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人を、人として 【カラモジャ日記 25-02-01】

 今日でカラモジャ事務所を立ち上げて、ちょうど2年になる。プラスチックのイスとテーブルを持ち込み、1人で作業をしていた事務所には、今や10人以上の従業員が集まっている。

 事務所開設2周年記念日に、従業員の1人である"イモウト"——年下の女性で妹のように思っているので、ここでイモウトと呼ぶことにした——と僕の話を記録してみる。

 * * *

 農作業を終えて、事務所に戻った。乾季の風をたんまり浴びた顔を濡れハンカチで拭うと、布の一面が茶色く染まった。僕はランチのポショと豆を急いで胃のなかに流し込み、事務所の中庭に向かった。

 今週は従業員との契約更新面談を控えた忙しい週だった。
 中庭——トタン屋根の下、プラスチックテーブルが置かれた簡易的な作業場——のイスに腰かけると、従業員一人ひとりを順番に呼び、個別に話し込む。その後新しい契約書に署名し、握手を交わす。
 これが契約更新の流れだ。

 イモウトとの面談は印象深かった。初めて彼女がこの事務所に来た時から実に1年半の時が経とうとしている。当初とは比べものにならないほど、彼女は明るくなっていた。

「もう1年半になるのか」
 イモウトが席につくと、僕はアイスブレイク的雑談を始めた。
「初めてここに来た日のことを覚えている?」
「えぇ、マネジャー。よく覚えているわ」
「懐かしい」と僕は言った。
「懐かしい」とイモウトも言った。

* * *

 イモウトが初めて出勤した日——まだ試用期間だった——、彼女はある小さな失敗をして、ものすごくへこんでいた。僕も当時は今ほど心の余裕がなく、思いがけずイライラしてしまったことを覚えている。
 それを察したのか、イモウトはわざわざ中庭で作業する僕のところに謝りに来た。「そんなに謝らなくていい」と伝えても表情は暗く、クビ宣告を覚悟するような眼差しだった。
 つまらないことで腹を立てたこちらが逆に恥ずかしくなった。そこで僕は彼女と話をしてみようと思った。

「こんな小さなことは、気にしなくていい」と僕は言った。
 彼女は何も言わず、暗い表情で下を向いていた。
「何か困りごとでもあるの?」と僕が尋ねると、彼女は自分の生い立ちから現在に至るまでを赤裸々に話してくれた。
 複雑な家庭環境。学生の頃の記憶、前職の雇い主による搾取。そして過去の記憶を呼び起こし、この失敗で職の機会が消えてしまうのではないかという不安。

 そのとき僕の中に突然、リアリゼーションが起きた。
「契約書を準備する」と僕は言った。
 イモウトを採用しようと決めた。それは彼女の境遇に同情したからでも、自分の器の小ささを打ち消すためでもない。ただ、彼女と一緒に働きたいと思ったからだ。 
 彼女は絶対に嘘をつかない。この誠実さと懸命さが当時形成途上のチームに必要だった。そして何より彼女が安心して働ける環境は、僕が目指している職場像と重なった。

「ありがとう、サー」とイモウトは言った。
「サーは違和感があるから、ユウキでいい」と僕は言った。
「ありがとう、ミスター・ユウキ」とイモウトは言った。
「ミスターもとってくれたら嬉しい」と僕は言った。
 彼女は困ったような顔で静かに笑った。

* *  *

 1年半はあっという間だった。
「なにか仕事の中で困りごとはある?」と僕は訊いた。
 契約更新面談における定番の流れだ。
「特にないわよ、マネジャー」とイモウトは言った。
 マネジャー、という響きに、僕はあの頃を思い出す。結局彼女は、僕のことをそう呼ぶように決めた。
「なかなかない機会だ。オープンに話してくれていいんだよ」
「小さな問題はあったけど、その度に同僚たちと話して解決してきたわ」

「なら他に、この組織に要求したいことはない?」
 イモウトは少しの沈黙の後、目を輝かせて答えた。
「組織には、感謝している」
「感謝?」と僕は訪ねた。
「1年以上同じ場所で仕事をしたのは初めてよ。これまではずっとロボットのように働かされてきた。雇い主は誰も私を人として扱わなかった。でもこの職場は、ここにいる人たちは、"人を、人として"扱ってくれる。誰もが"Equal"だと思って働くことができる。だから仕事は楽しい」

 イモウトの一言に、思わず表情が緩んだ。 

 援助業界では、管理職、専門家、通訳、運転手、警備員、清掃員など様々な役職を持つ人々が同じ組織で働いている。
 それなのに、ここは古代インドかと疑うくらい、役職ごとの不文律なヒエラルキーが存在することを感じざるを得ない。管理職と清掃員が対等に交わることはないし、専門家と警備員だってそうだ。同じ釜の飯食っているはずなのに、それをどうしても一緒に囲おうとはしない。
 だからこそ、この事務所を開設した時、役職や民族、スキルや経験といったあらゆるバックグラウンドを超えて、すべてのスタッフが人間同士の関係でつながるような場になればいいと思っていた。

 ずっとそういうチームを作りたかった。

「では最後に、何か新たに挑戦したいことはある?」と僕は平静を装って面談を続けた。
「もっと農作業に参加したい」とイモウトは言った。イモウトは役職上、農作業に関わる機会がほとんどなかった。
「なぜ、そう思う?」
「ねぇ、マネジャー」とイモウトは続けた。「一度オープントラックで隣の県まで移動したことがあるの。私たちの共同農場に通りかかった時、荷台に乗った地元の男たちが衝撃を受けていたわ」
 乾燥した大地に、ポツンと現れる緑。そして新鮮な果実たち。
「『俺たちは騙されていたんだ!』とある男が言い、それに皆が同意していた。『この地域で野菜栽培なんてできないと言われ、俺たちはそれを信じてきた。それなのに、この景色はなんだ?俺たちにもできるじゃないか。ここを管理する農民たちはどこにいるんだ?』と言って盛り上がってた」
「それで、君は何か言ったの?」と僕は訊いた。
「スマイルが止まらなかったわ」とイモウトは照れ臭そうに言った。

 僕らは二部ある契約書にそれぞれ署名をつけ、一部ずつ分け合った。
 握手を交わすと、彼女は席を立った。
 来月から月に数回は、彼女にも農場に出てもらおう、と僕は思った。


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Yuki Tabata
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