中国共産党歴史展館参観レポート
さむさもぐっと厳しくなり、セントラルヒーティングだかの都市暖房(暖气)も入ってきた北京で、久々に観光でもするかと友達と一緒に中国共産党の歴史展覧館へ行ってきました。コメント質問も歓迎ですのでよろしければどうぞ。
警告
この記事を書いた人間はパンダハガー非国民です。記事内には大いに中国共産党に親和的な内容が含まれます。受け入れられない方はブラウザバックをお願いします。
中国共産党歴史展覧館、でかすぎて画角に収まらない。
それもそのはず、中国共産党歴史展覧館は、北京市朝陽区北辰東路9号に位置し、総建築面積は14万7000平方メートルもある。展示室だけでこのでかい建物3階分を歩く、軽く見るだけでも見学に4時間もかかった。
この建物は、中国共産党の中央宣伝部に所属し、社会科学系の党史記念館である。中国共産党歴史展示館は2018年9月10日に建設を開始した。2021年5月5日に竣工し落成する。2021年6月18日、中国共産党歴史展覧館が開館する。2021年7月15日から、中国共産党歴史展覧館が一般に公開される。
2021年6月19日、中国共産党歴史展覧館は中国共産党中央宣伝部から「全国愛国主義教育モデル基地」と命名された。同年6月24日、中国共産党歴史展覧館は魯班賞を受賞した。
中国共産党の100周年記念の建物なので気合入りまくりである。
入口には前言と党旗があり、旗のほうは記念撮影スポットになっていた。
入ってすぐ真っ赤っかであるが、次からは展示に入る。展示は基本黒を基調として、重厚感があるが暗めであった。
第一部は「中国共産党の建立と新民主主義革命の偉大な勝利を奪取する」という展示であった。
中国共産党が上海で誕生してから、国共合作や北伐戦争までの展示である。
反植民地、半封建社会の形成と中国人民の民族復興行進の英雄闘争
インテリ以外に民族意識あったのかとか、清朝は民族復興とあんまり関係ないのではという気がする。まあ、指導する側にそういったものがあったということであろう。
円明園の列強に破壊された西洋式庭園のレプリカを背景に、中国がボロボロになっていってる写真などが満載の展示である。雰囲気もくらい。
各国と清朝政府が結んだ不平等条約一覧、イギリスが圧倒的であるが、日本も割と多めのほうであるのがわかる。こっから1945年までわが国は中国を蹂躙しまくりである。残念ながら今はその栄光も影もない。
下は民族資本主義の発展と労働者階級の隊伍の発展である。中国も西洋からの技術を導入して資本主義が発達し始め、それに伴って急激に拡大した労働者階級が運動を起こし始めたという展示である。初期の工場群とかい工業機械などが展示してある。
中国人民の反侵略闘争と各階級が新しい国家を模索し始めたという展示
孫文や黄興など革命家なども登場、清朝に代わる政治体制が勃興しつつあった。
武昌蜂起と初期国民革命軍の展示、兵器なども展示してある。
革命運動の中でマルクス主義運動も中国に入ってくる。下は陳独秀と李大剣、どちらも初期の建党関係者である。
新文化運動がおこる、五四運動。の展示。科学と民主をテーマにして、今までの暗黒の中国を覆っていた封建主義道徳や学問に反対して、西洋思想や学問を大幅に取り入れた。
陳独秀や李大剣などや、魯迅などが日本でも有名である。今までの口語と文語の別をなくす白話文運動など言文一致運動なども行われた。もっとも今でも中国は完全な言文一致ではないし、標準語化運動ですら現代でも諸外国から妨害されている有様である。
新文化運動と魯迅たち、左の集合写真には陳独秀がいる。
下は新文化運動時期の主要な思想流派
三民主義・実用主義・ギルド社会主義・無政府主義・復古主義・国家主義・教育救国・科学救国・実業救国・社会民主主義・新村主義・汎労働主義・空想社会主義・マルクス主義など無数の思想が中国に飛び交った。
