歌と、イビキと表参道
ぎゅうぎゅうの電車に揺られる金曜の23時半。隣の席の男性は、発車して早々に豪快なイビキをかき始めた。私はイヤホンから流れる音楽のボリュームをあえて少し下げて、みんながこのBGMをスルーしている車内の空気を内心面白がりながら、平然とした顔を保っている。マフラーをしていてよかった。だって、うっかりしたら思わず吹き出してしまいそうだ。たまに、たまーに、いびきのリズムを変えてくるのよね、お隣さん。こんなの笑うしかないじゃない。こんな状況をスルーできている東京人のみなさんすごいわぁ。このタイミングでブラザートムと森山良子による年明けラジオの再放送を聴いてる私もどうかと思うけど。森山さんのすんばらしい「Time to Say Goodbye」にイビキのビートが刻まれる。堪えるのに必死。え、これ聞こえてるの私だけ?
今日は、かつて勤めていた職場に久しぶりに顔を出し、これまた久しぶりに、職場から渋谷駅までの夜道をのんびりと歩いた。なんとなく歩きたくなった時や、終電すらとうに逃してヤケクソ半分になった深夜に、ひとりで渋谷まで歩いたものだった。電車に乗れば10分もせずにたどり着けるのに、わざわざ30分近く歩いて。夏にはアイスを買い食いしたり、大きめの鼻歌を車にかき消してもらったり。スマホはポケットにしまって、イヤホンから流れる音楽やラジオに耳を傾けながら、きらきら照らされた夜の表参道を眺め歩くのが好きだった。30分という距離感も、気分転換にはちょうどいいお散歩コースで。
表参道という街は、正直あんまり居心地がいい場所ではなかった。どうしたってあの場所に馴染むことなんて不可能に思えてしまう、眩しい街。だからこそ、人目も気にならずに歩く夜道としては、他人行儀なその街がちょうどよかった。夜道とはいえたくさんの灯りに照らされて十分明るかったし、アイスを食べこぼしても、音程の取れていない鼻歌でも、誰も自分の存在になんてこれっぽっちも関心を向けず、放っといてくれる距離感が昼間とは打って変わって心地よかった。不粋な飲み屋が少ないのか酔っ払いにも汚物にも出会った記憶はなく、たまにゴミ袋が飲食店の前に積んであるくらいの、色の少ない無機質な風景がそこには広がっていた。そんな道。ずっと下り坂なのもいいんだよね。
結局、隣から聞こえてくるビートは終点に着くまで止まなかった。向かいに立っていた男性がちょっとおおげさに背負い直した荷物がぶつかって、やっとお隣さんは顔を上げた。ここまで乗っちゃっててよかったのかな、お客さん、終点ですよ。
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