識の枠組みを、前例のないケースを前にしたときに、どこまでアップデートすることができるか。易しいことではないけれど、社会が大きく変わるときって、一人ひとりがこの変化の勇気を持って、一歩前に踏み出したときなのだろうな。



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