そしていよいよ十月革命、下の絵は教科書にも載ってる超有名な絵ソビエト政府の成立を宣言するレーニン。レーニンの後ろにいるスターリンとトロツキーがかわいい。
第三単元、革命の奔流の中に在って。
中国共産党成立後に労働者運動と農民運動に集中して力を注ぎ、国民革命軍成立後は第一次国共合作が実現し、全国の反帝国主義、半封建主義の偉大な闘争を指導し、大革命が高潮した。しかし国民党右派機会主義者の裏切りで大革命は失敗した。中国共産党の革命の一ページであり、新しい段階の人民革命党層の準備期間であった。
第一次国共合作、大革命の起こり。
国民党に加入しながら、我々の旗を保存し、労働者単体内、国民党左派の中で努力して階級自覚のある革命分子を吸収して暫時的に自分の勢力を拡大し、厳格な規律のある我々の強大な大衆を共産党の基礎としようという宣言。今でいう加入戦術で国民党右派がおこってたのは言うまでもない。
上海の共産党第一回全国代表大会会場後、この時は途中で警察の手入れが入って船の上に移って建党の会議を継続した。
下は毛沢東が代表を務めた湖南省の調査の文化書店後の写真と当時の印刷物、第一回大会当時毛主席はあまり目立った存在ではなかったが、のちの遵義会議で指導権を握って開国の人までなるので展示が多い。
中国共産党の一番最初の党員は58人から始まった、下はその党員一覧。
学習文献、討論進行計画書やロシア共産党の規約、第三インターナショナルの宣言などの文献が見える。
中国共産党第二回全国代表大会の展示。
下は第四回全国代表大会、左の壁は黄埔陸軍学校での党のかかわりを説明している。
上は毛沢東の有名論文、中国社会の各階級の分析
有名な「誰が我々の敵で、誰が我々の友か、これは革命の主要な問題である」の語が見える。文革時代にはこれの歌も作られた。
毛沢東が「共産党人」発刊の辞に送った言葉三つの基本問題、中国の歴史状況と社会状況、中国革命の特徴、など様々な未経験の問題を解決し、マルクスレーニン主義の実践の完璧に整った統一的な党に使用的なことが書いてある。
下は土地革命戦争と農村から都市を包囲する道が切り開かれた。という展示。
軍服は国民党と同じなので識別のために赤いスカーフがついている。中国の小学生とかがつけている紅巾である。
南昌蜂起の展示、上は当時の部隊の序列と幹部。1927年7月31日の深夜から8月1日にかけて始まった南昌蜂起は中国人民解放軍につながる軍隊の最初の戦いである。いまも軍旗にある八一の字はここからきている。
朱徳の南昌蜂起の時に使った銃
共産党の蜂起は全国で行われ、広州でも広州コミューンが成立したが3日で鎮圧された。国民党は大規模な粛清を行い、多くの党員や協力者が処刑された。
町中のスローガン「殺絶共産党」というのがすごい。
中国共産党第六次全国代表大会、土地改革などを議決した。
大会参加者は142人、場所はソ連のモスクワで開かれ、当時の党員は12万人。
下は、革命聖地、有名な根拠地、解放区である井岡山で南昌からの部隊と毛沢東率いる農民部隊の合流が行われた場面の銅像、いわゆる井岡山会師である。
井岡山闘争、革命の正しい道が開かれた。の展示
習近平が井岡山精神として、理想を定め事実に基づいて新しい道を定め、苦難奮闘し大衆によって勝利を収めるのが井岡山精神らしい。
その下の赤軍・遊撃隊・紅色区の発展は、半植民地の無産階級の指導の下での農民闘争の最高の形式であり、半植民地農民闘争の必然の結果と毛主席が書かれている。
日本ではこの書籍名、星の光のように小さな火でも、燃え広がると原野を焼き尽くす。星火燎原、「星星之火,可以燎原」のほうが有名である。
下は中国共産党の革命根拠地の創設者たち、たくさんの根拠地が全国にある。
下は根拠地の土地革命と赤軍の反包囲闘争の展示。
