Fish in the tank、その後(3)
「…でもさ、こういうのを運命っていうんだと思う」
式場のセレモニーホールに一人で座っている美雪を見つけると、居ても立ってもいられなくなった青柳は思わずそう声をかけた。
「…え?何の事?」
いきなり話しかけられて驚いた美雪がそう聞き返してみると、青柳は自分の言いたい事をまとめるために一瞬目を伏せて、それから美雪とまっすぐ目を合わせると、葬儀場に来るまでに言おうと思っていた事を話し始めた。
「…オレ本当は大学辞めようと思ってて、この前会った時が最後だったんだけど、帰りに電車で別れる時に茄子川さんともう会えないんだなって思ったら死ぬほど悲しくなったんだよね。…そしたら先生が死んだせいでまたこうやって顔が見れて、…先生には本当に悪いけど、でもまた会えてすげぇ良かったって思ってる自分がいるんだ」
矢継ぎ早な青柳の告白に、どう答えたらいいか分からずに美雪がしどろもどろになっていると、「ねぇ、いつからいたの?」と言いながら飛鳥達が後ろから声を掛けてきた。
ふいをつかれた美雪は一瞬びくりと肩を震わせて「…あ、1時間前かな。…特にすることもないから座ってたら、ついさっき青柳君が来て…」と青柳の方を見れないまま、足元に視線を落とした。
「…あ、もしかしてあそこに先生いるの?」
二人の間に流れる空気に何も気づかないまま飛鳥は祭壇の前にある棺を見つけると、座席の列の間の通路を早足で歩いて行って近寄って、おそるおそる中を覗き込んだ。
「…あれ?先生、こんな顔だったっけ?」
後ろから付いてきた雄二も一緒に中を覗き込むと、少し歪になっているその死顔をまじまじと見つめた。
「…防腐処理とかする時にさ、防腐剤のせいで顔が腫れて変形しちゃう事があるんだよ」
「…へぇ、詳しいね」
「うん、ばあちゃんの時もそうだったから」
そう言いながら、雄二は記憶の中にある祖母の死に顔を、目の前の死に顔に重ね合わせている。
「その時はばあちゃんが他人に暴力でも振るわれたような気がしたんだけどさ、でも今考えてみると、死んでもうすぐ焼かれるんだったら、顔なんてある意味どうでもいいのかなって思えるんだよね…」
「…それは西田先生が小林にとって他人だからじゃないの?」
「…それもあると思うんだけど、それだけじゃないっていうか…」
「…ふぅん、そうなんだ」
雄二は飛鳥にそう言われて、ふいに自分の事を洗いざらい話してしまいたい衝動に駆られた。
それは例えば、長い間理由もはっきりわからないままに感情が上手く沸かなくなっている事や、それに抗うように何かを無理に言おうとすると決まって棘のある言葉しか出てこない事。それなのに時々、意味もなく泣きたくなって仕方のない時があることなどだった。
……でも、他人にそんな事を話して、一体何になるんだろう?
雄二はふと我に返ったように思い直すと、結局何も言わずに視線をまた教授の顔に戻す。
「先生って歳はいくつだっけ?」
飛鳥に話しかけられて雄二はまた顔を上げると、「確か七十くらいだったと思うよ」とそれに答えた。
「…早すぎるって訳じゃないけどさ、どうせならもっと長生きしたかっただろうね」
飛鳥はそう言って棺から離れると、美雪達のいる最後列の方に戻っていった。
雄二はその後もしばらく棺の前で立ち尽くしていて、教授の顔を見つめながら、今度は自分が死んだ後の姿を想像してそこに重ね合わせてみた。
そうしてみると、死の気配が生々しく圧し掛かってくるような感触が急に迫ってきて、雄二は思わず息を詰めると、その足場を失くしたような不安の正体は何なのかと考え続けていた。
「…ねぇ、いつまでそこにいんの?」
気づくと飛鳥が雄二を呼ぶために再び戻ってきていて、その後ろで他の弔問客が不思議そうに雄二の様子を見つめていた。
思っていた以上に長い間棺の前を占領してしまっていたらしく、雄二は慌ててそこから離れると、飛鳥の後に続いて最後列の方へと移動していった。
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