【記録】入社3年目、転職を決意。
これは、私が何十年と生きたあとに、当時の気持ちを振り返るための記録である。大して面白い話も為になる話もきっとできないと思うが、一人の人生の記録として読んでほしい。
【1】就職活動
遡ること4年、これは私が大学3年生の冬だ。4月のエントリーに向けて、最後の追い込みという時点で、私は焦っていた。やりたくないことは思いつくのに、自分がどんな将来を描きたいのか全く分かっていなかった。大きなイベント会場で行われるフェアや大学主催のセミナー、「就活」という単語を聞けば、手当り次第に挑戦した。ただ、どんなに顔を出しても、自分が働いている姿が想像できなかった。だとしたら、自分の合わない業界や職種さえ除けば、どこに行っても変わらないよな、という安直な気持ちになり、「ホワイト企業 ランキング」とインターネットで検索した。すると、絵本の出版社がランキングの上位にいた。私は本を読むことが好きだったし、出版社もいいのかもしれない、と急に方向性が固まり、出版社にフォーカスをあてて準備を始めた。
出版社の締切は通常のスケジュール(当時は4月解禁)よりも早い。さらには、急に出版社に決めたから、準備はさながら不足していた。それでも、就活優等生(髪を黒くし、自己分析やインターン、就職活動の準備に一生懸命な人)にはなりたくなくて、サークル活動やアルバイトを主軸においていた。ここまで読んでお気づきだと思うが、結果から申すなら、撃沈だった。当たり前の結果でしかないのだが、それでも当時は悔しかった。器用に生きてきたつもりだが、就職活動となると話は別らしい。出版社の道が閉ざされた今、エントリー前の冬の私へたちまち戻ってしまったのだ。「一歩進めたと思ったのに、またふりだしに戻るのか・・・。」と虚空を見つめた。それからというものの、冒頭でも触れたとおり、自分のやりたい軸がなかった私は相当困った。だから、ブライダルや小売業、とりあえずまとめてエントリーをした。今思えば、かなりの暴挙に出ていると思うが、それくらい自分は焦っていたのだと思う。実際にエントリーをしてみると、驚いたこともあった。出版社のときは、「一見さんお断り」のような雰囲気を感じたのに対して、他の企業は「ようこそ、いらっしゃいました」と、まるでお客様のように扱われていたことが衝撃だった。その中でも、大手の人材会社は一段と丁重に扱われ、複数回ある面接も全てすっ飛ばし、最終選考でおじさんと15分ほど雑談しただけで内定が出た。奇跡に近いが、そんなこんなで私の
就職活動はあっけなく終了し、翌日からドイツへ留学へ行った。
【2】入社1年目
入社前に研修があって、そこで配属部署の希望調査があった。私は、当時出版社を目指していた名残もあって、希望部署はメディア系を選択した。研修担当からも「たなかさんの研修の結果なら、可能性あるね!」と太鼓判を押してもらい、春まで期待で胸いっぱいふくらませていた。配属部署は入社式で発表されるのだが、そこで事件は起きる。なんと、配属部署が全く異なるではないか。部署名は分かるのに、頭の中で整理がつかなかった。「あれ、メディアの部署ではないよね?え、ましてや第3希望にも書いていない部署で・・・。」急いで各部署について部長が登壇した際のメモを見返したが、びっくりするほど内容がなかった。なにせ興味のない部署で、お昼のあとだったからうたた寝してしまったからだ。一体、自分はどんな仕事をするのか、とまた途方に暮れたのだった。
全体研修の後、配属部署に分かれて研修がスタートした。どうやら私が関わる仕事は、人材紹介ビジネスのようだった。その法人営業担当で、クライアントからの求人ニーズを引っ張り出し、入社決定までフォローを行う。研修担当からは、どの配属部署よりも難易度が高く、専門性や長期的な視野が必要であると耳にタコができるほど聞かされた。あまり実感はわかないものの、難易度の高い仕事に挑戦できることは魅力的だった。実は、今の会社に決めたのは、成長スピードが早そうだからという理由もあった。だからこそ、難易度の高い仕事は待ち望んでいたようなものだった。配属部署の研修は2週間ほどですぐに終わり、4月中には現場に入った。まず行ったのが、テレアポだった。企業の求人ニーズを獲得する前に、新卒は企業を持っていないから自分自身で開拓をしなさいというのだ。人生でテレアポなんてしたことがないから、混乱した。さらには、配属された同期5名の名前がホワイトボードに書かれていて、リアルタイムに獲得企業数を更新しなければならなかった。今振り返って良かったなと思うのは、自分自身が負けず嫌いな性格だったことであろう。きっとそうでなければ、社会の厳しさに直面して、入社して1ヶ月で辞めてしまうところだった。自分自身のできることを最大限に、と毎日泣きそうになりながら取り組んだ結果、なんと新卒で一番の成績を取ることができた。そこから拍車がかかり、テレアポが終わって売上の数字がついてからも、結果は上々だった。見事、全社の新卒の中でも優秀な成績者として讃えられたのだった。
【3】入社2年目
