再開発の波に飲み込まれた那覇のとある記憶
2014年7月某日午前1時。私は散歩がてら国際通りに来ていた。昼間は観光客でごった返すこの通りも、宵の口になるといたって静かな場所になる。が、そんな国際通りからちょっと外れた裏手に、活気に賑わう場所があるという。
住所でいうと那覇市樋川、牧志公設市場を通り過ぎて疲労感が出てきたときに蛍光灯の光が見えてくるのがそこが那覇市農連市場である。
農連市場が誕生したのは終戦後。もともとは闇市だったのが始まりでその後1953年に正式にスタートしている。建物はその当時のものがそのまま残っているようで・・・。
開設されてからおよそ60年。その間に幾度も台風が襲ったはずなのだが・・・。建物の仕組みってよくわからないなと思う。
場内の様子。私が来るのが少し早かったのでまだお店は準備中のようだった。詳しい市場の様子を沖縄・奄美で活動するメディアサイトDee Okinawaさんが取材されているのでそちらをご覧いただきたい。
雑多な雰囲気を残すこの農連市場も再開発の波には逆らえず2017年に近隣ののうれんプラザに移転し、紹介した建物はすでに取り壊された。戦後の生き証人ともいえるこの農連市場を、写真とおじぃおばぁの記憶でしか語れなくなったのは、しょうがないとおもいつつ悲しい気持ちになった。
【おまけコーナー】 殴り書きは怒りを表すのに十分