当時の看板で、「当紅軍是最光栄的」赤軍に当たることは最も栄光あるという意味。
ソヴィエト区精神を習近平主席が解説してくれている。
新年固く、真実を求め実務につき、一心に人民のために清廉潔白で刻苦奮闘し、一流を競い、無私の奉仕をするのがその精神らしい。
遵義会議と赤軍の長征の勝利の展示に入る。遵義会議とは毛沢東の共産党の指導権が確立した会議で、長征は蒋介石の包囲から逃げるために延安まで2万5千華里逃亡したことのことである。どちらも苦難な道で、途中犠牲もお勝ったが中国共産党はやり遂げて、最終的には勝利した。
下の銅像は毛主席を迎える周恩来
上は四度赤水を渡るで有名な赤水渡河の展示、国民党に追われながら同じ川を4度わたったのに壊滅しなかったという毛主席の用兵は神のごとくといわれる会戦である。
そしてついに赤軍は苦しい行軍の末に延安にたどり着く、真ん中の毛沢東の肖像は一時期天安門に飾られていたくらい有名である。
下の展示は抗日民族統一前線の成立と闘争である。もう1940年代に差し掛かり、抗日戦争もたけなわである。
全民族の抗日戦争の大黒柱。の展示、全民族の抗日戦争が勃発し、共産党は全面的に抗戦する路線を定めた。日本人が嫌いなところである。まあ、いつもはシナ人は虫けらと同じと笑ってるのに殺したと責められるとそんなことはしていないというのは都合のいいものである。
敵後方での遊撃戦争の展開と、統一前線の中での自主独立の堅持
下は抗戦を堅持し、団結し、方針を進め堅固に抗日民主根拠地を築くという展示。いろんな写真がある。
下は華北の抗日根拠地を日本軍が掃討した統計である。1年のうち全部で132回、大規模なものは27回、詩用兵数は83万人最長期間は3か月である。
1941年末、ついに太平洋戦争が勃発、中国共産党はすぐに宣言を出したそう。
下は党の七回大会抗戦の勝利と新中国成立の路線方針の確立の展示。
中国共産党第七回大会では毛沢東思想が党の指導思想として確立された。下がその説明で、毛主席の写真もいっぱいでうれしい。
下の銅像は延安での幹部たち、皆さんは何人わかるかな?私は4人しかわからなかった。
正解は毛沢東・朱徳・劉少奇・周恩来・任弼時
下は抗日戦争末期1944年末、日本の断末魔が聞こえ始めるころ、抗日根拠地から積極的に打って出るようになった時の図。
抗日戦争がやっと終わったかと思ったら今度は国共内戦である、下は国共内戦の趨勢を決定づけた三大戦役の展示。
鄧小平率いる第二、第三、第四野戦軍が南京周辺を4月23日に開放し崇明島を6月2日に開放し終わった渡江戦役は、人民解放軍の損害6万人、国民党軍43万人の損害を与えて勝利の上に終わり、継続して全国を解放する基礎となった。上の写真は中国南方解放の戦況図
西苑閲兵、毛沢東など中共指導部一行が西柏坡から初めて北京に入るときに当時の北京の郊外にあったこの空港で人民解放軍の閲兵をしたのちに入京した。人民解放軍が北京でやった初めての大規模閲兵式である。
日本ではあまり知られていないが、北京に入京してすぐに中華人民共和国が成立したわけではなく、少数民族代表や各界の民主勢力などと人民政治協商会議での折衝を経て人民共和国の国旗や国歌が決まり、10月1日に人民共和国が成立したのである。
下は中国共産党のいろいろな国旗案、赤黄色や星などは共産党として当然としても、アメリカやヨーロッパ、日本な度と似た国旗になっていた可能性もあっていて面白い。左下とか日章旗が星になったようだし、アメリカっぽいのもある。
ここでやっと一階の展示が終わり、二階に入る。
第二部の展示は「中華人民共和国の成立と社会主義革命と建設」である。
新中国建設の全面開始と社会主義制度の建立の展示
ツイッターでの人気のシーンである。言ってる内容は以下の通り、
毛泽东:同胞们,中华人民共和国中央人民政府今天成立了!
