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【再掲】青い毛布(4/12)



「無題:そろそろ到着だよ。一人で来たから、何かすごく遠く感じたよ」


コンビニのATMでお金を下ろしている時にそのメールがきて、信吾はそのまま歩いて駅まで結衣子を迎えに行くことにした。


歩きながら自分が部屋用のジャージを穿いていた事にふと気づき、そういえば朝起きてから寝癖すらちゃんと直したのか定かではない事にも思い至ったが、しかし今さら部屋に戻って準備をし直すような時間もなかった。

駅に着くと、バッグの他に、少し大きな紙袋を手に提げている結衣子が、改札出口に立って不安そうに辺りを見回している姿を信吾はすぐに見つけて、結衣子も歩きながら近づいてくる信吾の姿を見つけると、安心したように口元を緩めてから、一言、ごめんね、と言った。

――それは急に来てごめんねという事だろうか?


信吾はその発言について考えながら、駅前の商店街を、結衣子と歩調を合わせてゆっくりと歩き始める。


あそこの喫茶店には行った事はあるのかとか、そこの古本屋にある古本はブックオフの本とどこが違うのかとか、あの雑貨屋はいつも何時まで開いているのかなど、たいしてパッとしない商店街を興味深そうに見回しながら、結衣子はいろいろな事を信吾に聞いてきた。


すぐに商店街を抜けると、河原沿いの道に出て、休日にジョギングをする人や、飼い犬を散歩させる人達と何度もすれ違いながら、二人は大学の事とか、新しい友達の事や、今日ここに到着するまでの間に、結衣子が電車の中でしていた他愛のない考え事など、色々な事を話しながら家に向かった。

歩きながら眺める河原の風景は、夏を待ちきれないかのように繁茂し始める草原と、その中で咲き乱れるシロツメグサや、共鳴しあう虫の音で満ちていて、陽光を反射してきらめく川の水が、穏やかに淡々と、そしてどこまでも流れていた。



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「おぉ、思ってたより家具が揃ってる!」

アパートに到着すると、結衣子は興奮気味に信吾の部屋をしばらく見回していた。

その後にふざけてカーテンにくるまってみたり、安物のテーブルをやたらと褒めてみたり、ベッドの下にアダルト雑誌が隠されてないか、からかい半分に点検するなど、いつもより妙に高いテンションで信吾をしばらく翻弄し続け、一通りはしゃいだ後に、急に思い出したように持ってきた紙袋の中から何かを慎重に取り出すと、丁寧にその包装を剥がして、中から出てきた銀色の地球儀のような球体を信吾に手渡した。

結衣子の説明によると、それはどうやら市販の家庭用プラネタリウムらしく、暗闇で映すと、オルゴール調の曲と共に、壁や天井に星や星座達が現れる、といった代物らしかった。

「あのね、これを信吾にプレゼントするためにちょっとお金貯めたんだ。

これはお姉ちゃんの赤ちゃんが生まれるときにお兄ちゃんがプレゼントしてたのと同じやつでさ、これを天井に映すと赤ちゃんがビックリしてかわいいんだよ。 

こんな辺境の地で一人暮らしを始めた信吾も、夜寝るときにこれがあれば寂しくないよ。それに、いつか信吾の赤ちゃんにも使って欲しいんだ」

その一風変わった引っ越し祝いと、赤ちゃんが生まれたら、という少し飛躍した結衣子の話を信吾は不思議に思ったが、

「そうだね、これがあれば寝るときも寂しくないよ」

と、冗談めかしながら応えると、結衣子が嬉しそうに笑ったので、とりあえずは野暮な事は何も聞かずにプラネタリウムを映してみることにした。

……二人きりでプラネタリウムを観ようだなんて、これはデート以外の何ものでもないのでは……、と信吾はまた考えながら部屋の電気を消して、カーテンを閉めて、そして機械のスイッチを入れる。

オルゴール調の曲が静かに流れ始めたかと思うと、暗闇を数え切れない程の星達がゆっくりと埋め尽くし、その景色がグルグルと回り始めた。

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――これは想像以上にすごい。


実は相当高価だったんじゃないのだろうかと驚いている信吾をよそに、結衣子はその景色を見つめながら話し始めた。

「……サッカー部の相沢君ね、大学辞めちゃったんだって。由香もその彼氏も、みんな今つまらないんだって。桜井君は楽しいって言ってるけど、ほら、あの人って元々ああいう性格じゃない?

…私も今学校つまらないんだ。なんとなく将来海外で仕事したくて外国語学部に入ったけど、今の就職の状況とか考えると、現実ってやっぱし甘くないと思うし、友達はできたけど、なんだかいつまで経っても仲が浅い感じでさ……。ねぇ、信吾は友達いっぱいできた?」

「ううん、オレもまだそこまでたくさんはできてないかな」

「私はね、時々電車の中で、女子高生を見かけるとね、なんだかすごく懐かしくて切なくてたまらなくなるんだ。

まだ大して時間も経ってないのに、あの頃に戻りたいなんて考え始めてさ、…みんなもきっとそうなんじゃないかな、今がつまらないんだよ、高校が楽しすぎたからさ」

高校を卒業して、制服を着なくなるという事が、女の子にとってどのくらいの意味を持つ事なのか、信吾にはまだそれを推し量る事はできず、曖昧に相槌を打つことしかできなかった。

