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東北の今を見に行く2014 プロローグ(後編)

前編                     https://note.com/tabenews/n/na8cc4b46d459


久之浜商工会の店舗に入る。うぉぉ。確かに涼しい。ここでは震災当時の久之浜の写真が展示されいた。

東日本大震災で観測された震度は6弱。久之浜は地震の後の津波や火災で850棟の家に被害が出た。さらに原発から比較的近く、自主避難の後に襲ったのが原発の風評被・・・。でも正直、写真だけでは苦しみがわからない。だから・・・もどかしい。

まさか 私より日本語がうまいロシア人に遭遇

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被害の写真と共に飾られていた色紙。よく見てみると、エイサーのシールが。

「前にここでエイサーを踊ってくれだよ~。」とおばちゃん。確かによく見てみると色紙には“宮城”とか“比嘉”とか沖縄ではお馴染みの名字が並ぶ。

ここでおばちゃんがどこから来たの?というので沖縄というと、
「まぁ~遠いところから!」とまたびっくり。そ、そんなに珍しいんすかぁ。

しばらく涼しんでいると若い男性と女性のお客さんが。聞けば、ロシアから来たテレビクルーだという。

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おばちゃんたちは
「私たちは津波で宝石が流れるのを心配したさぁ」と絶対冗談であるエピソードを交えつつ、語られる3月11日の記憶。実際に体験したからこそ、よりリアルティーを感じる。さらにおばちゃんたちは当時の映像を見せてくれた。

http://youtu.be/P2uqg9hbfmA 

(実際に見た映像と同じもの、津波のシーン有要注意)

津波の映像が流れだした瞬間、朗らかだったおばちゃんの顔が次第に険しくなっていったのをを見てしまい、思わず目を背けてしまった。


やっぱり・・・まだ3年である。


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ロシアのテレビクルーの取材を受けるおばちゃんたち。製作された番組は日本で放送されることはないが、この番組で現地の人々に生の声が伝わっていったら幸いだ。

電車の時間が迫って来たので、帰ることに。
「来てくれてありがとう。また来てね。」とおばちゃんたち。恐らく社交辞令なんだろうけど…。でも嬉しかった。こうして私は初めての福島・いわき旅を終えることにした。


・・・・・・・。



「いや~電車もう出ちゃったんだよねぇ」と駅員さん。なんと電車に乗り遅れてしまった。でもまぁ東京に戻れる電車はまだある。時間はないが急ぎではないのだ。今度は駅前の津波の被害にあった地域を歩くことにした。

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震災から3年半経って、現在は土地のかさ上げ工場が進められていた。跡地は緑地化され、公園となるようだ。

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震災後、そのままになっているスーパー。店内もそのまま、横倒しになった陳列棚が被害の凄まじさを目の当たりにした。

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空き地に組まれた舞台(の骨組み)。訪れた翌日に盆踊りと花火大会がここで行われ、無事に成功したようだ。よかったよかった。

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広い空き地にたたずむ神社。

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この神社は津波が襲った一帯で被害を受けなかった数少ない建物だ。周りは津波や火災を受けた中でも被害を受けなかったという。

なんというか。私はあまりスピリチュアル的なことは信じないが、こればっかりは津波から聖域を守ったんだなと思う。緑地化されるなか、この神社はどうなるんだろうか。

震災からの復興を信じ参拝をし、久之浜を後にした。きっと私はおばちゃんの「また来てね」の言葉を鵜呑みにして、また来ようと心に決めた。

その後、その年の冬と翌年の冬、年末のくそ忙しい時期に訪れては親子丼を食べるのか東北旅の通例になっていったが、その話は別で。

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