时为北京卢沟桥镇居民郑福来:我喊嗓子都哑了,毛主席万岁,中国共产党万岁,中华人民共和国万岁
新しい人民政権の成立とうち固めの展示
ここから朝鮮戦争の展示が入る
下は中国の土地改革法の施行、土地が農民に分配されたが、この後人民公社化でまた取り上げられることになる。
過渡期の総路線の提出と社会主義工業化の起こりの展示
過渡期時期の政治・文化・国防軍隊建設・外交実践の展示
人民解放軍に階級が導入されることになり、元帥十名、大将十名をはじめとして将官、佐官、尉官などの導入が行われた、ここでは少々以上の軍服が展示してある。
政権を取った状況下で党の建設を強め、整風整党運動を開始したという展示。
社会主義改造の基本の完成と社会主義制度の建立の展示
社会主義建設の曲折しながらの発展の展示
人民公社の特徴、大きくて共産主義的であればよいの方針のもとの組織の軍事化、行動の戦闘化、生活の集団化が失敗し、共産風の下で大部分の農民の意志と乖離したということが書いてある。
1959年廬山会議で大躍進は左の誤りであることがわかっていたが、彭徳杯が手紙意見で毛沢東を述べて批判した後に、右派反党集団として批判され、左の誤りの是正にはまだ長い時間がかかったという展示。
いまでは中国が強大化したのでそんなことはできないが、かつてはアメリカの偵察機が中国上空を飛び回っていた。下のU-2はその破片の一部である。
下は共産主義精神を体現した戦士雷鋒今でも中国の宣伝物でわりとみる人である。若くして電信柱に頭をぶつけて死亡したが、死後日記に書かれた毛沢東への忠誠がすごいということで有名になった。
下は焦裕禄、砂丘緑化に貢献のあった人物、毛主席の良い学生として知られる。最近の習近平のイチオシの人でもある。
習近平の教える焦裕禄精神、民に親しみ愛し、刻苦奮闘し、科学的に真実を求め、困難を喜び無私の奉仕をする精神らしい。
下は両弾一星人工衛星と核開発の展示である。
ここからは文化大革命の展示に入っていく、中国では文化大革命について教えられていないなどということは全くなく、誤った政策で国家に甚大な損害を与えたと総括されているし、総展示されている。中国では真実の歴史を教えられていないというのは日本人の妄想に過ぎない。
下は全国で人民政府が解体し、革命員会が成立したという展示。(台湾省を除く)のところが面白い。
下は中国共産党第九回全国人民代表大会の展示、この戦いは文化大革命の勝利の大会であり、林彪の絶頂期でもある。
キャプションで党の九回大会は、文化大革命の理論と実践を系統化し、合法化したとしている。
党の第十回大会、まだここでも文革の政治路線と組織路線の誤りを受け継いでいるとキャプションされている。
下からは当時の中国外交の展示である、国連加盟や米中国交正常化、日中国交正常化など、ソ連を仮想敵として西側との修好の展示となっている。
日本人の中には知識人でも毛沢東が歯を磨かなかったとデマを飛ばす人が多いが、博物館にはしっかりと毛主席が歯を磨かれていた証拠が展示されている。人間悪意があれば何でも信じるものである。
四人組が粉砕され、文化大革命が終わったという展示。
1976年は1月に周恩来7月に朱徳9月に毛沢東と中国建国の偉人3人が相次いで亡くなった年で全国全人民が悲しみに包まれた年でもあった。
下は四人組粉砕と文化大革命の総括、否定的文脈で文化大革命が語られている。
第三部分に入る、ここは改革開放の実行と中国の特色ある社会主義の発展が切り開かれたの展示。
ここからは鄧小平時代の展示である。
