![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169379663/rectangle_large_type_2_276488269240fb9d9ea50e9f6b3667f2.jpeg?width=1200)
カルフォルニアワインと長沢 鼎
幕末に薩摩藩が秘密裏にイギリスに派遣した若者たちの中で最年少だった長沢は
なんと13才。
先日、こたつでうたた寝をしていると、長沢 鼎の名前が飛び込んできた。
1月6日に放送された「大追跡 グローバルヒストリー」でカルフォルニアワインのワイン王として知られる、長沢鼎の特集をしていたのだ。
私は思わず、飛び起きて、テレビに釘付けになった。
長沢鼎のことは少し知っていた。
鹿児島に一人旅に出かけた時に、どこかの資料館で薩摩スチューデントについて紹介されていたからだ。
長沢 鼎について、「こんなすごい人がいたんだ」と感銘を受け、関連の書籍も買ってきた。
ただ、拾い読みをした程度で「積読」になってしまっていた。
歴史、特に古代史、幕末から明治、近現代史に興味があるので、幕末に非合法裏に派遣された長州ファイブ(伊藤 博文、井上 馨ら5名)、薩摩スチューデント(
森 有礼、五代 友厚ら19名)について、関心があった。
ちなみに、これらの派遣にはトーマス・グラバーが関わっている。
長州ファイブについては、書籍やコミックも読んでいたが、薩摩スチューデンについてはあまり知らなかったので、鹿児島に行った時に資料館を訪れた。
薩摩スチューデントの中でも最年少だった長沢は、他のメンバーのように大学に
入学できなかったため、一人ホームステイし、地元の学校で勉学に励むが、その成績はなんとトップクラス。そのことだけでも驚愕するが、他の多くのメンバーが帰国した後も現地で知り合った、トーマス・レイリ・ハリス(宗教家)と行動を共にし、後にアメリカ、カルフォルニアでワイナリーを経営することとなる。
ぶどうの病気を病気に弱いアメリカ種と強いイギリス種を接木する工夫で大きな成果を得ることに成功。カルフォルニアワインを世界に発信することにも大きく貢献し、「バロン ナガサワ」と称賛されるほどに。
しかしながら、1920年代、排日差別政策もあったことから、その事実はあまり知られることがなかった。
それが一転、注目されるようになったのは、レーガン大統領が訪日、国会で挨拶した際に、「アメリカに貢献したサムライ」として言及したからだった。
その後、NHKの「知恵泉」やWOWOWでドラマが作られるなど多くのメディアで取り上げられることとなった。
2,3日前から、カルフォルニアの大規模な山林火災が報道されているが、長沢のワイナリーも大規模な山林火災で焼失してしまった。
しかし、その焼け跡から長沢の日本刀が奇跡的に発見され、地元サンタローザの美術館で展示されている。
そこに燦然と「バロン ナガサワ」の存在が示されているようだ。
https://www.nhk.jp/p/ts/K6KW4V4G4Z/episode/te/Q8MGY218QG/?area=230
https://www.bgf.or.jp/bgmanga/viewer.php?id=494&dir=336&lay=double