エッセイ:創作と生活
創作を突き詰めていく事と、実社会で上手に生きていく事。
それは必ずしもイコールにはならない。
私の場合、逆というか、反比例してしまう。
イマジネーションを湧かす事、その中の特定のアイディアに集中していくこと、理想を言えば身も心も没頭する事。
それとは逆にこの社会で生活を維持していく事、決められた役割を仕事としてこなす事、職場の仲間と調和を保つ事、特定の誰かとプライベートを共有していく事。
創作するための努力。生活を維持するための努力。どちらかを取ればいつもどちらかが立たない。
そして私が尊敬しているクリエイター達は、みんな実生活をかなぐり捨ててまで、自分の創作に全てを捧げてきた。
私はゴッホの絵を見るといつも泣いてしまう。
もちろん、彼の絵画の真価を見極められるほど、私には審美眼はない。
でも、それを描いている間中の、ゴッホの苦しかった事、辛かった事、寂しかった事が、全部全部押し寄せてくるような気がして、長い間はとても見ていられないのだ。
それでも自分のやりたい事を死ぬまで突き詰めたゴッホは幸せなのだ、という人は言う。
でも全ての、真理だと世間で思われていることを解体してまでも、自分にとっての本当のことを見つめ続けようとする芸術家にとって、「幸せ」とは一体何なのだろう。
「俺は自分の道を突き詰める事ができて幸せだなぁ」
そんな風に考える事ができる人間は、自分の頭を猟銃で撃とうなどとは思わないだろう。
少し話が極端すぎるのかもしれない。
(結構、話を極端にしすぎる傾向がある)
でも、ほんの少しでも何かを作れるなら、可能性の限界まで試してみたい。
その時は多分、今保っている生活の半分か、それ以上は切り捨てないといけない部分が必ず出てくる。
私事ではあるが、数年前に新卒で入社した会社が破産していとも簡単になくなった。
二年目になったばかりだった。
上場企業だからいきなりそんな事にはならないだろうと思っていたが、全然そんな事はあった。
そこから急に何をしても上手くいかなくなって、短いスパンで転職を繰り返した。
日々減っていく貯金に焦りながら、求人サイトの載ったパソコンの画面を何時間もスクロールして、履歴書を書いて、面接を受けて中途で入る。
入ったのはいいものの、課された営業ノルマや、目標を消化していく事ができずに、結局退職を勧められたり、居心地が悪くなって自分で辞めたりする。
踏ん張らなければいけないとわかっていても、どうにも気力が沸かない。それも、日に日に磨り減って透明になってしまいそうな気さえする。
だからある程度落ち着いて、当たり前だと思えてきている今の暮らしも、ある日簡単に消し飛んでしまう可能性がある事を、私は知っている。
そして、日々の生活がままならなければ創作もままならなくなるということも。
つまり、バランスを取るという事がとても大切なんだな、と思っている。
そしてバランスを保つためには色々と努力がいる。
● 発音が綺麗
1年くらい前に、拙いはずの英語力が過大評価されて、外国人担当に抜擢された。
給料も少しだけ上がって、しばらく寝る時間を削って特訓して、あたふたしながらどうにかこうにか英語だけで対応をこなせるようになった時、それまで私を呼び捨てで呼んでいた人達が、急に「さん」付けで呼んでくるようになった。
周囲の私を見る目が、明らかに変わった。
真剣に受験勉強をした事がなく、ましてや留学などもしたことのない私はそれからも、やはりそれなりに身を入れて勉強を続けなければならず、TOEIC、オンライン英会話、海外ドラマの中から実用英語を抜き出して全て覚えるなど、しばらくの期間、自分なりに努力した。
そして少しずつではあるが、確かに手ごたえがあった。
「あなた、発音が綺麗よ」
外国人の先生にもパソコンの画面の向こうから褒められる。
自分では気づかない、隠れた長所というのが、人には本当にあるらしかった。(それでも流暢というにはまだ程遠い)
転職が続いて苦しかった時期の事を考えると、確かに英語できるというのは強いよな、と私は思う。きっと、ちゃんと身に着けば先の不安もずっと減るんだと思う。
でも、ここまで読んでお気づきの方もいると思うが、語学学習なんて始めれば、創作する時間は消えうせる。仕事に勉強に創作、というのは物理的な不可能だ。
そして今は生計を立てるための仕事をしているが、いつか創作だけで暮らしてみたい。
そんな風に無謀な事をうそぶいている私にとって、これは本末転倒なのだ。
この際、英語担当の責務を外してもらうべきか?
―でも、派遣社員の身分の手前、やはり身を立てる能力は身に着けておきたい。
―小説が書きたいけど、時間があればいくらでも書けるというわけじゃないよな…。
そんな風に私の思考は、日々堂々巡りする。
「もっと自分の創作を突き詰めたい。でも、それで今の生活が壊れるのは怖い」
私はもう長い間こんな愚痴とも弱音ともつかない事をよく言っていて、それを聞く友人達にはいつも「またかよ」という顔をされる。
多分私は、今、自分のやりたい事からどこかで逃げているんだと思う。
突き詰めようと身を乗り出した瞬間に、いとも簡単に行き詰って、自分が壊れてしまうのが何となく目に見えるから。
凡庸以下なくせに、自意識だけは人一倍な自分の一面に、私はとっくの昔から気づいているのだ。
自分には失望させられてばかりいるが、やっぱり今は極端になりすぎずに、悩みながら、自分で決めたことを着実にやっていくしかないんだと思う、
こんなに長々書いて、結局、そんな事しか言えない。
願わくば、できる限り自分の納得のいく作品を多く作りたい。
このnoteで、他の才能のあるクリエイターさん達の作品を見てうずうずしながら、私はここで、今日もそんな寝言を、むにゃむにゃと呟いている。