第十一回大会、この後華国鋒が失脚し、知識青年は都市に戻り、改革開放が始まり、建国以来の歴史決議がなされる。
鄧小平が物質文明と同時に、科学文化、豊富多彩な文化生活、高度な社会主義精神文明を築こうといっている展示。
下は改革開放の宣言の展示。
下は鄧小平が社会主義の道を堅持し、プロレタリア独裁を堅持し、共産党の指導を堅持し、マルクス主義と毛沢東思想を堅持する方針を打ち出したもの。
下は四人組裁判と文革犠牲者の幹部の追悼式典。
日本でも有名な建国以来の若干の歴史問題に関する議決、毛沢東を立てつつも誤りを指摘。内容はよく知られているので割愛。
下は鄧小平が華北軍事演習で来ていた軍服、兵隊と同じ化繊のペラペラの軍服でびっくり。この演習は人民解放軍を保守派から引き離し、現在の現代化された人民解放軍を建設する第一歩であった。
改革解放軍の積極防御、誘敵深入方針の積極防御の調整期。
南沙諸島や中越国境での紛争の展示。
人民共和国建国35周年閲兵と鄧小平の乗ったリムジン。40周年は天安門事件のせいで中止になったので中途半端な方が展示されている。
下はマカオ返還交渉、1997年までポルトガルは中国に植民地を持っていた。
下はイギリス帝国主義との香港返還交渉、イギリスは最後まで抵抗し、現在も返還を認めずに香港に工作を仕掛け動乱を起こそうとしている。
党の指導を強めて改善するの展示。
党内政治生活若干の推測の展示、毛主席の党内の自由主義の問題に関する意見と似たようなものである。
整党を決定、党内の粛清を実行。
偉大な指導者とかではなく、小平こんにちはなのは時代が変わったと示した横断幕、なお現代は偉大な指導者呼称にまた戻っている
社会主義の本質は生産力の解放であり、生産力を発展させ、搾取を消滅させ、階級の極分化を削除し最終的に皆豊かになることというお言葉。
南方講和、保守派をけん制し、経済自由化路線を堅持する。
経済が上向きになり、冷蔵庫など家電やその他物資が豊富になったというジオラマ。
下は南方講和の時に鄧小平が着ていた衣服。
有名なIT都市深圳(当時はまだ田舎町)で鄧小平を歓迎する新聞。
ついに鄧小平理論が共産党の指導思想として確立する。
社会主義と市場経済が結合し新しい道が立ち上がるの展示。
中国の特色ある社会主義が成功し、21世紀に向かうの展示、ここからは江沢民時代である。最近死んだので、江沢民に関しては覚えておられるかたも多いだろう。
社会主義市場経済が確立し、体制改革の目標と総体が規定されるの展示。
共産党大会もいよいよ15回目になった。思えば長かった。後最新の大会まで5回である。下は15回大会の展示。
改革開放を深く発展させ、朝鮮の答えに正しく対応するの展示。
下は江沢民の映像でよく出てくる長江水害時の海軍旗と募金箱。
世紀をまたいだ発展戦略を制定し実施するの展示。
下は江沢民が軍事演習を視察し、軍隊の現代化を指導する展示。
人民解放軍成立50周年の閲兵式展示、江沢民が載ったリムジンの展示。
江沢民の三つの代表思想が党の指導思想になったという展示。
下の展示はかつては貧しくて配給が必要だったが、今では配給権などがなくても改革開放以降豊かになったのでなんでも帰るという展示である。
香港が返還されたので中国からの直通電車も走るようになった。下はその行先表。
下は小康社会の建設を企画する展示。
共産党第十六回大会、ここで江沢民から胡錦涛に政権移譲が行われる。習近平と江沢民に挟まれて影の薄い人物の登場である。日本で覚えてるのは前回の20回大会での強制退席シーンくらいのものであろう。
