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なにもない場所

空き地が好きだと思う。

スーパーからの帰り道。何とはなしに近所を歩いているとき、唐突に何もなくなった空間と出くわすと、かつてそこに誰かの生活があった事を知る。

実際に、家があった時は気にも留めなかったし、どんな家かも全く覚えていないのだけれど、なくなった瞬間に思い出したくなるのだ。

空き地ではすっかり何もかもが取り払われて、黒土だけが剥き出しの状態になって広がっている。

例えば時間と共に雑草の緑がじわじわ滲んできて、少しずつ野菊やネコジャラシなどが群生してくる様を定点観測するのも成田的にはオツなものだけど、住宅地の区画された場所と言えば経済的には投機の対象なので、空き地が空き地でいられる時間というのは限られている。

あっという間に建設予定地の看板が立って、工事用の衝立やシートで囲まれて、しばらく忘れているうちにいつの間にか新しい家ができていたりする。

「......つまり、あの場所が空白の状態でいられるのは、今しかないんだな」

自分の部屋で洗濯物をたたみながらふと考えて、ふらりと立ち上がると、いそいそサンダルを履いて再び更地を見に行く。 

夜の静かな住宅地。辺りに漂うひんやりと湿った土の匂いをくんくん嗅ぎながら、せっかくだからと、その場所の記憶を想像してみる。

かつてここにはどんな人達が住んでいて、どんな会話があって、食卓には何が並べられていて、それはどのくらい前から始まって、そしてそれが始まる前は多分違う人達がいて、違う家族と暮らしがあって、違う時代が流れていて、数珠繋ぎに土地の記憶を辿っていけば、そこは家じゃなくて田畑とかになって、その前は何もない原っぱとかで、その前は、その前は......。

人気の少ない住宅地であまり長居すると怪しまれかねないので、頃合いを見てそそくさと退散する。

そしてまた部屋に帰ってから、そういえば自分が今いるこの部屋も、いつかは空白になる日が必ず来るんだな、という事に思い至った。

人の住まなくなった部屋には沈黙が降り積もって、声を発する者は存在しない。

時々、外から差し込む光が部屋の記憶をなぞるように照らして、夜が来れば蒼い闇が満ちる。

春には強い風が雨戸を揺らし、夏には白い埃が亡霊のように舞う。

秋には黄色い花をつけたセイタカアワダチソウが外壁をさらさらと撫でて、冬にはささやかな日溜まりが滲んで溶ける。

機会が来れば突然に壁は崩され、屋根は潰され、何もかもが取り払われる。

最後に黒土を剥き出しにした更地にされて、時間が流れ始めて、そこをたくさんの人が通りすぎていって、そしてそのうちの一人がふと足を止め私と同じようにこう思うのだ。

「ここにはかつて、どんな人が暮らしていたんだろう?」

そして、ちょっとおもしろいなと思うのは、その人はその人がいる時点よりずっと昔に、こうして私に想像されてるなんて、夢にも思わないだろうという事だ。

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