竹輪麸とジュース
かつて母親によく連れて行かれたスーパーの敷地内に、紙コップ式の自販機が並んでいた。
今でもあの種のタイプのものがどのくらいあるか定かではないが、お金を入れてボタンを押すと機械の中に紙コップがポコンと出てきて、ジーッという音と一緒にジュースがぴゅぴゅぴゅうと注がれる。最後に細かく砕かれた氷がガガガガガっと入って、ランプの点滅が終わると取り出しオーケーとなる。
ジュースは異なる味でミックスにもできて、確か私はいつもピーチとオロナミンCを混ぜていたと思う。ラージサイズの紙コップいっぱいにジュースが注がれるのを待つあのワクワク感。子どもの頃飲んだジュースは何であんなに美味しかったのだろう。
それからベンチに座り、ジュースをちびちび味わいながら母が買い物を終えて出てくるのを待ち、出てきたら屋台でおでんを買ってもらう。夕飯前だから我慢しなさい、と言われるのが世の常なのかも知れなかったが、私は夕飯も関係なく全て平らげる子供だったため、具を一つか二つなら買ってもらえた。
スーパーの前には夕方頃になるといつも屋台を引いたおじさんがいて、私がいつも好んで選んでいたのは、くたくたに煮込まれたちくわぶだった。子供が夕飯前に食べるにはあまりにジューシーでボリューミー。しかし、その背徳感が堪らなかった。色々フィルターがかかっているだろうが、やはりあの時のちくわぶほどおいしかった物はない。
回らない寿司屋で食べさせてもらった中トロ、シャキシャキに冷えたサンチュに包んで食べる熱々の焼肉、バーミャンのバンバンジーサラダ。感動する程おいしかった食べ物は、いつでも子供時代の中にだけ存在する。太るか太らないか、健康に良いか悪いか、高いか安いか、そういう余計なモノサシを持ってしまった今、あの時ほど純粋に食事を楽しむ事はもうできないのではないかと思ってしまう。
ところで、最近はおでんと言えばもうコンビニである。屋台を引くおじさんもめっきり見なくなり、おでんに関わるおじさんといえば、ツンツンして人に迷惑をかけるようなおじさんばかりである。せめて紙コップ式の自販機のメーカーがどこのものだったか、今でもあるのか調べようとすると検索ワードの後ろになぜか「ゴキブリ」がくっついてくる。
え?と思い見てみると、あのタイプの自販機はゴキブリの温床だったという話がズラリ。機械の内部に付着する糖分を吸いにやってきて、そのまま巣を作ってしまうらしかった。
職場で深夜作業中にその事実かどうかも分からない話しを発見し、わなわな震えながら「知ってた?」とたまたま隣にいた同僚に聞いたら、「うん、知ってるよ」と当たり前のように返ってくる。
ノスタルジーを返して!と同僚に叫んでも時すでに遅く、知らなきゃ良かったが、知ってしまったからもう仕方ない。でもあの時のワクワクと、スーパーのベンチに座って味わったちくわぶとジュースの味は誰にも奪えまい。そう思う事にした。
あの日見た夕方は透き通っていて綺麗でした、などと言えばキレイに締められるのですが、あいにく、おでんとジュースに夢中だったのでそれ以外は何も覚えていません。