農村改革おもに三農問題についての展示、農村と都市の格差が深刻になり、そのため制度や補助などが必要になってきた。
経済社会の科学的発展の展示。
教区改革の展示、21世紀のマルク主主義を切り開いたらしい、教育は国の大計であり党の大計で重視しなければならないものらしい。
下はサーズの展示、コロナではない。サーズと戦う精神を胡錦涛が訓話している。
下はサーズにかかわった医療者の絵画、コロナの時とあまり変わらないのでやっぱり中国だなと感じる。
共産党大会も17回を数えた。小康社会を全面建設することや、経済だけでなく生活環境や自然保護も盛り込まれる。
環境保護のために内モンゴルの発電所が爆破解体される写真。
夏の北京オリンピックと四川地震の展示。
災害救助精神の展示、ぶれてるので詳細は割愛
軍人の核心価値観、社会主義核心価値観の前にこういう核心価値観もあったらしい。党に忠誠をつくし、人民を熱愛し、国家に報い、使命に献身することが栄誉を尚崇めることがそれらしい。
執政能力と先進性建設で党の建設を推進しようの展示。
胡錦涛の中国共産党成立90年の記念演説、今は102年なので12年前の話である。やっと話が最近になってきた。
人民共和国成立60年の閲兵展示
科学発展観が党の指導思想になったという展示。
全面的に小康社会を建設するという事業の成功が顕著にという展示。
宇宙開発展示、今につながる宇宙開発が胡錦涛時代に大いに発展している。
そしてついに共産党第十八回代表大会、胡錦涛が引退し、今につながる習近平時代に突入する。
中華民族の偉大な復興と中国の夢を実現しようの展示。
中国の夢の展示、タッチパネルを触ると労働英雄やきれいな景色の写真などが出てくる。
18回大会以降労働者や専門家、婦人代表が拡大し、党員の代表が減少し民主が拡大したらしい。
日本で一時話題になった一対一路関係の議定書や思想本
農村にも法治をもたらすため、移動法廷を設置した。
巡回法廷、広い中国では日本ではありえないような法廷が開廷されているようである。
法治社会建設の推進に関する重大問題の決定。
北京オリンピック(冬)の展示。
てか、いちいち主席の乗ったリムジン保存してるのか・・・
ここからは新型コロナの展示。生命至上、人民市場を堅持をしてコロナを乗り越えた。そのおかげで今ではマスクなしで北京を歩き回れるのである。日本人は片端から妨害しいちゃもんつけることに熱心で「武漢風邪」やロックダウンは地獄、白紙革命などなんでも反対していたし、中国人が死ぬことをたいそう喜んでいたのは記憶に新しい。
下は軍事や化学などの展示、宇宙開発、高速鉄道、戦闘機、水陸両用機、空母艦隊の展示。
下は習近平の大きな功績、脱貧困攻勢の展示。
社会主義現代強国建設の戦略の全面建設。
共産党100周年記念の展示。今まで見てきたように紆余曲折あった長い長い100年であった。
100周年記念の勲章授与式。
結語。
最後に入党宣誓を行う場所があった。習近平や李克強なども重ねて入党宣誓を行い改めて党と人民のために働くと宣言している。
さて、長かったですが皆様いかがでしたでしょうか?本物は写真以上に迫力がありすごいです。なかなか人も多いし、行くのも大変ですが、中国共産党の歴史を学ぶならまず行くべき博物館といえるでしょう。おすすめです。
私は偉大な中国共産党の歴史を学ぶとともに、共産主義成分を体中に浴びてこころからうれしくなりました。
長くなりましたが、今回はこれで終わりです。またの更新をお待ちください。
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