周りの視線を気にするということ【大学生のつぶやき】
周りの視線を気にすることと、自分の個性を際立たせることは、相反することだと思う。
この二つのちょうど良いバランスを見つけるのはとても難しい。そして、そのバランスをとり続けるのはもっと難しい。
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大学生になって約2年が経とうとしている。高校までの様々な縛りから解放されて、自分のやりたいことをたくさんすることができている。
ベースを始めてライブに出たり、ライブに何度も遊びに行ったり、好きなファッションやメイクをしたり、友達と色々な所に出かけたり、自分の個性がかなり磨かれた2年間だった。
SNSに関しても、Instagramのサブアカウントを始めたり、noteを書き始めたり、LINEスタンプを作ったり、周りの人からしたらかなり個性的に映っていると思う。
ただ、たまーに周りからの視線を気にしてしまうことがある。「こんなことをしてる私のことを、みんな毛嫌いしていたり、鬱陶しがられたりしているんじゃないか」と不安になることがある。
インスタで自分の写真をたまに載せたりするけど、「こいつ自分のこと可愛いと思ってんのかな、ブスなのに」とか思われてたらどうしようとふと思うときがある。
一応言い訳をしておくと、"自分は人類の平均よりも美人"とかではなくて、"自分の写真の中でも比較的写りの良い写真を載せてる"ってこと。そりゃみんなの方が可愛いし美人なのは間違いない。
それに、私は小学5年生だった頃がとんでもなく外見がひどいもんだったから、それに比べたらかなりマシだし、みんなに見せられるレベルだなと思えるから、自分の写真を載せることに抵抗はない。逆に、小5のひどい写真も今となっては面白いネタだから、それも載せようと思えば載せられたりする。
noteに関しても、「こいつ自意識過剰だな」と馬鹿にされたらどうしようと思うときもある。でも、想像に反してnoteを楽しみにしてくれる人が多くてびっくりしている。なんて優しい人たちなんだ。嬉しすぎて、いつも感動してる。
やはり自分は好奇心旺盛だと思うし、フッ軽で突発的な行動力も割と持ち合わせていて、しかも重度のオタク気質だから、自分のやりたいことに向かって突っ走っていたら、多少周りから浮いてしまうこともあると思うのよ。でも、そこで周りの視線を気にして個性を潰すのは、違うよね?
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この記事を書いていたら、ある子のことを思い出した。その子は中学・高校と同じ学校だった。なにかとその子と一緒にいたけど、彼女も強烈な個性の持ち主。私と高校が同じ人なら分かるよね。彼女の持つ世界観はぶっ飛んでいて面白い。
彼女も大学生になって、不健康かつ最高に楽しい寮生活を送っていたり、超派手髪&ネイルを楽しんでいたり、彼女の個性は本当に魅力的なのよ。
きっと彼女の頭の中には「周りがどう思うか」という思考が無くて、「自分のやりたいことをやる」ことを常に第一に考えているんだと思う。やっぱ、彼女が黒髪か茶髪の大人しい女性になっていたら、なんとなく寂しい。今までのぶっ飛んだ個性を押し殺してるなんてもったいない。
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私のやりたいことを気ままにやって、周りから浮いてたらどうしようとか、みんなに嘲笑われていたらどうしようとか思うことがあったけど、そんなの気にせずにやれば良いんだよね、きっと。
もし馬鹿にする人がいるなら逃げても良いよね。身内だけで固まって自分の世界に閉じこもるのはまた違う気もするけど。
それぞれの世界観を尊重しつつ、自分の世界観も表現していけるのが最高だと思う。他者の世界観を楽しむためには、自分の世界観も確立させていかないと。
私の世界観は、自分ではまだはっきりと言語化することはまだできないけど、でも少しずつ分かってきた気がする。自分の世界観を大切にしたい。