上々だった1年目から、2年目は相当苦労をした。1年目の結果を踏まえて2年目の目標がたてられたのだが、これがかなり高い目標だった。すべての2年目の中でも最高の売上目標だ。もちろん、これまでのクライアントだけでなく先輩やマネージャーからクライアントの引き継ぎは行われたから、金額が上がることは納得できるものではあるが、業界トップクラスの企業だったので、これまで以上の神経を使って向き合わなければならなかった。それが、ある事件の一つの引き金になった。高い目標のためには今まで以上のプロセス実績を出さねばならない中で、丁寧にクライアントに向き合わなければならない。そそっかしい私は、二足のわらじを履くことができなかった。結果、同月に3件のクレームを引き、担当変更の依頼をクライアントから申し出があったのだ。今思い返しても、相当不甲斐ない結果だったと思う。この仕事の立場上、クライアントと二人三脚をしながら採用決定というゴールを目指さなければならない中で、自分の失墜でレースをクライアントは辞退するというのだ。そのショックは大きく、しばらく立ち上がれなかった。その分を売上で貢献しようと思うものの、結果に結びつかない。何をしてもうまく行かない。俗に言うスランプに陥ってしまったのだ。仕事をやめようと思ったのもこの時だ。売上で貢献できないだけでなく、他人に迷惑をかけてしまうのは、チームにとって何もいいことはない。ずっともがき苦しんでいた。
ただ、そんな中でも仕事をしていて楽しい時間があった。クライアントと向き合う時間だ。IT企業を主に担当していたのだが、日々めまぐるしく変化する業界を理解しながら、クライアントの事業を知ることが楽しかった。一回では理解できないことも多くて、同僚やクライアントに何度も質問をしながら、知識を身につけていった。今までの私は、「広く・浅く」理解するタイプだったから、まるでダイビングで深海へ潜るように、一つ一つを学びながら深く理解していくプロセスは興味深かった。(言葉は専門用語なのでわかりにくいと思うが)汎用機があって、それがリプレイスの時期を迎える、そうなったときにマイグレーションが必要で。また、データが財産と言われる時代だから・・・。入社1年目の当時は、言葉の意味なんてちっとも理解せずにいたが、それがもったいないと思ったほどだった。言葉を理解すると、見える景色が変わり、自分自身の仕事が一変した。
【4】入社3年目、そして今
3年目を迎えると、安定期に入った。変わらず企業と向き合い、勉強をし続けた。そうしたら自ずと結果はついてきた。また、自分自身の結果の証明としてITの資格も取得もできた。もちろん、頭を悩まされることも時々起きたけれど、着実に成長できるようになってからは仕事が楽しくなった。
私の仕事は、一人では完結しない。クライアントをどれだけ理解できるか、そして一緒に仕事をするためにフォローをできるのか。研修担当が言っていた、「難易度が高い」というのはこういうことだったのかもしれない。当時は、売上に固執していたから見えなかったけれど、私の周りにはたくさんの企業があって、そして今の社会を支えている。一つとして欠けることができない、重要な仕事がたくさんあるのだ。
思い返せば、就職活動のときにちゃんと企業研究をしていたら、そこに気づけたのかもしれない。でも、私は気づけなかった。いや、私だけでなく気づけない人は他にも大勢いるはずだ。現に、私が求職者の担当をする中で、特に若手は私と同じような悩みを抱えていたからだ。私は、こうした状況はすごく惜しいなと感じる。もちろん、自分の適性にあった企業に巡り会えることもあるけれど、「なにか違うな」と違和感を感じながら仕事をしている人がいるのも現実だ。私は、こうした状態をもっと是正したいと思っている。これには多くのことが起因していると思うが、一つには教育現場での課題もあると思う。例えば、教師は新卒時から教職を続けている人が多く、一般企業の経験を経て教師になる割合は少ない。いわゆる教師だけの、「閉じた世界」なのだ。そうなると、子どもたちに自分自身のキャリアについて十分なアドバイスができず、流れるまま高校や大学を卒業し、私のように急いで就職活動をする人が増えてしまう。今でこそ、大学を卒業することが一種のステータスにもなっているが、本当にやりたことがあるならば直ぐに仕事についてもいいと思うし、社会人になってから大学に戻ったっていいと思う。つまり、自分のやりたいこと(キャリア)を、自分自身の力で選択してほしい、と私は願っている。そのためには、自分自身の教育業界への理解を深めて、教師の現場を目の当たりにし、一緒に仕事をしてみたいと思う。だから、この時期を迎えて、私は転職するのだ。
偉そうに書いているが、これは自分自身の反省でもあるし老婆心のようなものでもある。大きな夢だし、どこまで実現できるのかはわからないが、とにかく邁進しようと思う。今回の記録で思い出せたのは、自分が負けず嫌いな性格で、勉強が嫌いでないこと。きっと、この性格なら次の場所でも頑張れるだろう。また数十年後振り返ったときに、いい選択だったなと思えるようにーー。
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