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6年住んだ場所を、引っ越す。

 がらんとした空間を、ただ無言で見つめている。布団もテレビも机もないこの部屋は、まるで今の私の気持ちを表したかのような、そんなように見えた。
 私は大学時代から住んでいた街を、この6月に引っ越すことになった。大学時代から社会人までだから、なんと6年。随分お世話になったものだ。仕事の合間に引越し準備を進めていたから、毎日忙殺され、感傷的な気持ちにはちっともなっていなかった。なのに、すべての家具を搬出し、大家さんとの居室点検を前にして、塩らしい気持ちになっている。


【1】はじまり


 晴れて大学に入学することになり、一人はるばる上京した。実は、入学当初から今の家に住んでいたわけではない。最初は、中央線沿いの街に住んでいた。ただ、色んな事情が重なって、今の街へ引っ越してきた。正直、今の街は名前も知らなかったし、大学まで乗り換えが必要だったから、正直乗り気ではなかった。ただ、家に出窓がついていたことが唯一の救いで、私のお気に入りであった。出窓に何を置こうかな、そう思いを馳せるだけで、すべてが良くなった気がしていた。


【2】寝に帰る場所


 住んでから数ヶ月経ったが、今の家に長くいることはほぼなかった。新しいアルバイトを始めて、終電近くまで働いて、家に帰ってシャワーを浴びて寝る。ただ、それだけのための場所であった。だから、キッチンなんてひどいもので埃を被っていた。東京の賃貸あるあるだと思うが、大人が並んで二人分の場所しかなく、まな板なんて置けたものではなかった。「こんな狭い場所で何ができるっていうだ!」「美味しいご飯ならバイト先で食べられるし。」なんて情けない理由で誤魔化していったら、あっという間に先述の様である。更に悲しいことに、入居した当初お気に入りだと言っていた出窓は、所在を失った物たちの置き場となっていた。とにかく、愛着なんて1ミリも感じない部屋になっていたのだ。


【3】人が寄り付く場所

 かなりひどい部屋だったが、沢山の人が遊びに来てくれた。ざっと計算して30人くらいが、私の家に来ていたようだ。遊びに来てくれた友だちの顔を思い出しながら、エピソードも思い返す。特に大学時代に、サークルのメンバーが来てくれた思い出は色濃く残っている。たった6畳しかない狭い場所に、5〜6人が押しかけて、ぎゅうぎゅうになりながら寝たり、夜通し語ったりしていた。自分はその時間が好きだったな、と思う。昼間には話せなかったことも、夜がそうさせるのか、ゆっくりと紐解くように、相手のことを知ることができた。なんだか、その時間が愛おしかった。ただ、盛り上がりすぎて大家さんに何度か怒られたことは玉に瑕だったが。


【4】暮らしの場所へ


 ひどい部屋が、急に暮らしの場所へと変貌を遂げる時が来た。「断舎離するぞ!」と彼が言うのだ。いつかやらなければいけないと思いつつ、目を塞いでいたが、「断捨離」という言葉にハッとした。もしかしたら共感をしてもらえるかもしれないが、ひどすぎる家だと何から手を付けたらいいのかわからないものだ。いざ始まると、片付けをしようと決めたことを心底後悔した。そこにあるのは、ゴミ。ゴミ。ゴミだらけ。洋服やいつぞやの雑貨など、とにかく大量にあった。それを一つ一つ手にとって分別していくのだが、頭も体もフル活用したから、終わった頃には疲労困憊だった。ゴミ袋は5〜6袋分となり、最終的には棚とハンガーラックが一つ不要になった。どうやってこの部屋に収まっていたんだろうと家主が思う程であったが、ものが減った部屋は、急に居心地が良くなったものだった。


【5】おわり


 6年間住んだこの部屋に終止符を打つ。ここには、私の人生の一部が詰まっていた。もう二度と踏み入れることのないこの部屋になんと言おう。楽しいことも悲しいことも、ずっと一緒に寄り添ってくれていたのは誰よりもこの部屋だったのかもしれない。そして、こんなに多くの人との思い出が詰まった部屋になったのは、きっと最初で最後だろう。
 余談だが、私の気に入っていたという出窓は、最終的にハーブを育てる場所へと変貌した。なんだかんだで最後に理想の形で終えられてよかった。
 今回は家を中心に話をまとめたが、ご近所のお店も仲良くしてくれていたし、大好きな場所になっていた。きっと私が年老いた時に、真っ先に思い出すのはこの街なのかもしれない。ありがとう、池袋。

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