それからは二人で天井を見上げ、沈黙がしばらく星たちと一緒に部屋を満たした。信吾は明滅する星達を眺めながら、高校の時の物理の授業をぼんやりと思い出していた。

あの時、コーヒーを入れたガラスのビーカーを教卓の上に用意して、先生はパックに入ったミルクをそこに注いでからゆっくりと混ぜ合わせた。そして、


「つまり時間という概念とは、こういうことなのです」と説明を始めた。

時間というのは、始まりから終わりに向かって一直線に進んでいくというよりは、ミルクがコーヒーに溶け合って混ざるように、ありとあらゆる要素が、どうしようもなく混じり合って溶け合って、もう元の姿には戻れなくなっていく過程そのものの事なのだという。

遥か昔に途方もないくらいの大爆発が起きて、自分達の宇宙が突然始まって、そこから膨大な時間をかけて、どうしようもないくらいに混ざり合って、溶け合って、途方もなく広がって行く混沌とした過程の中に、今も私達はいるのだ、と。

信吾は思う。もしそれが本当だとしたら、結衣子と一緒にいるこの瞬間も、部屋の中を回る星達の渦の中に混ざり合って、もう数秒前の自分達にすらきっと戻れないのだと。

「……オレは走るのがやっぱり好きだからさ、陸上は続けようと思ってるんだ。大学でも陸上部に入ったよ」

 信吾がぼそぼそとそういうと、結衣子は何故か切なそうに目を細めた。

「……信吾は偉いよね」

「違うよ、何かに没頭していないと、自分を見失いそうで怖いだけなんだ」 

「……それもなんだか分かる気がするよ」

いつの間にか結衣子は信吾との体の距離を、肩が触れ合うくらいにまで縮めていて、しばらく信吾が気づくまで見つめた後に、その頬に指先でそっと触れた。


そして次の瞬間。あまりにも唐突に、それでいて、さも当然のようにさらりと言い放った。

「ねぇ信吾、エッチしようよ」 

カーテンを閉め切っているせいで、部屋は昼間なのに少し薄暗くて、そうは言われてみても、信吾は体を擦り寄せてくる結衣子が何をしようとしているのか、すぐには判断がつかない。  


結衣子の方はそんな事はお構いなしといった様子で、ポカンとしている信吾の首筋に素早く両腕を絡めて、頬と唇にキスをする。そして驚きと困惑の入り混じった信吾の瞳をじっと覗き込んでから、もう一度唇にキスをした。

「大丈夫だよ」

軽い口調でそう言いながらブラウスを脱ぎ、何のためらいもなくブラジャーを外して、それから信吾のシャツも脱がせた。そして母親が小さな子どもにするみたいに、信吾の額にキスをすると、いたずらっぽい笑顔を浮かべながら、また信吾の瞳を覗き込む。

一体、何が大丈夫なのかさっぱり分からない、と信吾は思う。

「……無理だよ、オレこういう事したことないんだ」

「大丈夫だよ」

「っていうかゴ、……ゴムとかも持ってないし、っていうかそういう問題でもないっていうか……」

「大丈夫だって」

密着する結衣子の体をどうにか引き離そうと、信吾は軽く彼女の腰の辺りを掴む。

手のひらには、結衣子の滑らかな肌触りと体温が直に伝わってきて、その細くて、しなやかでいて、柔らかい感触に、信吾の心臓は固い音で脈打つ。

お互いの肌の異様な発熱に戸惑い、混乱した気持ちを静めようと、無意識のうちに一度大きく呼吸をする。

それでも結衣子の肌に触れているうちに、信吾は安定した状態になんとか戻ろうとする自分の心のどこかで、突然何か堅く重苦しいものが溶け去って、高い温度を持った衝動がじわじわと広がっていくような気配を感じ始めた。

どれだけ考えようと思っても、考えなんてまとまるはずもなく、そして信吾は結局、無駄な抵抗を諦める。

それから恐る恐る、華奢な肋骨の辺りを震える手で撫でると、結衣子も体を少し震わせてから、ゆっくりと床に横たわった。

「……それで、ここからはどうすればいいの?」

「ふふ、教えてあげない」

そう言ってクスクス笑いながら、結衣子は信吾の柔らかくて量の多い髪を撫でている。 


ためらう信吾の指先は、結衣子のなめらかな腹部や魅惑的な胸の辺りを彷徨った後に、腰よりも下の、ささやかな面積を持つ茂みに行き着き、そしてさらにその先へと到達する。

指先に伝わる、その湿度、その温度、それから変化する結衣子の息遣い。全てが信吾から冷静な思考を奪い取り、混乱の中へと導いていく。

「……私の中、どうなってる?」

「……濡れてる」

信吾の顔を結衣子は両手で引き寄せてから、今度は左耳に舌をそっと差し入れて、その中を舌先で探るようになぞった。反射的に信吾の背中が波打つと、結衣子は信吾の耳元でゆっくりと囁いた。

「……信吾のせいだよ」

 

それは、仲間達が休み時間や放課後に口々に語っていたような興奮や感動とは程遠く、結衣子の隠し持つ性欲に初めて直に触れて、そのあまりの生々しさに、信吾は一瞬、目眩さえ覚えた。

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